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論破とはどういう意味?論破したがる...(続き3)

誰のために納得したいのか。

それは恐らく自分にためでしょう。

自分が相手を論破することによって納得感を得て、自己満足に浸れる。

これは相当な自己中心的な心理面が伺えますね。

論破を行う多くの人は、このような心理的特徴を持ち合わせていると考えられるでしょう。

人は何のために戦いに勝ちたいのか?それは勝利の余韻を味わいたいからです。

そういう意味では論破は体力を使わないで済む、合法的な喧嘩の果ての勝利です。

さぞ気持ちがいい事でしょう。

ただ、こういった精神的な心の構造は幼稚ともいえるのですよね。

それを本人が気づいているかどうかですね。

8:自分の知識がどれだけあるのか知りたい

論破したがる人の心理には、自分の知識がどれだけあるのか知りたいというものもあるでしょう。

人間の欲望は人それぞれです。

物欲に耽る人、性欲旺盛な人。

名誉欲に抜かりのない人など。

そんな中で知識の吸収に貪欲な人も世の中、結構多い事でしょう。

この「自分の知識がどれだけあるのか」を知りたがる人は、知識欲の範疇に入るのかも知れませんね。

知識を貪欲に吸収して正しい目的のためにアウトプットするのなら、別に何の問題もないと思います。

ただ、自分の持っている知識をひけらかしたり、それをベースにして誰彼関係なく論破することに躍起になっているようでは、その知識の存在意義も怪しいものに思えてきますよね。

大体、知識というものは生活する上で、必要なものとそうでない雑学のようなものに大別されるでしょう。

その雑学的なもので周囲の人に論戦を持ち込んで、論破して一人満足感を得ることが生き甲斐のようになっているとしたら、心理的にかなり自己中心的と言わざるを得ないのではないでしょうか。

知識というものは人々がより良い暮らしを行うために共有していきたいものですね。

9:相手に負けたくない

論破したがる人は、相手に負けたくないという心理もあります。

この特徴ははっきりと「負けず嫌い」根性が顕著に出ていますね。

自分が相手との論争に勝利して論破するのは、ひとえに相手に負けたくないから、という理由は究極の自己中と言えるのかもしれません。

「相手に負けたくない」という心理は、いかなる競争にも勝ち続ける、という気概があることになります。

それはそれで非常に素晴らしい事だとは思います。

つまり諦めという概念がないという事になるので、学校のテストや仕事の遂行においては一目置かれる存在になり得るでしょう。

ただ、いかんせん、自分の勝利にこだわり過ぎるため、周囲に敵を作る可能性は非常に高くなってしまいます。

そこのところを理解した上で負けず嫌いの性格を継続することでしょうね。

行動を起こさず、引きこもっている人に比べたら、圧倒的に優れた精神的特徴だと思いますからね。

10:感情論でなく、論理的思考を持つ

論破したがる人は、感情的でなく、論理的思考を持つのです。

そう、これなのです。

論理的な思考を持っているからこそ、論破が成り立つのです。

それを感情に流されてやってしまったら、支離滅裂になってしまって、相手の思うつぼになってしまいます。

それくらい議論というものは、賢い知性が求められるものなのです。

よって、普段から物事を論理的に考えて解決している人は、滅多な事では相手を論破しようと思わないでしょう。

そんな事をやってしまったら遺恨を残してしまい、その後の付き合いに支障をきたしてしまうからです。