不信感を作り出す原因の大きなものとして、「過去の人間関係で苦労があった」という事実は疑うべくもないれっきとした原因となるでしょう。
3.嘘をつかれる
不信感を抱く原因の3つ目は「嘘をつかれる」です。
人間の心というか精神構造は、そんなにやわには出来ていませんが、かといって鉄のように何者にも動じないほどの完璧さは持っていません。
いえむしろ、瑠璃の輝きのように脆い精神構造をしている人間の方が今の時代、圧倒的に多いのではないでしょうか?
戦中・戦後という時代を生き抜いた人々には、今の時代に欠けている「ハングリーさ」というものをほとんどの人がもっていました。
今日・明日の食べるものがなかった時代です。
生きてゆくためには人間、何でもしなければならない時代でした。
そのためには時には嘘もつき、時には暴力にも頼ったことでしょう。
そんなよくない事でも、やらなければ食べてゆけなかった時代だったのです。
それ故、当時の人々の心の強さは今の時代の人達に比べればはるかに強かったことでしょう。
それでも「嘘」をつかれるダメージは今も昔も変わりません。
いくら心が強かった昭和世代の人たちでも「嘘」に対しては並々ならぬ「嫌悪感」を持っていたのです。
やはり「嘘」はいつの時代になっても人々の心の中に「不信感」を芽生えさせる病原菌のようなものだからです。
事実を偽られた経験がある
「嘘」というものは全ての事実を偽ったものです。
「この人は信用に値するいい人だ」、と思っていた概念を180度ひっくり返されるわけですから、その反動はあなたの心を大きくえぐり、深い傷跡を残してしまうに違いありません。
このような「事実の偽り」を、悪意を持って平気で行う人間に対して、誰が正常な気持ちでいられるでしょう。
このような経験の積み重ねは人を「疑う」という嘆かわしい心根に変えていってしまいます。
人間不信のない世の中を真っ向から突き崩す愚かな行いなのです。
また嘘なのではないかという気持ちが働く
一度でも事実を偽って近づいてくる人間から嫌な思いをさせられてしまうと、人間不信になるな、と言われてもどうしようもない不信感があなたの精神を支配してしまい、正しい判断力を失ってしまうでしょう。
それ程、人から騙されたり嘘をつかれる、という行為は人間にとって恐ろしいほどの「罪悪」と言えるのです。
甘い言葉や優しい言葉をかけられても心から喜べないのは、あなたのそういった辛い経験がまだ消え去ってくれないからに他なりません。
いつかは時間が解決してくれると思いますが、「嘘をつかれる」という行為は、人間の心に「深い大きな傷をつける」ということを世の全ての人間たちは肝に銘じて行わないようにしたいものです。
4.規則を破っている
不信感を抱く原因の4つ目は「規則を破っている」です。
人間の生活というものは、組織の大小に関わらず、ルールや規則、規範というものが存在します。
これらを守って生活していくことが良き大人の見本として正当化されるのです。
もし、そういった規則やルールを平然と破る人が自分の周囲にいたらどうでしょうか?あなたはその時、どういった感情を抱くでしょうか?
「規則を破る」という一種の裏切り行為がどのような影響を私たちに与えるのか、それを考えていきましょう。
危険を感じてしまう
規則を破る事で感じるものの1つ目は「危険を感じてしまう」です。
例えば、交通ルール。
自動車が赤信号を守らずに横断歩道を渡っている人の群れに突っ込んできたらどうなるでしょうか?
また、歩行者も信号を守らずに赤信号を平気で交通量の多い道路を渡ってきたら、いったいどのような事が起きてしまうでしょうか?
このように私たちの日常生活はこういった「命」の危険から身を守るべく「規則」が無数に存在しています。
それらの「規則」を平気で破る人間に対して、果たして普通の付き合い方ができるでしょうか?答えは「ノー」ですよね。
人間、命あってのものだねです。
「命」に危機を晒すような人間に何の安心感や信頼感を抱く事が出来るでしょうか?