辞書を引くと、決裁とは「権限のある立場の者が部下の提出した案の可否を決定すること」とあります。
会社で仕事に必要な機器を購入したいとき、新しい企画案や提案などを社長に認めてもらいたいときに「決裁を仰ぐ」ことになるのです。
社長の決裁が下りると、はじめて申請した機器の購入や企画案を進めることができるのです。
決裁が下りた時には、仲間内では「OKが出たよ!」と言って喜ぶのです。
「けっさい」でも「決済」という言葉があります。
これは「決裁」とよく混同されますが、この違いは明確です。
手形や現金などのお金に関する承認を得ることを「決済が下りた」と表現します。
売買取引が完了したことを表すのです。
例えば、何かの仕事に使う機器を購入したいときに、まずは購入しても良いかという決裁を仰ぎます。
社長の判断で購入する方向で決裁が下りた後に、実際の物品の支払いや受け渡しを終えることで決済が完了するのです。
「決済」は売買の取引を終えることなのです。
まとめると、「決裁」とは決定権のある人に案件の可否を決めてもらうことなのです。
「決裁を仰ぐ」と言うのです。
決裁を求める
「決裁を仰ぐ」というのは、部下が提案した案件の可否を決めることですが、上司の主観や事情によって必ずしも優れた案件が通るとは限りません。
以下にこの案件が会社にとって有効なものであるということを訴えるには、決裁を求める資料の添付も有効です。
内容が一目でわかるような簡潔な内容の資料が効果的です。
この提案の背景や有益性など、決裁書とは異なる視点でまとめるのがポイントなのです。
連想される言葉
では次に、「判断を仰ぐ」という言葉で連想される言葉を考えてみました。
判断を仰ぐ場面なのですから、そこに来るまでにいろいろと打ち合わせたり議論したりして来たに違いありません。
そして、これ以上は我々で考えても仕方がないという結論になったはずです。
誰かが、「ここは、上司に判断を仰ごう」という意見を出して、みんながその意見に賛同したと思われます。
どちらかというと決裁を仰ごうというよりも、決裁を求めているような雰囲気のはずです。
集まっている仲間の全員の知恵の結晶とでも言えるかもしれません。
だから、何とか「GOサイン」をほしがっているのです。
最終的なもの
誰かが簡単に思いついたことではないと思います。
時には、何日も議論を積み重ねてあらゆる情報をかき集めた上で出した最終的なものなのです。
その時点では、誰しもそう思っているはずです。
自分達がまだ経験が浅いとか、考え方が幼稚だとかいろいろと問題点もあるのは分かっているのですが、それでもこれがベストだという熱意が込められているのです。
そんな状況では、決裁を求める時には「これが最終的なものです」と自信を持って提出するはずです。
最終的なものと拘っていることは、これで決裁を仰ぎたいという気持ちの表れなのです。
確かになる
自分達で考えた提案は、練りに練ったものであるのできっと決裁が下りるという自信はあるのです。
同じような提案でも、過去には決裁が下りなかったという事例も、仲間の誰かが探し出したようです。
その事例に照らし合わせると、今回の我々の提案とよく似ているということも分かりました。
決裁が下りなかった大きな理由は、時期尚早ということだったようです。
当時の決裁権を持つ役員の誰かが、直感的に不可としたようなのです。
他の役員の中には、非常におもしろい提案だという評価をしていたようなのですが、当時の会社の状況から鑑みて今はまだ早いという結論に至ってしまい、採取的に決裁が下りなかったようなのです。