いきじ
「意気地」の漢字の読み方は、本来「いきじ」なのです。
自分自身や他人に対する面目から、自分の思ったことを押し通そうとする気構え、意地のことです。
「意気(いき)」という言葉は、自分が思ったことを成し遂げようとする積極的な気持ちのことで、気概、意気込みとも言われます。
他人が頑張っている姿を見て「その意気で頑張れ」と激励したりします。
また、頑張っている人を見た時には、「あの人の意気を感じる」と評価をしたりするのです。
また、気立てや気性、気前、意地という意味もあります。
お互いの気持ちが通じ合った時には「意気投合する」とも言います。
そして、みんなの気持ちが集まると「今回はみんなの意気込みが違う」などと表現するのです。
このような「意気」を感じることを「意気地」というのです。
いくじ(音変化)
「意気地(いきじ)」の音変化によって「いくじ」と発音するようになったのです。
その意味は「いきじ」と同じです。
やり遂げようと頑張る気力の意味です。
この言葉は、「意気地なし(いくじなし)」という表現で、気力が失せて役に立たないさまを表します。
いろんな場面でよく使われるフレーズでもあります。
「いきじなし」よりも「いくじなし」の方が発音しやすいこともあって好まれたようです。
意味
「意気地」とはどのような場面で考えさせられる言葉かと思い起こしてみますと、以外にも非常に多くの場面で登場します。
多くの場合には「意気地なし」という表現で使用されます。
例えば、これをやった方がよいのかやらない方がいいのかと迷ってしまう時です。
いわゆる優柔不断になった時です。
「どちらかに決めなさい」と促されても決められない性格なのです。
そして、失敗しそうになった時とか負けそうになった時とかに、言い訳や弱音を吐くのです。
「すぐに弱音を吐いて、いくじなしね!」と言われてしまいます。
そして、失敗を恐れて怖がったり、行動を起こす前から諦めてしまうのです。
そして「やる前に逃げてしまうなんて、彼はいくじなしだね」などと揶揄されてしまいます。
大学の受験の時に、かなりの実力があるにも関わらず、第一志望校は難易度の低い大学を選んだ息子に対して親が「いくじないね」と嘆いたのでした。
失敗を恐れずに上を目指すという向上心がない時にも「いくじなし」と表現するのです。
困難に果敢に立ち向かう気力のことを「意気地」と表現するのです。
男性にとっては、意気地がないと言われることは男性としての価値が疑われることでもあり、辛い言葉でもあるのです
他人と張り合ってでも自分の思う事をやりとげようという気構え
「意気地」とは、どんなに抵抗されようとも、非難されようとも、自分が決めたことをしっかりとやり遂げようという気構え、気力のことです。
しかし、この考え方というものは、他人と張り合ってでもというだけでなく、自分の生きざまを崩さない武士道という概念でもあるのです。
どんなに生活に窮乏していても、満足に食べることができなくても楊枝をくわえている姿は、「武士は食わねど高楊枝」なのです。
自分は痩せても枯れても武士なのだという姿を見せつける気力なのです。
惨めな姿を見せて後ろ指を差されないという気持ち、これも「意気地」なのです。
自分が間違っているとわかっていても、意地を張ってそれを貫き通すことを「意固地」と表現します。
「意固地」も自分の意思を貫き通すという点では「意気地」と似ていますが、意地が悪いようなニュアンスであり、悪い意味に取られてしまいます。
「意」と「地」の間にある漢字が「気」か「固」の違いですが、「固」の方は気持ちを固めてしまってほぐれない状態を表しているようです。