人間の世の中には、いいこともあれば悪い事もあります。
特に信用していた人から何らかの「裏切り」を受けてしまったら、もうその人とは以前のような付き合い方は出来なくなるかもしれません。
それはその人に対して「不信感」と呼ばれる心の壁が出来上がるからです。
それではこの「不信感」、どうしていつに時代になっても払拭することが出来ずに私たちの心の中に存在し続けるのでしょうか?
今回は「不信感」の意味について探ってゆくことにしましょう。
不信感とは?
それではまず「不信感」についての説明から入っていきましょう。
信じていない思い
「不信感」とは書いて字の如し、相手の事を「信じていない思い」という解釈でよろしいかと思います。
「信じられない」。
この思いは人間が世の中で生き抜いていくにあたって、これほど心にダメージを負わせられるものはありません。
それほど社会というか世に中というところは「信じる」気持ちが一つになっていないと秩序も道徳もマナーも全てがバラバラになってしまい、人々は何を信じていいのか分からなくなってしまます。
人間がこの世知辛い世の中を生き抜いていくためには、心の支えになるべく確固とした信用できる何かが必要になってきます。
それがないと人間というものは野生の本能が目覚め、醜い行動をいとも平気で行う事すらあるのです。
だから人間はもう二度と先の大戦のような惨禍を味わわないために相互にルールを作りそれを守ることによって互いに信じあう気持ちを構築してきました。
「信じる気持ち」があるからこそ人々は平和で快適な生活を送る事が可能になったのです。
「不信感」というものはそんな人々の心の拠り所を奪い去ってしまう恐ろしい存在なのです。
信用できないという気持ち
「不信感」のもう一つの解釈は「信用できないという気持ち」の事になります。
「信用」というものは一日や二日で出来上がるものではありません。
互いが信じあう生活をおくっていって、そこに「裏切り」という行為が長く存在しなかったときに初めて「信用」というものが人々の心の中に定着するのです。
だから人は初対面の人と会う時は、その人の事を信用できるかどうか、を最優先に考えるのです。
それくらい「信用」というもが育まれるためには「時間」が必要だ、という事がいえるわけなのです。
そういった「信用」のない相手や国に遭遇したならば、人は当然の如く「不信感」というものを心に芽生えさせるのです。
一旦、芽生えた「不信感」はそう簡単には消え去りません。
それくらい「信用」というものは、作り上げるには多くの時間がかかるのに壊れる時は一瞬にして壊れてしまう「脆い」ものなのです。
不信感を抱く原因
それでは次に参りましょう。
多くの方が「不信感」というものを抱いてしまう原因とは一体、何なのでしょうか?
不信感を抱く原因を細かく分析しながら紹介していきましょう。
全部で5個のご紹介です。
1.トラウマがある
不信感を抱く原因の1つ目は「トラウマがある」です。
「トラウマ」とは過去の嫌な、それこそ自分にとって最大の失敗やミスなどによって心の奥底に知らず知らずのうちに精神的なダメージを負ってしまい、それをなかなか克服できない状況をいいます。
不信感を抱かせてしまう原因として「トラウマ」は全く異論を差し挟む余地のない強烈な原因の一つなのです。
過去に裏切られた経験がある
「トラウマ」によって人に対する「不信感」を抱いてしまう最大の要因は、それまで信頼・信用していた人から手の平を返されたかのような酷い「裏切り行為」を過去に受けた事を挙げることができるでしょう。
それくらい「裏切り」というものは人の心に多大な影響を与えてくれます。
元来、人間というものは、相互信頼関係があって初めて望ましい人間関係を作ってゆける生き物です。
大前提として「この人は私の事を裏切らない、窮地に陥れない」という一種の約束事のようなものが心にインプットされるのです。
もし、そのようなものが当たり前のように「反故・破棄」されていたらどうなるでしょうか?人は根本の部分から誰も信用できなくなり、争いや抗争が絶えない社会になってしまうでしょう。
それくらい信用していた人からの「裏切り」は、その人から生きる勇気まで奪い去ってしまうくらい「罪深い」行為なのです。
信用しようと思う気持ちにブレーキがかかる
一旦、トラウマにかかってしまうと相手の人に対して信用しようと思う気持ちにブレーキがかかってしまい、良好な人間関係というものが以前のようには作れなくなってしまうようです。
これがトラウマによる心的なダメージであり、深い傷跡と言えるものなのでしょう。
何とかして以前のように人の事を信用しようとして他者と接しようと思っても、心の奥底の深層心理から急ブレーキがかかり是非を問わずその人を門前払いしてしまうかも分かりません。
「トラウマ」とはそれくらいタチの悪い「心の傷」という事になるのです。
信用して傷つくのが怖い
一度でもトラウマにかかってしまった人は、元の精神状態に戻すのに相当な時間を要することになってしまうのです。
それは、もう二度と信用していた人から裏切られて、心をズタズタにされたくない、という一種の恐怖心と闘っているからです。
つまり、裏切られる事に対して人並み以上に「怖い」というものが心に植え付けられてしまったからです。
この兆候は心が純で素直な人ほどかかってしまいやすいかもしれません。
反対に、世の中とはそんなものだ。
裏切られたり嘘をつかれたりするから、人間の成長があるんだ、という感じで開き直れる人になれればそう大きなダメージは被らないかもしれません。
いずれにしても、外見が強そうに見えても、ハートは瑠璃の如く脆いものを持つ人は世の中に五万といます。
人から裏切られるということは、それほど人が大事にしているものを奪い去ってしまう効力があるということが分かりますよね。
2.人間関係で苦労した経験がある
不信感を抱く原因の2つ目は「人間関係で苦労した経験がある」です。
そうでしょうね。
「不信感」というものはまさしく「人間」に対して起こるものです。
ペットの動物や観賞用の植物に対して不信感といった感情が湧き出ることはまずありません。
それは犬や猫は決して人間を裏切らないからです。
しかし、人間というものは一筋縄ではいきません。
いくら仲が良い友人同士であっても意見の完全一致などまずあり得ないのです。
そしてそこにそれぞれの人間の「損得勘定」が発生してくると、もう手の施しようがありません。
いくらこちらが気持ちをリセットして人間関係の改善を図ろうとしても取り付く島もない状況となってしまうのです。
良好な人間関係を築きにくい
一度でも人間関係で苦労をした経験を持つと、人間はどこか相手に対して恐怖感を持ってしまいます。
それは一種の「トラウマ」のようなものなのかも分かりません。
つまり、こちらがいく誠意をもって相手に接しても、「また頃合いを見て平気で私の事を裏切るのではないか?」という猜疑心が沸き起こってくるからです。
こういった心情になってしまうと素直に相手の好意を受け取る事が出来ません。
結局、こちらの心の窓をオープンにすることなくどこか喉にものが刺さったような間柄で物事が進行していく、という情景になってしまうのです。
これでは永遠に不信感を拭い去ることは出来そうにないでしょうね。
トラブルが起きるのではという心配がある
つまり、過去の苦い人間関係上の経験が、今後の新たな人間関係に対して大きく悪影響を与えてしまう、という訳です。
本当にこれは困ったものです。
人間関係での苦労は実際、私にもごまんとあります。
事の原因はこちらに原因があるものもあれば相手側に問題があったケースもあります。
ただ、その時の苦労の度合いが大きければ大きいほど、その本人の心の傷が深くなり、容易に治癒されるような状況ではなくなることは想像がつくでしょう。
不信感を作り出す原因の大きなものとして、「過去の人間関係で苦労があった」という事実は疑うべくもないれっきとした原因となるでしょう。
3.嘘をつかれる
不信感を抱く原因の3つ目は「嘘をつかれる」です。
人間の心というか精神構造は、そんなにやわには出来ていませんが、かといって鉄のように何者にも動じないほどの完璧さは持っていません。
いえむしろ、瑠璃の輝きのように脆い精神構造をしている人間の方が今の時代、圧倒的に多いのではないでしょうか?
戦中・戦後という時代を生き抜いた人々には、今の時代に欠けている「ハングリーさ」というものをほとんどの人がもっていました。
今日・明日の食べるものがなかった時代です。
生きてゆくためには人間、何でもしなければならない時代でした。
そのためには時には嘘もつき、時には暴力にも頼ったことでしょう。
そんなよくない事でも、やらなければ食べてゆけなかった時代だったのです。
それ故、当時の人々の心の強さは今の時代の人達に比べればはるかに強かったことでしょう。
それでも「嘘」をつかれるダメージは今も昔も変わりません。
いくら心が強かった昭和世代の人たちでも「嘘」に対しては並々ならぬ「嫌悪感」を持っていたのです。
やはり「嘘」はいつの時代になっても人々の心の中に「不信感」を芽生えさせる病原菌のようなものだからです。
事実を偽られた経験がある
「嘘」というものは全ての事実を偽ったものです。
「この人は信用に値するいい人だ」、と思っていた概念を180度ひっくり返されるわけですから、その反動はあなたの心を大きくえぐり、深い傷跡を残してしまうに違いありません。
このような「事実の偽り」を、悪意を持って平気で行う人間に対して、誰が正常な気持ちでいられるでしょう。
このような経験の積み重ねは人を「疑う」という嘆かわしい心根に変えていってしまいます。
人間不信のない世の中を真っ向から突き崩す愚かな行いなのです。
また嘘なのではないかという気持ちが働く
一度でも事実を偽って近づいてくる人間から嫌な思いをさせられてしまうと、人間不信になるな、と言われてもどうしようもない不信感があなたの精神を支配してしまい、正しい判断力を失ってしまうでしょう。
それ程、人から騙されたり嘘をつかれる、という行為は人間にとって恐ろしいほどの「罪悪」と言えるのです。
甘い言葉や優しい言葉をかけられても心から喜べないのは、あなたのそういった辛い経験がまだ消え去ってくれないからに他なりません。
いつかは時間が解決してくれると思いますが、「嘘をつかれる」という行為は、人間の心に「深い大きな傷をつける」ということを世の全ての人間たちは肝に銘じて行わないようにしたいものです。
4.規則を破っている
不信感を抱く原因の4つ目は「規則を破っている」です。
人間の生活というものは、組織の大小に関わらず、ルールや規則、規範というものが存在します。
これらを守って生活していくことが良き大人の見本として正当化されるのです。
もし、そういった規則やルールを平然と破る人が自分の周囲にいたらどうでしょうか?あなたはその時、どういった感情を抱くでしょうか?
「規則を破る」という一種の裏切り行為がどのような影響を私たちに与えるのか、それを考えていきましょう。
危険を感じてしまう
規則を破る事で感じるものの1つ目は「危険を感じてしまう」です。
例えば、交通ルール。
自動車が赤信号を守らずに横断歩道を渡っている人の群れに突っ込んできたらどうなるでしょうか?
また、歩行者も信号を守らずに赤信号を平気で交通量の多い道路を渡ってきたら、いったいどのような事が起きてしまうでしょうか?
このように私たちの日常生活はこういった「命」の危険から身を守るべく「規則」が無数に存在しています。
それらの「規則」を平気で破る人間に対して、果たして普通の付き合い方ができるでしょうか?答えは「ノー」ですよね。
人間、命あってのものだねです。
「命」に危機を晒すような人間に何の安心感や信頼感を抱く事が出来るでしょうか?
ハッキリ言ってそういった人たちには「不信感」しか抱かなくなるのですよね。
自分の身に「危険」を感じさせてしまう人間。
不信感以外のなにものもそこには存在しないでしょう。
安心を壊してしまう相手だと認識
規則を破る事で感じるものの2つ目は「安心を壊してしまう相手だと認識」するという事です。
先程も例に挙げました通り、交通ルールを平気で破る人の運転する車に誰が乗りたいと思うでしょう。
車というものは1トン以上ある鉄の物体です。
そんなものが時速40キロ以上でぶつかってきたら、人間なんてひとたまりもありません。
運が悪ければ即死でしょう。
それくらい「車」というものは「命」を預かって運転しているものなのです。
「命」を保証される生活は全ての人間が根源的に望んでいる生活のはずです。
それを脅かす人間と一緒に暮らすなどということは「安心」を放棄した暮らしと同じだということですよね。
誰が自分の身の安全に危害を加える人間と一緒になろうとするでしょう。
不信感というものは自身の生命の安全を損なうものに対して断固として芽生えてしまうものなのです。
5.ネガティブである
不信感を抱く原因の5つ目は「ネガティブである」です。
この「ネガティブ」。
いわゆるマイナス思考というか全ての事を悪い方、悪い方にとる考え方です。
そして不信感を抱く原因としての「ネガティブ」さには自身と相手の両者に当てはまってしまうのです。
つまり相手がネガティブ思考の人間ならば当然の事としてこちらはいい気分がしませんし、その人のことを信用するようになるには余程の信頼関係がない事には難しいという事なのです。
それプラス、自分自身が「ネガティブ思考」な人間であったなら、これも同様に相手の事を信用できなくなってしまいますね。
全てを悪く否定的にとってしまう「ネガティブ思考」は相手に対するというよりもこの世の全ての事象に対して「不信感」を抱く、という事になってしまうのです。
マイナスな発言が多い
「ネガティブ思考」の特徴で何といっても多いのが「マイナスな発言」です。
つまり「できない」「わからない」「やりたくない」「人のために労を惜しむ事など絶対にやらない」などといった言動や行動パターンです。
そこにプラスして人への悪口や妬み、つらみの感情が入ってきます。
つまり、自分以外の他者に対して一遍の同情も感謝もない、という事になるのですね。
こういった考え方を持ってしまうと確かに何に対しても信用する事が出来ず、自分の気に入ったものでない限り、受け入れることは一切できなくなります。
これがネガティブ思考の人間の特徴といいますか、人間性になるわけです。
仮にあなたがネガティブ思考ではないごく普通の考え方のできる人間だったとしましょう。
あなたの職場に仮に一人でもこのようなネガティブな考え方を行う人がいたとしたら、あなたはどうするでしょうか?
積極的にその人に対して話しかけたり世話を焼いたりしますか?
ネガティブ思考の人間に対してこのような行いのできる人は、ある意味ですごく出来た人間だと思います。
私は、ネガティブ思考というものは周りによくない「負の感情」や「ツキを奪う」効果があると考えています。
だから、普段はネガティブな発想の人には決して近づきません。
そうすることが余計な不信感を抱かずに済むからです。
でも、そんな私の考え方を超越して自身に嫌な事が降りかかってきても全然気にせず、そのネガティブな人と普通に対応できる人が出現したとしたら、私はその人に対して大いなる「敬意」を表しその人に近づいてどうやったらそこまで「徳」を高める事が出来るか研究してみたいですね。
もしかしたら、その人はこの世に現れた「神」の化身かも分からないからです。
だって、誰だって不信人物には近寄りたくないですものね。
それが平気で出来る人の人間性というものの正体を知りたい、と思うのも無理からぬ話だと思うのですが。
ちょっと話が横道に逸れてしまいましたね。
不信感を抱いた時の対処法
それでは次に参りましょう。
今度はあなたが実際に不信感を抱いてしまった時の対処法についてです。
不信感というものは一旦、心に芽生えてしまうと、なかなか払拭することが出来ません。
そういう状況になってしまった時、果たしてどのような行動に出たらいいのか、についてご紹介して参りましょう。
全部で3個のご紹介となります。
1.期待しない
不信感を抱いた時の対処法の1つ目は「期待しない」という事です。
人間はどうして第三者に対して不信感というものを抱いてしまうのか?
それは人間が本能的に持つ、人を疑ってはいけない、という気持ちが働くからでしょう。
人間というものは幼い頃から、誰とでも仲良くしようという教育を施されて大きくなっていくものです。
子供のうちから見る人すべてを疑って書かれ、というような刑事の精神構造を叩き込まれる子供というのは、まずいないのではないでしょうか。
だから、人間社会には「裏切り」という事態が起こってしまうのです。
「裏切り」は人間が人間の事を信用している事を大前提にしているから起こってしまうものなのです。
もし、人間の社会がそれと全く正反対で全ての人間を敵とみなして一切の信頼や信用というものがない社会を作り上げていたら恐らく「不信感」と呼ばれるものは誕生しなかったでしょう。
とにかく、仲の良い人間関係を作り上げることは、その人の事を信頼し、期待するものですよね。
そこからより良い人間関係というものが構築されるのですからね。
裏切りを感じなくなる
よって、ある人間に対して「不信感」を覚えてしまったのなら、思い切ってその人物に対する「期待」や「信頼」といったものを捨て去ることです。
そうすればその人からの「裏切り」は一切感じなくなるはずです。
ただ、口で言うのは簡単ですが実際に行うとなるとそう簡単にはいかないでしょう。
今まで普通に付き合ってきた人を、いくら不信感が出来たからとはいえ、あなたの思惑で一方的に期待をせずに距離を置くようになるのですから。
当然、相手の人が何らかのアクションを起こしてきます。
その時にあなたは自然に、慌てないで対応しなければなりません。
正面切って「あなたに対して不信感を持った」と言ってしまえば、相手の人も黙っていないかも分かりませんからね。
よって表面的には普段通りにしておいて心の中の「期待感」だけは消去しておきましょう。
こういった心の持ち方があなたの気持ちを楽にさせてくれますよ。
2.自分をコントロールする
不信感を抱いた時の対処法の2つ目は「自分をコントロールする」です。
自分をコントロールする。
つまり「セルフコントロール」という事になりますね。
自分の意思で自分の感情や気分を、その時の状況や出来事に左右されることなく、何事もなかったかのような表情でやり過ごす。
これが「自分をコントロールする」という事になるのでしょうね。
例えば、あなたの職場の同僚があなたとの約束を反故にして平然とした顔をしてあなたに近づいてきたとします。
あなたは約束を破られた怒りの感情でどうしようもない気分です。
しかし、ここで露骨にそれを露わにしてしまう対応を取ってしまえば、あなたが悪くなかったはずなのに周囲から見たら、あなたがその友人をとっちめているように見えるかも分かりません。
これでは踏んだり蹴ったりの結果しか残りませんよね。
よってそういった余分な解釈をあとあとで生まないようにするためにも冷静な「自己コントロール」という手法をマスターしておきたいのです。
気分が一定に保てるようにする
「自分をコントロールする」するためにはまず自身の気分や感情を一定に保てるようにしておかなければなりません。
それが出来ないことには、あなたはいつまでたっても「不信感」というものから脱出することが出来ないでしょう。
しかしながら、自分の気分や感情を一定に保つ、という事ほど簡単にはいかないことはありません。
いえ、むしろ世の中の大多数の人が、この不安定な精神状態の餌食になって、自身の感情コントロールに失敗しているのです。
それほど「気分を一定に保つ」ということは難しいことなのです。
周囲に惑わされない
ですが、完璧に気分を一定にすることは出来なくとも、状況に応じた気分の使い分けならば可能でしょう。
何もいついかなる時も感情や気分を一定にする必要はないのです。
肝心な時にだけ己の感情を厳しく律して周囲の雰囲気や動向に惑わされないようにすればいいのです。
そのためには日頃から気持ちの「オン」と「オフ」の使い分けを常に意識しましょう。
つまりあなたが取り乱さない、という事です。
あなたが取り乱してしまったら、事態はますます悪い方向に突き進んでしまいます。
周囲の状況にいちいち反応していたら、神経の休まる暇がありません。
逆にそんなことをやり続けていたらあなたの神経は確かに衰弱し、自己コントロールどころの騒ぎではなくなってしまうでしょう。
よって、今日から取捨選択していきましょう。
本当に自分にとって必要なものは取り込む。
しうでないものは聞き流す。
この手法を常に意識して生活していきましょう。
きっとあなたの心に巣くっていた「不信感」というものはこの先、徐々に消滅していくことだろうと思いますよ。
3.他人を気にしない
不信感を抱いた時の対処法の3つ目は「他人を気にしない」です。
あなたは他人の事に配慮し過ぎていませんか?
あるいは周囲の人の評判を気にし過ぎるあまり、必要以上に神経を使いすぎていませんか?
ハッキリ言って、自分の事を可愛がれない、あるいは好きになれない人間は段々、人間関係に疲れてしまい周囲に起こる様々な事に対して全く関心を持てない人間になっていってしまう可能性がありますよ。
それはあまりにも周囲の自分への評価・評判を気にし過ぎて生きているからです。
つまり心のどこかで「ビクビク」しながら生きている、という事になってしまうからです。
自分は自分
人間、いくら周りの人間に「ヨイショ」したり「おべんちゃら」を言ったりしても自身の心は満たされないでしょう。
そればかりか、そんなことを続けていたらいつか自律神経をやられてしまい「本当の自分」を見失ってしまう事態にならないとも限りませんよ。
広い世の中、所詮は自分の力で生きていかなければなりません。
他人はいざとなった時にあなたの事を助けてはくれないでしょう。
そうなれば頼りになるのは「自分」だけです。
「自分は自分」と開き直って生きてゆくことで、あなたの活路は大きく変化してゆくことになるのです。
そうなれば、もう今までのように自分の事が好きでないから、他人に依存して生きてゆく、という姿勢が変わるはずです。
「自分は自分」と気付いて生きてゆくことがこんなに楽で素晴らしい生き方だったのか!とつくづく思える日がくるはずなのです。
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自分に自信をもつ
つまるところ、自分に自信を持って生きていこう、という事になりますね。
自分に自信があるという事は、最低でも自分の事が好きなはずなのです。
そうでなかったら、自分に対する自信というものも生まれてきませんからね。
不信感を持つ多くの人の悩みは、恐らくこの1点に尽きるのではないでしょうか?とにかく自分に対して「自信」を持ちたい。
ズバリ、その一言に尽きるでしょう。
確かに「自信」というものは一朝一夕には出来ません。
逆に一日や二日程度、じっくり考え上げた末に、自分の長所を選び出してそれが自分の自信につながる、という発想を持ったとしても所詮、それも本当の意味での自身にはつながらないでしょう。
「自信」というものは、頭で考えて出来上がるものではありません。
あなたの積極的な行動とその結果の場数の蓄積が自信につながっていくのです。
だから、「自信」というものはそう簡単には身につかないのです。
でも、諦めずにコツコツやっていく人には必ずや何らかの「自信」が身に着きます。
これは実際に私がそういう経験をしてきたから、言えるのですよ。
「自信」は、どんな人でもその気さえあって行動と経験を積んでゆけば出来上がってゆきますからね。
【自分に自信を持つ方法は、こちらの記事もチェック!】
上手にケアしていこう
如何だったでしょうか?
今回は「不信感」について
・不信感とは?
・不信感を抱く原因
・不信感を抱いた時の対処法
という内容を元にして紹介して参りました。
人間、長く生きてゆけばそれだけ様々なトラブルに遭うものです。
そういったトラブルがこじれてくれば、否応なしに世の中に対する「不信感」というものが心に芽生えてくるものなのです。
だから、「不信感」というものを感じ取ったという事は、あなたが責任感ある一人の大人として成長していった証でもある、と言えるのですよね。
よって、ここは素直に自身の成長に対する気持ちを表すべきなのです。
それから不信感を抱かせる数々のトラブルに対して対処していきましょう。
ただ、何事も真面目にやり過ぎるとろくなことがありません。
適度に力を抜くコツも覚えましょうね。
自分の心を上手にケアしながらオンとオフを使い分けて対処する。
そうすれば今まで感じていた「不信感」というものが次第に薄らいでゆくと思います。
要は気持ちをプラス思考に変えてゆくことができるかどうかでしょう。
クヨクヨ悩み過ぎていたら神経が持ちませんからね。