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「怠慢」とは?意味や使い方、「怠惰...(続き2)

先ほどの「怠慢」の意味を。

「怠慢」も怠けている事に関しては同様でした。

しかし「怠慢」には「しなければならない事」がありましたよね。

つまり、仕事においてもスポーツにおいても趣味においても、何らかの目標設定があるということです。

ところが「怠惰」には何かを行うべき目標すらも存在していません。

要するに毎日が無目標で生きる望みすら見いだせていない、というところに「怠慢」と大きく違う特徴があるのです。

そのような状態を周囲の人が見たら、必ずや「だらしない」という印象で見られてしまうのも「怠惰」の特徴でしょう。

人間という生き物は、生きる上に置いての何らかの目標や夢があるからこそ、目力が目に宿り、イキイキとなって生気を漲らせて生きてゆく事が出来るのです。

そしてそのような精神状態の時は傍から見ても実にエネルギッシュで見ていて気持ちがいいくらいの印象を受けるものなのです。

ところが「怠惰」になってしまっている人からは、そのようなカケラすら見出すことが出来ません。

目に光はなくなりけだるそうで呼吸をすることすら面倒くさい。

といった風情を感じてしまうのです。

これが「怠惰」という行いの決定的な説明となるでしょうね。

単に怠けていること

「怠惰」の意味の2つ目は「単に怠けていること」です。

要するにただ怠けているだけ、という事ですね。

しかしながら、この「単に怠けている」にはやりたい事とか、人生の目標だという崇高なものは存在していません。

ただ、毎日を自堕落に過ごしているだけです。

これも「怠惰」の大きな特徴の一つといえるでしょうね。

とにかく、人間、何もすることがなくただ毎日をダラダラブラブラ生きることは後で振り返ってみたら非常に後悔するべき瞬間です。

そう、あなたが五体満足な身体で生まれ精神にも特別なハンディがない状態で生まれているのなら、大いに恥ずべき行為だと思わなければなりません。

世の中には今触れたような身体的・精神的ハンディを背負って生まれてきたにもかかわらず、それらを億尾にも見せずに必死になって生きている人達が数多くいることを。

そういった現実を垣間見てそれでも尚、「怠惰」な毎日を送るなら、もう何も申し上げることはありませんけれどもね。

怠慢とはどう違う?

では、次に参ります。

「怠惰」は「怠慢」とはどう違うのでしょうか?

先ほど、少々触れていますがここではさらに突っ込んで見てまいりましょう。

当然やるべきことがあるか否かが前提

「怠慢」と「怠惰」の大きな違いは「怠慢」には「当然やるべきことがある」ということが最大の要因となっています。

つまり、生きていく上でやるべきことを自分自身で持っているか、それとも否か、が大前提というわけです。

よって「怠慢」を張っている人の方が生きていく上ではまだまだましでしょうね。

それはやるべきことを一時的にサボっているだけで最終的には、やるべきことをしっかりやっているからです。

それに較べて「怠惰」の方は褒めるべき点も何もありません。

まさに「生ける屍」状態です。

きちんと働きもせず親のすねをかじってのうのうと生きているだけです。

こうなってしまったら本当に手の施しようがありません。

そういった意味では、一応毎日きちんと会社に勤めに行っているがこれといった目標がなく毎日を有意義に過ごせていない、という人に関しては「怠惰」とは言いませんからね。

そういった人達は、まだ自分の人生目標を見つけられていないだけですから。

だから焦らずに今の生活ベースを崩さずにコツコツ頑張ってもらいたいものです。

「俺、私にとっての人生目標はこれだ!」と言い切れる人ってそうそういませんからね。