離婚も、ソウルメイトが相手ではなかったから「このままで満足してはならない」という意識がはたらいて新たな出会いのために離婚という結果をもたらしたり、人生の価値観を変えなければならないというタイミングで大きめの病気に罹ることがあります。
これこそ予定通りにはいかない事象ですから、いつもとは違う行動を取らされる中で偶然出会うこともあるでしょう。
一緒にいると眠くなってしまう
相手の話がクソつまんなくて眠くなるのとは違い、寝不足でもないのにものすごく眠くなる相手がソウルメイトである可能性は高いそうです。
スピリチュアルの専門家の中には、その人物と会っているときに夢と現(うつつ)の合間の“うたたね”に誘い込むことで神なる存在が潜在意識へメッセージを送ろうとしているという人もいます。
波長が合って安心する
家族以上の魂の結びつきがあるのがソウルメイトですから、波長が似ていてリラックスの極みになるのだとか。
体中の力が抜けて、ふんわりとした気持ち、自然体になるから眠くなるそうです。
いつも気を張って生きている人も、ソウルメイトの前では全くキャラが変わる、本当の自分はもっと気楽に生きたかったことがわかるなどします。
この相手とは恋人や伴侶となるケースも多く、離婚などとは無縁の仲の良さで、それこそ「死が2人を別つまで」一緒にいられるはずです。
何故かその人のことがどうしても気になってしまう
全然タイプでもないし、なんなら見た目は嫌いなのにその人のことだけは嫌いになれない、むしろ好意的にすごく気になる、あるいは群衆の中でその人のことだけが目にとまるなど運命的な直感を覚えることがあるようです。
波長やオーラみたいなものが似ているからかもしれません。
なんとなく「この人と私は何か同じものをもっている」と直感するような相手です。
懐かしい人から突然連絡が来る
長年交流が途絶えていた人物から突然連絡が来ることがあります。
そのときは、相手の方へ先に前兆がきていて、その相手へ知らせねばならないと行動を促されたことが考えられます。
そんなに仲良くもなかった小学校の同級生からFacebookで友達申請がきたり、実家にハガキがきたよなんて連絡がくるかもしれません。
あるいは、普段なら興味がもてない同窓会の連絡になぜか「行かなくちゃ」と思ったり、幼い頃に引っ越した土地へ行きたいと思ったり、具体的なきっかけがあったわけでもないのに気になるなら前兆と考えてみましょう。
急にその人のことが思い出されることも
「あの人元気にしてるかな」と急に気になったことはないでしょうか。
その人自体がソウルメイトなのかはわかりませんが、今その人が持っている人間関係の中にソウルメイトがいるということもあります。
その思い出された相手は、ソウルメイトとの出会いを引き寄せるためのきっかけとなる人物ということです。
ふいに思っただけにとどまらず、折に触れて思い出すことが多いなら可能性は高いでしょう。
人間関係が大きく変化する時も前兆を引き寄せ易い
引っ越しや転職なども含めて人間関係が大きく変化するときは、新たな出会いだらけですからその中にソウルメイトがいても不思議ではありません。
ときには何かのトラブルで快くない人間関係の変化もありますが、その中で力になってくれる人や癒しをくれる人もいるはずなので周囲をよく見渡してみましょう。
また、ソウルメイトの多くはお互いにとってプラスになる、成長を促す存在といわれています。
何かに行き詰ったとき、的確な助言をくれたりその相手の姿勢に感化されてやる気が出てくるような人がソウルメイトの可能性が高いといえるでしょう。
大事なものを失う
ソウルメイトに出会う前の人生すらも充実している場合、それ以上を求めなくなります。
その状況をスピリチュアルな存在が「こりゃマズイ」と思えば何か大切なものを奪うことで不足を与えてやろうと考えるかもしれません。
何かその人物にしかできないことがあって、でも現状で満足しているとそれに向かうことができない場合、不都合の中でもがきながら“やるべきこと”に到達して欲しいという意志によるものです。
…迷惑な話ですね。
とはいえ、それはより高みを目指すための試練とも考えられます。
歴史の教科書に載っているような人物たちも、もしかしたらこのような導きによって大きなことを成し遂げたのかもしれません。
喪失感に打ちひしがれている時に現れる
喪失感を抱えている人にツケ込んでくるクソみたいな奴もいるので見極めは必要ですが、なんの利害関係もなくそばに寄り沿ってきれて、喪失感を補完してくれるような存在はソウルメイトである可能性が高いです。
もちろん、最初だけそういう風に振る舞い、全面的に信頼させてから「壺を買うといいよ」と言ってくるとんでもない奴もいるので、あまりにもタイミングよく表れたら多少は疑いを持つ必要があります。
大事なものを失ったときに前世がどうのこうのと言ってくるのは話が違う
先述の通り、大事なものを思わぬタイミングで奪われたときは試練を与えられたとしても前世に悪行をはたらいたから悪いことが起きたというわけではありません。