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余念がないとはどういう意味?使い方...(続き3)

「余念がない」の類義語の4つ目は「力の限りを尽くす」です。

何かを成し遂げようと思えば、そしてそこに成功を求めるのならば、当然ながら人は真剣になります。

真剣になれば己の持っている全ての力を出し尽くしてでも、成功させようと思うのが人のセオリーではないでしょうか?

余念がない行動というのは、「力の限りを尽くす」行動という事になるのです。

これは誰がみてもそのように行うはずでしょう。

力の限りを尽くす必要がないのなら、余念がない行動もする必要はありませんからね。

気持ちの持ちようによって人の原理・原則は大きく変化するという事になりそうですね。

手の凝った

「余念がない」の類義語の5つ目は「手の凝った」です。

「手の凝った」は「手間がかかった」とも似たような意味合いを感じさせる言葉です。

つまり、念には念を入れて、時間と労力をかける、とほぼ同じ意味合いがあるということになりますね。

新婚早々の奥さんは愛する旦那さんのために手の凝った手料理を食卓に並べてくれます。

料理というものは「下ごしらえ」にどれだけ時間を割くかで中身や味が決まってきます。

それらを行おうと思えば前日から準備して用意していかなければならない、という事になります。

面倒くさがりの人にとても出来ない事になってくるのです。

「手の凝った」状態になるためには「愛」というものが根底にないと出来ません。

人間は行動するための動機がないことにはどうしようもありませんからね。

そういった意味では「愛」は格好の行動原則という事になるわけなのです。

使い方や例文

それではここからは「余念がない」の使い方をより詳しく知るために例文を紹介しながらより「余念がない」についてみていく事に致しましょう。

余念ない考え

「余念がない」の例文の1つ目は「余念ない考え」です。

これは間違った意味や不確かな意味とは全く違う、まさに「大正解」な意見を言っていたり、考えを提示している意味合いを表しています。

また用意周到な準備を積んで、その考えに全く余計な発想が含まれていない様も表れていますね。

例えば翌日に会社の会議を控えていたとして、議題に対して何らかの発言を行わなければならないあなたは前日に資料やデータを十分、調べておいてよどみのない意見を会議の場でサラサラと発言した、とします。

この場合の事前の準備が「余念ない」に該当するのでしょう。

あてずっぽ、であるテーマに関してあなたの意見を言おうと思っても、予備知識や情報がない事には考えをまとめる事もできません。

余念ない考えを公表するためには事前の準備が必要、という事ですね。

余念なく取り組む

「余念がない」の例文の2つ目は「余念なく取り組む」です。

この場合の「余念」は「余計なことや邪念」という意味合いになってきます。

つまりやらなければならない事に対して、他の誘惑や雑念を取り払い、一心不乱に目の前の課題に取り組む、という様ですね。

大体において、何かに取り組もうと思ったら、遊び半分では成功できません。

集中力を保って一脇目もふらずにかかっていかない事には事が前に進まないものです。

「余念なく取り組む」とはまさにそのような状況を言い表した状態でしょう。

研究に余念がない

「余念がない」の例文の3つ目は「研究に余念がない」です。

「研究」というものはちょっとやそっとの努力、労力で成し遂げられるようなものではありません。

時間をかけて長期的な展望をもって焦ることなく地道にやっていく姿勢が要求されるはずです。

「研究に余念がない」というのはまさしくその通りの道を歩んでいかなければならないいばらの道なのです。