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余念がないとはどういう意味?使い方...(続き2)

「余念がない」の4つ目の意味は「たわいがない」という事です。

「たわいがない」。

漢字に直すと「他愛」。

つまり「他から愛される」という意味になるのでしょうか。

それが「ない」で打ち消されていますから、「たわいがない」という意味はその事に熱中・没頭しすぎているため、他の人にかまうことができず、よって周囲の人から敬遠されるほど愛想がない状態、とでも解釈できるでしょうか。

「たわいがない」ほど、物事に打ち込んでいる姿はまさしく周囲の物事が全く目に入っていないことを意味しますから、他の人がからかっても全く相手にしない、という事になるのでしょうね。

余念がない、という意味合いの4つ目に捉えられるのも頷けることでしょう。

余念がないの類義語

それでは次に「余念がない」の類義語について紹介していく事に致しましょう。

念入りの

「余念がない」の類義語の1つ目は「念入りの」です。

「念入り」は「気持ちを入れる」とか「魂を込める」といった意味に取られるでしょう。

その物事を為し遂げるために「念には念を入れて」何度も間違いの行らないよう繰り返して注意を払い気持ちを込めて行う、という事でしょう。

例えば戸締りです。

外出するときの鍵のかけ忘れがなかったかどうか。

何度もチェックして見直す、とい行為がそれに当たるでしょう。

人間の記憶というものは曖昧です。

さっきやった事もすぐに忘れてしまいます。

それを防ぐ意味でもチェックが二度三度と繰り返して行う様が「念入り」という意味になるでしょうね。

必死で取り組む


「余念がない」の類義語の2つ目は「必死で取り組む」です。

確かにそうですね。

「余念がない」状態というのは「必死に取り組んでいる」はずです。

決していい加減にやっていたり手を抜いてやっていたりはしていないはずです。

「余念がない」ほど、頑張っているのは「成功」というものを目標にしているから起こる気持ちの表れなのです。

最初から成功を放棄していたら「余念がない」ほど、頑張らないでしょう。

そういった意味で「必死で取り組む」は全く「余念がない」と同義、あるいは「類義」という扱いになるわけですね。

手間がかかった

「余念がない」の類義語の3つ目は「手間がかかった」です。

「手間がかかる」という意味は必要以上に手がかかる。

つまり労力も時間も普段より多くかかる、という意味合いになってきます。

余念がない状態も同様ですよね。

手間暇がかかっています。

時間も労力もつぎ込まれています。

そこまでやって万全の準備というわけです。

何事につけ、人がそこまで手間暇かけて何かを行うという事は、それだけ「気」が入っているからです。

「入魂」込めて何かをやろうとしているから、それだけ「手間」というもの医が入るわけなのです。

これが全く興味も関心もない事をやろうと思ったら、誰がそこまで時間をかけて没頭するでしょうか。

「余念がない」という行動の原理には「気に入っている」という動機があるからこそ、わざわざ時間をかけて手間をかけるのでしょう。

力の限りを尽くす