行動を起こすときの方針とか原則という意味のポリシー(Policy)。
もっとお固く言えば、「生きていくうえでの信念・信条」とも言えるでしょう。
人がこの世で生きていくうえで、このポリシーを持つことが何より大事だと言われています。
また、仕事や商売、政治、教育といった社会的活動を行う上では、他人が関わる物事であるため、精神的見地から自分という主体が持つポリシーも大事ですし、他人との間で取り決める実務的ポリシーも必要となります。
今回はそのポリシーが、なぜ人が生きていくために必要なのか、なぜ社会になくてはならないのか、皆さんと考えていきたいと思います。
ポリシーを持つことが大切な8個の理由!
それでは、ポリシーを持つことがなぜ大切なのか、8個にまとめてみましたので、ご覧ください。
1.効率化に繋がる
ポリシーとは行動を起こすとき、もしくは物事を行う上での方針です。
例えば、あるゴールに到着するために、いつまでに、何に乗って、どの道を通って行くようにするのかを決めたものと考えると分かりやすいでしょう。
ですから、ポリシーを持つ、定めるということは、その目的地にたどり着くための最短、もしくは最適な交通手段を選択するということであるため、業務やプロジェクト遂行の上で作業の効率化につながります。
言動の基準ができる
物事を行う上での方針であるポリシーがあると、その物事に関することのみならず、日常の言動なども、ポリシーに沿うようになります。
つまり、自身の言動に基準ができます。
それは、単なるその人の「性格」に過ぎないんじゃないかと思ったりしますが、「性格」というものは、その人が無意識のうちに身についていくものです。
一方で「ポリシー」というのは、その人が意識して持とうとするものですので、やはり「性格」とか「性分」とは全く違うものです。
ただ、自己のポリシーを定める際に、少なからず自分の性格が影響することはあります。
選択肢に都度、迷うことが少なくなる
ポリシーを持つことによって、言動の基準ができるため、何かを、もしくはどちらかを選ばなければならない時、その都度迷うことが少なくなります。
「自分はこうする」という決め事がはっきりしているので、それに従えばよいだけだからです。
つまり、ポリシーを持つ人の前には道は1つしか見えていないと言えるでしょう。
人生は選択肢とその選択の連続です。
人は次の瞬間の自分の行動をどうするかいろんな選択肢がある中の1つを選んで行動しています。
毎日同じ時間には出勤していて、それは選択の余地がない気もしますが、別に今日会社を辞めて遊びに行くことだって、不可能ではありません。
現にそんな行動を選んだ人だっていることでしょう。
大げさな話かもしれませんが、そのように選択肢だらけの人生、ポリシーを持つことによって、選択に迷うことも減り、スムーズに生きていくことが可能になるでしょう。
自分軸で素早く決定できる
世の名の物事って、何を選択すれば正解なのかなんて、誰にもわかりません。
ですから、ポリシーがあったとしても、正解を選ぼうとすると迷ってしまいます。
ただ、ポリシーを持つことによって、自分軸で素早く決断できるようになります。
正解なんて誰にもわからないのだから、長々と迷っていても時間の無駄かもしれません。
逆にポリシーを持って選んだ選択肢こそが「正解」と言えるでしょう。
もしくは、その自分のポリシーが選んだ選択肢に意味を与えるのかもしれません。
いずれにせよ、自分の人生の選択肢ですから、自分軸で迷うことなく素早く決定していくことで、生活に余裕も生まれそうです。
2.学びが多くなる
先ほど、ポリシーとは目的地に向かうための最適な交通手段を使うことだと説明しましたが、これを、ポリシーを持たずに行うということは、「見切り発進」と言えるでしょう。
いつまでに行けばいいのか、お金はいくらぐらい持っていけばいいのか、まったく見当もつかない旅にでるようなものです。
そういったことが必ずしもすべて悪いわけではないのですが、案外「旅」って、行き当たりばったりよりも、計画立てて行く方が学びが多くなるものなんです。
というのは、前者は気のみ気ままで家を飛び出せばいいだけですが、後者は旅の計画を立てなければなりませんから、交通手段、宿泊場所、予算といった旅に必要な準備を家にいる出発前からしておかなければなりません。
準備段階から勉強できているのです。
もちろん、準備段階だけの差ではありません。
後者にはその旅先を選んだ動機がありますから、そこで多くを見よう、聞こう、知ろうという意識が高く、学びも多くなるのです。
「自分探しの旅」と称して行き当たりばったりの旅行をする若い人もいますが、その旅もしっかり計画性をもって出発した方が学びが多くなり、自分というものが見つけやすいかもしれませんね。
どんな出来事にも主体性
ポリシーがあるということは、自分をしっかり持っているということです。
ですから、多少頑固なところがあったりするかもしれませんが、周りの意見に流されることはありません。
そして、どんな出来事にも主体性をもって受け入れたり、取りかかることができるでしょう。
人の考えや価値観に、こっちが正しい、あっちは間違い、ということは決めつけられません。
しかし、一方では、見たもの、聞いたもの、経験したものを自分に取り入れていかなくては人は成長しません。
それが、普段何気なく通っている学校の勉強などになるんですが、その受け手側の自分に何かしらの「方針」、つまりポリシーがあると、物事の正誤という判断ではなく、「自分にとっていいもの、もしくは必要なもの」かどうかという判断をするようになります。
つまり、自分から主体的に物事を判断し、取り入れていくようになります。
常に体験から新しく身に着けようとする
主体的な物事の捉え方をするとなると、どうしても、人から聞いた話や人が書いた話だけでは、それが自分にとって「為になるのか」判断できません。
そこで、ポリシーがある人は、常に自分から物事を体験することによってそれを身に付けようとします。
これは、物事は聞いただけ、読んだだけでは信じられないものだという訳ではなく、聞いたり、読んだりした話のなかで自分の為になりそうなものだと思ったら、やはり自分自身が体験しないと、自分のためにはならないとわかっているということです。
また、そういう考えができるようになると、人は「謙虚」になります。
自分の目で見たわけでもないのに、その素晴らしさを語ることはできません。
人から聞いた話をいかにも実際に見てきたかのように話す人もたまにいますが、ポリシーのある人はまずそのようなことはしません。
自分自身が体験したことだからこそ、自信を持って話すことができ、聞いたことはあるが未だ経験したことが無いことは、人から聞いた1つの情報として他人に教えることはあっても、自分の体験談のごとく話をしたりはしないでしょう。
自分の価値観、判断が見えやすくなる
主体的に物事を考えることができるようになり、自分のためになる経験を重ねていくことによって、自分の価値観や判断も浮き彫りになっていきます。
ポリシーを持つことによって、更に自分自身というものがわかるようになってくるということですね。
実は、ポリシーを持つことについて、勘違いしてしまいがちなのが、「意地を張る」だとか、「こだわる」といった感情的な要素が入った意思によって作ってしまった信念を「これが俺のポリシー」としてしまうことです。
それもまあ、ポリシーと言えばポリシーなんでしょうが、人の意見とか考え方とか、仕事ぶりといった動作的なことにおいても、自分の感情が混ざると、自分勝手なものになりかねません。
ポリシーは人の意見や間違った情報に流されない為の行動指針とは言え、自分勝手なものであるのはいただけません。
もちろん、自分のポリシーは自分勝手に決めてもよいわけですが、「自分勝手なもの」にしてはいけません。
他者と共存していかなくてはならないこの世界では、自分のポリシーを構築する上で、自分の周りには社会があり、他者が存在するということは必ず考慮しなくてはなりません。
そこで、そういった社会や他者の存在を考慮してポリシーを打ち立てていくなかで、自分というもの、価値観とか判断基準とかいうものが見えてくるわけです。
何か自分というものが客観的に「私ってこういうところがあるんだ」というように気づけるようになると、その人のなかで間違いのないポリシーが創られている証です。
3.自分に必要なものがわかる
物事を行う上で方針が定まっていたら、それを行うために必要なものがわかってきます。
つまり、自分に必要なものが見えてきます。
自分に必要なものとは、物質的なものであったり、も精神的な力であったりします。
なくてはならないものを引き寄せられる
自分に必要なものがわかると、自分の行動がそれを手に入れるという目的のみに絞られます。
それが一番の近道になります。
また、逆に目標を検索する為、視野が広がり、必要なものに関する情報が自然と入ってくるようになります。
今まで気にも留めなかったことが、最近気になることに関連することであったりすると、それらがよく視界に入ってくるようになります。
例えば、仕事で英語を話すことが必要とされるようになったとします。
すると、通勤電車の中から眺める景色の中や電車の車内広告に英会話教室の看板やバナーがあるのに気づきます。
毎日乗る電車で毎日眺めていた景色なのに「あんな看板いつからあったんだろう」とふと思う、あの感覚です。
つまり、自分が必要とする、自分にとってはなくてはならないモノが徐々に自分に近寄ってきている。
引き寄せられているんですね。
無駄がなくなる
山の頂上に登ったあと、山頂から下を見下ろすと、今来た道の他に別の登山道があることに気付いたとします。
そして、その別の登山道の方が距離が短く登りやすそうだったりすると、「あっちの道を選んで登ればよかった」と思うかもしれません。
しかし、果たして本当にそうだったのでしょうか。
もしかしたら、その別の道には人食い虎が伏せて獲物を狙っていたかもしれません。
もしくは、何者かによって落とし穴が掘られていたり、または、その日は天気が良かったものの、大雨が降っていたら土砂で崩れてしまっていたかもしれません。
何が言いたいかというと、目標達成までの過程において、目標に向かって歩き始める前も、達成後も、その歩んできた道が正解だったか、最短距離だったかというのは、誰にもわからない。
ということです。
しかし、ポリシーがあり、自分の必要なものが解っていれば、どんな険しい山道で、どんなに長距離であっても、その道を通らなければ手に入れられないのならば、突き進むしか選択肢はないわけです。
つまり、「他に選択肢がない」という状況こそ「無駄がない」ということになります。
4.ぶれない自分になれる
ここまでに読んできておわかりのように、ポリシーというのは「コレするときはこれだ」という方針になりますから、それから脱線すると、ポリシーでも方針でもなんでもなくなります。
それらを定めた意味が無くなります。
しかしながら、ポリシーは強い意志の表れとも言えますから、それを持った時点でそこからの「脱線」というのはまずありません。
「脱線しない」つまり、「ぶれない」自分になります。
また、脱線でなく、もう一本線路があり分岐になっていても、どちらの線を選べばよいか初めからわかっています。
どちらに切り替えればよいか迷うこともありません。
常に平常心でられる
迷いがない、ぶれない精神力があれば、常に平常心でいられるでしょう。
問題が起こっても、選ぶべき道を知っていますから、あわてることがありません。
また、特に問題が起こらなくても、日常的に落ち着いて仕事や生活ができるようになります。
それもやはり、選ぶべき道をしっており、必要なものがわかっており、無駄のない生活と思考ができているためです。
感情をコントロールできる
一般的に、すぐ怒ってしまう、すぐ泣いてしまう性分を「感情をコントロールできていない」と言うのだと思います。
ではその逆で「怒りたい時に怒る」ということが「コントロールできる」という事なのかというと、そうではないですよね。
腹の立つことや、ショックなことがあっても、気持ちを落ち着け、感情ではなく、思考によってその出来事を捉えることができるという事が「感情をコントロールする」ということです。
怒ったり、泣いたりすることは悪いことではもちろんありません。
しかし、悪いことではないんですが、この世の中に「怒りたい」「泣きたい」と思っている人はいません。
だから、怒るとか泣くというのは「やりたい」ことにはならないはずです。
ならば、「怒りたい」と思ってないのに怒ってしまうのは、感情に流されて、やりたくないこともついやってしまっていることになります。
コントロールができていないということになります。
だから、ポリシーがあれば、やりたいと思わないことはやらなくて済むでしょう。