では、協力はどのようにとらえればいいのかと言いますと、協力をしていただける人が周囲にいることは才能だと思えばいいのです。
もしくは、協力を仰げることも才能だと思えばいいのです。
ある意味、こんな競争社会の中で、協力を仰ぐことができるのは才能以外の何物でもないのではないでしょうか。
助けるのと助けられるの、どっちが多い?
では、あなたは助けられるパターンと、助けるパターンどちらが多いですか?
おそらくほとんどの人は自分が助けたことをよく覚えれいると思うので、助けるパターンが多いと思っている人が多いです。
しかし、本当にそうでしょうか。
昔から日本は相手を助けることを大切に教えられてきましたが、最近はその考えを悪用している人たちもいます。
そのため、自分を弱く見せて協力を仰ぐ方もいらっしゃるのです。
そのため、協力を仰ぐことに関してネガティブなイメージを持ってしまうのです。
しかし、この助けるということですが、実は、本当に大切にしないといけないのは、助けられたことの方です。
なぜかというと、日本の古くからある言葉で恩送という言葉があります。
これは恩を送ることを意味します。
そう言われると、恩を送るだから助けることの方が重要ではと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、違うのです。
奥深く考えると、送られた恩に対してピカピカにして返さないといけないのです。
つまり、助けられたことを覚えていることが恩を送るうえで、大切になってくるのです。
つまりは助けることばかりにピックアップするのではなく、助けられたことも大切にしないといけないのです。
恩は送るばかりではなく、循環するのです。
恩を循環させることでお互いに助け合おうという風習になっていくのです。
助けられたら、それ以上に相手に対して助けないといけない。
また、そうすることでさらに助けて頂ける。
負の連鎖ならぬ、喜びの連鎖になるのです。
ぜひ、そうなってお互いに喜べる世界にしましょう。
日本人は助けることを美徳とする
では、なぜ日本人は助けることを美徳と思うのでしょうか。
それは島国であることも大きく影響をしています。
島国故に交流する人が限られているからです。
つまりは、大和民族としか交流をしていないのです。
故にその1族だけと一緒に生活していかないといけないので、相手を助けてなんぼと思っているのです。
相手を助けることで自分の立場が上がると思っている人も多くいらっしゃいます。
助けることは美徳ですが、前文でも説明したように、恩送から助けられることも美徳なのです。
しかし、自分の立場を考えるようになってからは助けることの方を美徳と思うようになったのです。
ここ数年、流行語にもなった「お・も・て・な・し」という言葉が使われ始めましたが、実はこの言葉、おもてなしたほうが使う言葉ではなく、もてなされた方が使う言葉なのです。
そう考えると、もてなしている方が使っていると違和感しか感じないのです。
大げさに見てしまうと、傲慢な感じもします。
しかし、これが助けることを美徳と思ってしまう日本人に根付いてしまっているのです。
助けることは悪いことではありませんが、その分自分も助けられていると考えると、日本人の美しき習慣が垣間見えるかもしれませんね。
助けられてばかりいる人のイメージとは?
助けることの方ばかり説明してきましたが、では、助けられる方はというと、弱いようなイメージを持たれている方が多いと思います。
特に能力が低くて自分でできることが少ない。