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余念がないとはどういう意味?使い方...(続き5)

この例文のようないいか方日常、日常よく使うしテレビや新聞紙上などからも目にしたり耳にしたりする機会が多いのではないでしょうか。

「情報収集に余念がない」。

直訳すれば「情報収集に専念し、わき目もふらずに情報集めをやっている」という事ですね。

「情報」というものは何でもかんでもかき集めればいい、というものではありません。

自分にとって有意義で役に立つものだけをピックアップしていく事が求められます。

そういった経緯を考えれば情報収集に余念がなくなるのは当然の事となるでしょう。

しかも、その情報の生かし先が自分ではなく会社やチームの存亡にかかわるようなものであったとしたら、尚更時間をかけてより濃密かつ精密に情報を収集する必要は出てきますからね。

情報というものは使い手の腕次第で生きもし、殺してしまう事もあります。

情報は生きています。

旬度が問題にされます。

そういった意味でも情報収集を余念なく行える人は、企業で生き残れる存在、とも言えるかも分かりませんね。

自伝の執筆に余念がない

「余念がない」の例文の8つ目は「自伝の執筆に余念がない」です。

「自伝」というものを執筆しようと思ったなら、これは膨大な資料を集め時間を整理してかからないととても書き上げられるものではありません。

「自伝」ともなれば10代や20~30代の若い人が執筆するような代物とは言えないでしょう。

それこそ人生を長きに渡って歩んでこられた方々が万感の思いを込めて書きあげるものです。

という事は最低でも60年前後の自分の生きてきた時間の追求が必要になってくるはずです。

そうなれば、それに伴う資料集めも当然、膨大な時間と労力を使う必要が出てくるでしょう。

そしてそれらの準備が出来たらようやく執筆開始です。

この「書く」という作業も人によってまちまちですが、書き慣れていない方ならば執筆の速度は思うようにはいかないでしょう。

よって自伝の執筆という作業には気の遠くなるような時間がかかり、同時に相当な根気も要求されてくるのです。

そのような事を考えれば「執筆に余念がない」状況となるのは当然の事と言えるでしょうね。

余念なく笑う

「余念がない」の例文の9つ目は「余念なく笑う」です。

「余念」を「笑う」で使う時の意味は「邪念も悪意も何もなく、心の底から笑っている状態」と取れるでしょう。

「笑い」や「笑顔」というものは人間関係を構築する上において「挨拶」と並ぶくらい重要なものです。

「笑う門には福来る」というくらい、笑顔には運気を上げたり幸運を呼び込む特殊なパワーが秘められています。

中には作り笑いや嘘笑いで場を誤魔化すこともあるでしょうが、そのような笑いを行っている人には申し訳ないながら良き運気は巡ってきにくいと言えますね。

心の底から何の疑いももたず相手の事を肯定した上での「笑い」は全ての邪念や雑念を払拭してくれる効果があるのだと思ってもらってもいいと思います。

それだからこそ、余念なく笑える人には素晴らしき幸が回ってくることだと思いますよ。

向上していくことに余念がない

「余念がない」の例文の10個目は「向上していくことに余念がない」です。

「向上」とは自分の気持ち、心を「成長」「発展」「完成」させるために常に前向きにしてあらゆるところから勉強する姿勢を貫いていこうとする姿勢の事をいいます。

「向上していくことに余念がない」という状況は、まさにその気概を地のままに歩んでいる姿に他なりませんね。

本当に頭の下がる思いです。

「向上」していこうと思えば遊びの誘惑や異性との関りも極力、避けなければならないでしょう。

そうしない事にはその道のプロには到底、なれないからです。

ただ、真の意味で「向上」していくためには適度な息抜きも必要になる事は間違いありません。

そうしないことには、人間の頭脳はすぐにパンクしてしまうでしょう。

昔から超マジメ過ぎるほど一つの道に打ち込むと、どこかで壁にぶち当たった時に解決方を見いだせず、そのまま脱落してしまうケースが後を絶ちません。