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余念がないとはどういう意味?使い方...(続き7)

鍛錬に余念がない

「余念がない」の例文の13個目は「鍛錬に余念がない」です。

「余念がない」を最も効果的に、またよく使われる使用例としての代表的な言い方ですね。

鍛錬とは多くの方がご理解していただける通り、「訓練」であり「練習」であり「特訓」です。

それらは何回も何回も反復しながら、また妥協せずに己が納得できるレベルまでやっていって初めて成し遂げられるものなのです。

だから「鍛錬」は「余念なく」行わなければならないのです。

余計な事を考えたり楽をしようなどという「邪ま」な考えが起こったら元も子もなくなってしまいますからね。

一般的に「鍛錬」を積むものとしては、スポーツや音楽の世界、芸能文化の世界が思い浮かびますね。

例えばバイオリンの演奏。

1年や2年の経験ではとても上達できない「難しい」楽器です。

だからこそ、血のにじむような鍛錬を繰り返して上達を目指しているのです。

それでも志半ばで諦めてゆく人が多いのも事実。

それくらい「鍛錬」というものがついてくる種目は「余念がない」覚悟が真に必要となるのですよね。

余念なく話す

「余念がない」の例文の最後の14個目は「余念なく話す」です。

この場合の「余念なく」は会話の中身において余計な事は一切言わず、核心に触れる正確で正しい情報のみを淡々と急ぎ足にならないよう、はっきりと丁寧に喋っている様が受け取れます。

人に何かを「話す」という行為は論理的思考に立って、伝えたい事を順序立てて話さないと、支離滅裂になってしまい、相手にこちらの言いたい事を正しく伝えられない危険性が考えられます。

よって「余念なく」話すよう準備しておくわけです。

特に会議の時やプレゼンテーションの時などは、話す順番をきちんと決めておいて聞き手に正しく理解してもらえるような配慮が必要になってきます。

そういった意味でも「余念なく話す」という事は重要な事であり、話し手の会話センスも試される大切な一瞬、とも言えるでしょうね。

まとめ

如何だったでしょうか?「余念がないとは?」について

・「余念がない」の意味
・「余念がない」の類義語
・「余念がない」の使い方や例文

という3点をピックアップ致しまして見て参りました。

「余念がない」について多少はご理解が深まったのではないか、と思います。

そもそも私たちは何かに熱中すれば、他のことは忘れてその事のみに集中できるようになっています。

当然、そういった時は普段は好きな事でも耳に入ったり目に入ったりもしません。

好きな音楽も「余念のない準備」を始めたら耳に入ってきません。

テレビをつけていても画面に見入る、何てことも起こらないでしょう。

これが「余念がない」という状況の真骨頂になるのです。

反対に明日の大切な試合のために用意するものを忘れないようにしようとしているのに、テレビ番組に夢中になっていたり音楽ばかり聴いていたのでは肝心の試合の準備が疎かになってしまいます。

試合当日になって「あ、あれを持ってくるのを忘れた!」なんていう恥ずかしい失敗を犯してしまったりするのです。

余念がない考えというのはその物事にどれだけ真剣に打ち込んでいるか、で大きく様子が変かするという事になりそうですね。