「意気地」と書いて「いくじ」と読みます。
若い頃に、優柔不断になってしまい何事にも前向きには行動することができなくなると、「なんだ、いくじなし!」と捨て台詞で馬鹿にされたことはなかったですか?
しかし、意気地がない人でも、先輩や親から言われても平気なくせに、好意を寄せている女性からこの言葉を投げつけられると、本当に落ち込んでしまうのです。
「いくじなし」という言葉の意味は、困難に立ち向かっていく気力がない人のことで、弱虫とか腰抜けという言葉と同じような意味なのです。
だから、好きな女性に「意気地なし」言われようものなら、女性から「腰抜け!」と言われているのと同じことで、男性にとっては不名誉な言葉そのものです。
「お前に言われたくない!」と反発する人と、「それもそうだなあ」と納得する人がいるのです。
「いくじなし!」と言う時は、だいたいが女性から男性に向かって言うことが多いようです。
最近では女性の社会進出も増えてきて、責任ある仕事を任されているキャリアウーマンも多いのです。
優柔不断な男性にとっては、脅威とも感じられるのです。
しかも、TVドラマでも優しい思いやりのある男性が主役となるストーリーも多く、いわゆる「草食系男子」が目立ちます。
現実にも、優しすぎる男性が多いので、自分の意見は引っ込めてしまって、誰かの言いなりになってしまっている時もあるのです。
好きな女性を誘ってデートに出かけても、「どこに行こうか?」「何を食べようか?」「どの店にしようか?」などと相手に相談ばかりすることがあります。
彼女のご機嫌を取ろうと必死なのですが、だんだんとストレスが溜まっていきます。
そして何かのキッカケで、ここという時に自分で決めることができない男に向かって「このいくじなし!」と叫んでしまうのです。
でも、「いくじなし!」と言われる方が、「腰抜け!」とか「弱虫!」と言われるよりもまだ優しさがこもっているとは思います。
ちょっと甘ったれた声で「いくじなしね!」なんて言われると、「何よ、もう少ししっかりしなさいよ!」と激励しているようにも感じるのです。
「なら、頑張ろう」と決心すれば汚名挽回になるのです。
いずれにせよ、男性にとっては「いくじなし」と言われることは不名誉なことでもあり、言われないように頑張るしかないと思います。
今回は、「意気地」に関してまとめてみました。
意気地とは?
「意気地」とは「いきじ」と読むのですが、これが音変化して「いくじ」と発音するようになりました。
「意気地」の意味は、他人と張り合ってでも自分の思うことをやり遂げようという気構え、気力、意地のことです。
このように、物事をやり通す気力がない人を「意気地なし」と呼ぶのです。
逆に、良くない意地を張ること、意地が悪いことを「意気地が悪い」とも表現します。
ともかく、自分の思うことをやり通す気力がない時に言われる言葉が「いくじなし」なのです。
読み方
「意気地」の読み方は「いきじ」と「いくじ」があります。
本来は「いきじ」と呼んでいたのですが、「いくじ」の方が発音がしやすい事から音変化によって「いくじ」に変わっていったようです。
辞書には「いきじ」と発音することが書いてありますが、最近では「いくじ」と読む人が増えてきて、辞書にも「いくじ」(いきじの転)と併記されています。
何事も自分の思うことをやり通す気力がない人のことを「いくじなし」と呼び、「いきじなし」などとは言わなくなったことから「いきじなし」の言葉が廃れて来たようです。
ただし、「気」の漢字は「く」という読み方はないようです。
不思議な読み方ですが、今では「いくじなし」が常用されているようです。
演歌の世界では、古い話ですが1975年にデビューした森雄二とサザンクロスというグループのヒット曲が「意気地なし」です。
男と女の純愛物語で、男に惚れてしまった女が別れ話を切り出した男に対して、「別れるなんて言わないで。
あなたは馬鹿ね、あなたほんとに意気地なし」という歌詞なのです。
女性を守り通すという気がない、つまり意気地がないことを表現しています。
古い歌なのですが、最近でもいろんな歌手がカバーしているのです。
それほど、日本人の心には「意気地」は不可欠のような言葉でもあるのです。
それでは、「意気地」の読み方について解説します。
いきじ
「意気地」の漢字の読み方は、本来「いきじ」なのです。
自分自身や他人に対する面目から、自分の思ったことを押し通そうとする気構え、意地のことです。
「意気(いき)」という言葉は、自分が思ったことを成し遂げようとする積極的な気持ちのことで、気概、意気込みとも言われます。
他人が頑張っている姿を見て「その意気で頑張れ」と激励したりします。
また、頑張っている人を見た時には、「あの人の意気を感じる」と評価をしたりするのです。
また、気立てや気性、気前、意地という意味もあります。
お互いの気持ちが通じ合った時には「意気投合する」とも言います。
そして、みんなの気持ちが集まると「今回はみんなの意気込みが違う」などと表現するのです。
このような「意気」を感じることを「意気地」というのです。
いくじ(音変化)
「意気地(いきじ)」の音変化によって「いくじ」と発音するようになったのです。
その意味は「いきじ」と同じです。
やり遂げようと頑張る気力の意味です。
この言葉は、「意気地なし(いくじなし)」という表現で、気力が失せて役に立たないさまを表します。
いろんな場面でよく使われるフレーズでもあります。
「いきじなし」よりも「いくじなし」の方が発音しやすいこともあって好まれたようです。
意味
「意気地」とはどのような場面で考えさせられる言葉かと思い起こしてみますと、以外にも非常に多くの場面で登場します。
多くの場合には「意気地なし」という表現で使用されます。
例えば、これをやった方がよいのかやらない方がいいのかと迷ってしまう時です。
いわゆる優柔不断になった時です。
「どちらかに決めなさい」と促されても決められない性格なのです。
そして、失敗しそうになった時とか負けそうになった時とかに、言い訳や弱音を吐くのです。
「すぐに弱音を吐いて、いくじなしね!」と言われてしまいます。
そして、失敗を恐れて怖がったり、行動を起こす前から諦めてしまうのです。
そして「やる前に逃げてしまうなんて、彼はいくじなしだね」などと揶揄されてしまいます。
大学の受験の時に、かなりの実力があるにも関わらず、第一志望校は難易度の低い大学を選んだ息子に対して親が「いくじないね」と嘆いたのでした。
失敗を恐れずに上を目指すという向上心がない時にも「いくじなし」と表現するのです。
困難に果敢に立ち向かう気力のことを「意気地」と表現するのです。
男性にとっては、意気地がないと言われることは男性としての価値が疑われることでもあり、辛い言葉でもあるのです
他人と張り合ってでも自分の思う事をやりとげようという気構え
「意気地」とは、どんなに抵抗されようとも、非難されようとも、自分が決めたことをしっかりとやり遂げようという気構え、気力のことです。
しかし、この考え方というものは、他人と張り合ってでもというだけでなく、自分の生きざまを崩さない武士道という概念でもあるのです。
どんなに生活に窮乏していても、満足に食べることができなくても楊枝をくわえている姿は、「武士は食わねど高楊枝」なのです。
自分は痩せても枯れても武士なのだという姿を見せつける気力なのです。
惨めな姿を見せて後ろ指を差されないという気持ち、これも「意気地」なのです。
自分が間違っているとわかっていても、意地を張ってそれを貫き通すことを「意固地」と表現します。
「意固地」も自分の意思を貫き通すという点では「意気地」と似ていますが、意地が悪いようなニュアンスであり、悪い意味に取られてしまいます。
「意」と「地」の間にある漢字が「気」か「固」の違いですが、「固」の方は気持ちを固めてしまってほぐれない状態を表しているようです。
固まってしまうと、にっちもさっちもいかない状態で、ひとを困らせるような頑固な性格にも聞こえます。
それに対して「気」の方は、「気配り」とか「元気」などと前向きでポジティブな表現に使われるために、「意気地」の方が役に立つように思われます。
だから、意気地がなくなると困ってしまうのです。
自分の思うことをやり遂げる気力を持ってほしいと願うのです。
気力
「気力」とは、何かを行おうとする気持ち、精神力のことです。
その時には、困難や障害にも負けないという強い気持ちの張りが重要なのです。
物理的なものを乗り越えた、精神力のことを指しているのです。
スポーツの世界で、長時間の競技になればなるほど、実況しているアナウンサーの言葉にこの「気力」という言葉が飛び出してくるのです。
マラソンの競技でも、駅伝の実況でも、ゴール間近になって競り合っている時には「あとは気力の勝負になります」などと表現します。
肉体的な体力よりも、精神的な気力を重要視するのです。
勝者のインタビューでも「最後は気力で走りました」とコメントするのです。
体力がなくなっても気力があればやり遂げられるという精神論なのです。
気力はそんな不思議な力なのです。
意地
「意地」という言葉は、ふたつの意味があります。
一つは、根性、気立てのことです。
「あの人は意地が悪い」というと根性が曲がっているとか自分に不利なことを平気で行うという時に言います。
二つ目は、自分の思うことを無理に押し通そうとする気持ちです。
「あの人は意地でも首を横に振るよ」などと批判めいたことを言います。
ほんとうはOKを出したいのだけれども、ある些細な理由があってウンとは言えないのです。
そのちょっとした理由にこだわるために、頑としてOKしない心なのです。
また、特に理由がないにも関わらず、あるものをむやみに欲しがる気持ちもあります。
そんな態度を「意地汚い」とか、食べ物にこだわることを「食い意地が強い」などと、その性格をけなすことがあります。
意地は道理では解決しないのです。
意地っ張りですから、理由に関係なく反発するのです。
長い間恋愛をしてきた二人ですが、ある理由から女性が別れ話を切り出したところ、男性の方は絶対に別れない。
「意地でも別れない」と突っぱねます。
この時の「意地」は、理由を説明しようが関係なく別れたくないと拒否するのです。
自分の気持ちを押し通すのです。
意地を通すのです。
意気地の類語や関連語
「意気地」とは、自分の思ったことをやり遂げようという気構えや気力のことですが、同じような意味の言葉はたくさんあります。
決めたことに対し、それをやり通そうとする強い気持ち
自分が決めたことをやり通そうとする強い気持ちは、「負けず嫌い」「負けん気」「意気込み」「不屈の精神」「剛直」「気骨がある」「我慢強い」「気構え」などの表現があります。
強い気構え
「気構え」とは、予測できることに対する心の用意の事です。
何かをしようと思った時に、こんな場合はどうしよう、こうならないと次はどうしようとか、起こるであろう事態をあらかじめ予測して心で準備する心の持ち方のことです。
事態が進展してから、こんなことではなかったと嘆いても後の祭りです。
心の中で覚悟して置いて、心の持ち方を確認しておくのです。
悪いことが起こらないように、不幸な目に遭わないように、心の持ち方を用意しておくのです。
「さあ来い!」と構えて待っている状態なのです。
決めたことを実行するにあたって、心に一点の曇りも焦りもないのです。
連想される言葉
「意気地」の言葉で連想される言葉は、下記のようなものです。
心意気
「心意気」というのは、ものごとに積極的に取り組もうとする気構えのことです。
真剣に取り組もうとする姿を見て「あいつは、心意気がすごい」などと表現します。
積極的に取り組む姿勢が見えているのです。
もしも、不真面目に仕事をしているのなら上司から「もっと、心意気を示してみろ」などと叱咤激励を受けるのです。
つまり、真剣にやろうという気構えを見せろということです。
言い換えると、やりたいという意気地を見せてみろという訳です。
高校野球の試合をTVで見ていると、どのチームもメンバーの顔つきは鋭くて、絶対に勝ってやるという気力がみなぎっています。
勝ちたいという心意気が強いのです。
逆に心意気がないということは、何が何でもやり遂げようという気持ちがない事であって、いくじなしなのです。
負けを認めてしまった時には、意気地もなくなるようです。
気持の張り
「気持ちが張る」とは、気持ちが引き締まっていることを表します。
張るという言葉で、力強いこととピンと張りつめた緊張感が感じられます。
気持ちが緊張で引き締まっている状態です。
集中力も高く、どんなことでも対応してやるという不退転の心を感じることができます。
「意気地」の言葉の通り、何があっても決めたことをやり遂げるという気力があるのです。
人生の岐路に差しかかった時や、仕事の途中で難問にぶつかってしまった時に、気持ちが張り詰めるのです。
自分の意志でそれを押し通そうとする時に、意気地が必要なのです。
諦めてしまうと、いくじなしなのです。
気持ちの張りもなくなるのです。
血気
「血気」とは「血」と「気」が重なった言葉で、文字通り血液と気力が合わさって、命を維持発展させる活力のことです。
それが強いと、向こう見ずで盛んなさまを表します。
喧嘩っ早くて元気がいい男を「血気盛んな男」などと表現します。
「血気がある」とは、活力に満ちた男性のたとえで、自分が決めたことはどんなことがあってもやる遂げるという強い精神力を持っているのです。
時には、過激な行動にまで発展する時があるので、意気地を通り越えて血の気が盛んな状態を連想するのです。
血気盛んな人々がみんなで集まっていると、向こう見ずな意見が出ることもあります。
意気地よりも何かをやり遂げようという熱気が感じられるのです。
気概
「気概」とは、困難にくじけない強い意志、気性の事です。
「血気」と比較すると、「気概」の方がうちに秘めた意気地という感じです。
血気盛んに外に出さないけれども、「気概のある人」というのは、自分のうちに秘めた決意を持っているのです。
「気概のある人」と言うと、あることに対する意欲が強いことを示し、気骨も自信も十分なのです。
後輩が上手く行かないと困っていると、救いの手を差し伸べて解決してやります。
こんな時に「先輩の気概を示した」というのです。
くじけずに意気地を示したのです。
勇気
「勇気」とは、何かに対する恐怖や不安、羞恥心を感じることを恐れずに、自分が思った通りに行動していく心意気の事です。
勇ましくて強い心を持っているのです。
もう少し頑張って続けていれば、という反省の気持ちが生まれるということは、途中で勇気がなくなっていくじなしの状態になってしまったのです。
意気地には勇気が必要なのです。
意気地なしな人の6個の特徴
意気地なしな人は、どのような特徴を持っているのでしょう。
1.すぐ人に頼る
「意気地なし」の人は、すぐに弱音を吐いて行動が止まってしまいます。
思考も行動も一旦停止して動かなくなってしまうのです。
人はこの状態を「ビビっている」とも表現します。
任された仕事や自分で決めたことでも、初めての事や経験したことがないと不安に思ってしまうのです。
すると、次に見られる現象は、その仕事を誰かに手伝ってもらうのです。
「お願いだから手伝って!」とか「助けてください」などと感情に訴えて人に頼ってしまうのです。
結局は、自分にはその難関を突破する知恵も経験も自信のないことをさらけ出してしまうのです。
しかも、平気で人に頼ることができるのが特徴です。
自分で考えようとしない
自分に自信がないので、自分で考えようとしないのです。
考えても間違えてしまうとかみんなに迷惑をかけてしまうと勝手に判断してしまうのです。
要するに怖がりなのです。
それに考えるのが面倒という気持ちも持っているからです。
すぐに誰かに頼ってしまう方が楽だからです。
2.ネガティブ
「意気地なしの人」は、何事にも良いイメージを描くことができない性格です。
常にネガティブな考えを持ってしまうのです。
自分だけの世界に閉じ籠っていてくれればいいのですが、自分の周りの人に対しても、ネガティブ思考で対応してしまうのです。
せっかく、いい方向に向かっている仕事でも、「もしかして」という後ろ向きの仮定の話ばかりで、雰囲気も暗くなってしまいます。
何事かにチャレンジすることも、挑戦する前から失敗するような発言をするのです。
意気地がないとネガティブ思考に陥り、仲間も引きずり込んでいく傾向があります。
常にマイナス思考
仕事の途中経過を確認しながら、「これはきっと上手く意気そうだ」とポジティブに考えている人がいる反面、「もしかして、後半は落ち込むのでは?」と懐疑的に疑問をぶつける人もいるのです。
何かにつけて、常にマイナス思考なのです。
慎重に考えている証拠ですが、後ろ向きのイメージばかりでは、みんなの士気も上がりません。
「石橋を叩いて渡る」という慎重さも必要ですが、これでは一生チャレンジはできません。
リスクに立ち向かう勇気を持って、前進して行く気概が必要なのです。
3.チャレンジしない
「意気地なし」は、ネガティブ思考の人が多いようです。
問題が起こりそうだと感じた時には、敢えてチャレンジなどはしないのです。
普段の生活でも、生活のパターンを変えることも簡単にはできない人なのです。
慎重な性格なのか臆病なのかは分かりませんが、同じことを何も深く考えないで行動できる作業や仕事が好きなのです。
何も心配することもないので、平穏で安定している生活が大好きなのです。
朝起きてから寝るまで、極端に言うと行動は規則正しいのです。
何か一部の行動が狂ってしまうと、その日一日中気持ちが落ち着かなくて、何か忘れ物をしていないかと不安に襲われるのです。
「変化」「チャレンジ」という言葉が嫌いなのです。
「一度、チャレンジしてみませんか?」などと声をかけられることなどはもっての外なのです。
そっとしておいてほしいのです。
積極的に取り組まない
意気地なしな人というのは、何事にもチャレンジするという積極的な正確ではなくて、立ち止まって考え込んでしまう性格なのです。
多分、以前に前向きに頑張ったけれども、何かの原因で痛い目に合ってしまったというトラウマを抱えているのかも知れません。
誰も若い時には好奇心も旺盛で、仲の良い友達といろいろとチャレンジしてきたはずです。
そのうちに、失敗することを恐れるようになって、慎重になったのです。
自分が行動するよりも、誰かが先に同じことをやってくれるのを側で見ている方が気が楽で、それが上手く行くようであれば、自分もその後に続こうと考えているのです。
一番にならなくても、二番でもいいという割り切った考えも持っているのです。
先頭を切って頑張った人も、何かの思いがけないトラブルに見舞われたら、どれほど苦労するかも覚えたのです。
そのような人は、分からないことにはすぐに飛びつかないこと、誰かが先頭で走るのを待っていること、問題が起こりそうだと感じたらすぐに手を引くことを心掛けていること、などと積極的には決して取り組まないのです。
いくじなしと言われても我慢できる人なのです。
4.すぐ弱音を吐く
ちょっとしんどくなると「もうだめだ」とあきらめかけるのが弱音です。
弱音は吐かない方がいいと言われるのですが癖になってしまって、ついつい弱音を吐いてしまうのです。
仲間と同じように運動したり仕事をしていても、まったく弱音を吐かない人もいるのです。
「おまえは辛くないのか?」と聞くと、「俺もそりゃ辛いよ!」と答えるのですが、なぜ弱音を吐かないのかは教えてくれません。
体力的に自分よりも強靭であることは間違いなさそうですが、それ以外にも理由があるはずです。
もう少し理由を探ってみると、年上の兄がいて、彼は大学の運動部で頑張っていて、家でご飯を食べる時に部活の話をしてくれるそうです。
すると、チームワークが良くてお互いを励ましながら練習に取り組んでいるようで、どんな時でも音を上げない習慣がついているので、兄の弱音を聞いたことがないそうです。
それよりも、「おまえも部活に入って体を鍛えて頑張れよ!」と激励してくれるそうです。
そんな兄を見ているので、弱音を吐く習慣もないのです。
このように、すぐに弱音を吐く人が側にいなければ、逆に励ましてくれる人が側にいると、弱音を吐くことはしないようです。
自己評価が低い
弱音を吐くという行為は、口癖のように習慣になってしまっているのかも知れません。
本当に辛くて、体力的にも精神的にも限界が来た時には自然に弱音を吐きます。
口には出さなくても、心の中で「もうだめだ!限界だ!」と思ってしまうはずです。
しかし、それほどの苦労でもないのに、つい「だめだ」などと口走るのは習慣です。
自分はそれほど強くはない、能力はないと思い込んでしまっている節があります。
自己評価が低すぎるのです。
だから、この辺が限界だという意識が芽生えてしまい、その気にさせるので弱音を吐くのです。
自分はこんなもんではない、もっと能力が高くて頑張れるのだと思い込んでみてください。
すると、まだここでは弱音は吐けないと自覚できれば良いのです。
きっと、我慢ができるはずです。
5.失敗やトラブルを極度に恐れる
意気地がない人は、物事から逃げ出して離れたいという気持ちを持っているのです。
失敗やトラブルを極度に恐れているのです。
何かの問題が発覚すると、落ち着いていられなくなるのです。
何から先に対処すれば良いのかという優先順位も分からないのです。
ただオロオロとして、誰かに後を任せて逃げ出したい気持ちなのです。
少しでも処理をしようとか、最後まで対応してみようという責任感がないのです。
途中で投げ出してしまうので、余計に問題がこじれてしまい感情的にもなってしまうのです。
それだから、意気地のない人は、失敗やトラブルが起こることを極端に恐れているのです。
問題に立ち向かうことが苦手
「意気地」とは、どんなに抵抗されようとも非難されようとも、自分が決めたことをやり遂げようという気構え、気力のことです。
この気力がなくなれば、継続して問題に立ち向かうことはできません。
気構えと気力が初めから不足していれば、トラブルが起こったらたちまち続けることができなくなってしまうのです。
嫌なものには蓋をする習慣が身に付いているようなのです。
まずは、何事も細かいことから最後までやり抜くという習慣を覚えることから始めると良いでしょう。
6.自発的でない
「意気地ない人」は、自信がないので自分から自発的に行動することはありません。
いつも、誰かがチャレンジするのを応援する立場なのです。
そのくせ、そのチャレンジが成功すると感じると、すかさず二番手でスタンバイするのです。
他人の行動を見ながら動き始めるのです。
失敗やトラブルのリスクも知ってから動き出すのです。
企業の中でも、自発的で活発な社員がいる一報、常に指示待ちの社員もいるはずです。
自発的とは、何かのテーマが見つかった時に、具体的な計画は未定でも「自分にやらせてください」と名乗り出るような行動です。
それに対して、上司から「じゃあ、お前に任せるから後は自主的に考えてやってくれ!」と指示を出すのです。
自分で方法を考えて自分で決めながら進めることが自主的なほうほうです。
まずは、自発的に、つまり積極的に考えて行動できると言いうことですが、意気地ない人はそれができないのです。
率先した言動をしない
自発的に行動するということは、未知の部分も多くて概要はまだハッキリと掴めていない時もあるはずです。
率先するとは、このようなリスクも受けて進んで行くのです。
しかし、これは不安が付きまとうことから、意気地のない人にとってはできない事です。
一番手を率先して進むなんて、怖くてできないのです。
誰かの指示を受けながら、後からついていくのと、そのために損をした時にはボヤいたり弱音を吐いたりと女々しい態度を取るのです。
意気地なしな性格は損してるかも
「意気地なし」な性格は、損をしているかも知れません。
女性とお付き合いしている時でも、意気地がないと不利な時があります。
意気地なしの人の特徴を簡単にまとめますと、①考え方がネガティブになりがちです。
いわゆるマイナス思考になってしまうので、女性に将来の夢を与えるには不向きなのです。
大きな風呂敷を広げてダマすことはもちろんダメですが、堅実で小さな幸せを追い続けていても、女性はなかなか共感してくれません。
②すぐに弱音を吐いたり、行動する前から諦めてしまう性格です。
好きな人と結婚してふたりで人生設計を作っていこうとしても、「俺には君を幸せにはできないかも」とか「会社はもう少し給料を上げてくれたら」などと弱音を吐いてばかりでは幻滅してしまいます。
自分よりも、もっとふさわしい人が現れるのではなどと、自分を見下げてしまうような口ぶりで話をすることなどは絶対に避けるべきです。
必ず幸せにして見せるという意気込みを見せることです。
③優柔不断なところも嫌われます。
何を食べようとか、どこに行こうとか、細かいことまで相談ばかりしていては、この人について行ってもいざという時に頼れるのかと不安になります。
これでは、ついてきてもらえそうにありません。
④甘えの体質です。
先ほどの優柔不断の性格と合致しますが、常に誰かを頼ってしまうという甘い性格なのです。
決断力に欠けているので、いざと言う時にも判断ができないのです。
失敗を恐れて決められないのです。
つい女性に甘えてしまうことになるのです。
男性であれば、時にはしっかりと判断して、女性の前でも男らしい頼りがいのある一面も見せることです。
会社でも、失敗を恐れるあまり消極的になりやすいのも問題です。
自発的に敢えて行動するぐらいの気構えが大事なのです。
みんな失敗をしてきているのです。
失敗をしても最小限の被害に抑えて、次にまたチャレンジする気力も必要なのです。
意気地がないと、好きな彼女にも嫌われ、会社でも頼りにならないと隅に置かれることが無いように、意気地を持って頑張り抜くことを覚えてください。