人間には大きく分けて2つの種類に分類されるのかもしれません。

それは「いい人」あるいは「善人」。

そしてもう一つが「悪い人」「悪人」というものです。

今回、テーマに掲げております「親切な人」はもちろん、「いい人」「善人」の範疇に入ってくる人達の事です。

如何でしょう?あなたは自分の事を「親切な人」と断言できますか?それとも否ですか?

世に言うところの「親切」というのは簡単そうに見えて、自分がその通りに生きてゆこうと思ったら、これが物凄く難しいもの、という事に驚愕してしまうくらい深いものなのです。

では、今回はこの「親切」及び「親切な人」という事をテーマに取り上げて徹底的に掘り下げてゆきたいと思います。

あなたの周りには本当に親切な人はいますか?

本文に入る前に改めて問いたいと思います。

あなたの周りには本当に親切な人はいますか?また、自分自身はどうでしょうか?人に親切にやっていますか?

この問いに即座に「はい」と答えられる人はむしろ、怪しいものがあるかも分かりませんね。

それくらい「親切」というものは簡単に人に対して行えるものではないからです。

真の「親切」は、幼少時からの躾や親の生き方を見て自然と学び取っていけるものがそうだと思います。

大人になってから回りがそうしているから、自分もそれに合わせて真似しているだけでは、とても本物の「親切」とは呼べないのです。

では、心から親切だと思えるような行動とはどのようなものを指して言っているのでしょうか?その事について次節で考えてみましょう。

心から親切だと思う人の特徴

ではここからは「心から親切だ」と思う人の特徴についてみていくことにしましょう。

どのような特徴を持っていたら、「この人って本当に心から親切な人なんだ」と思ってもらえるのでしょうか。

それをじっくりとみていきましょう。

全部で21個のご紹介となりますよ。

素直で受け入れる

心から親切だと思う人の特徴の最初の1つ目は「素直で受け入れる」です。

人が人に親切になろうと思ったら、心に邪な気持ちがあったらまずできません。

そこに「損得勘定」というものがある限り、素直に受け入れる、という気持ちというものは持てません。

「素直」とはどのような事であっても人を疑わず、例え自分に損が回ってこようともそれをも受け入れる度量の広さが求められるのです。

だからこそ、自分の得にならないような事でも人に親切に出来るのです。

人から何かを頼まれたとしても、疑ってかかる事がないのですから当然でしょう。

私も自分の経験を言って申し訳ないのですが、全く人に対して素直になる事が出来ませんでした。

特に20代の頃の人生経験の蓄積がその後の30代に全開になっていわゆる「唯我独尊」状態だったのです。

この世で一番偉いのは自分。

その自分が得にもならない事でどうして他人の言う事を聞いたりしてあげなければならないんだ?という発想でいっぱいだったのです。

そんな私が30代の時に、とあるペットを扱うお店の店長になりました。

今までやった事のないお客様相手の接客業の仕事です。

しかし、この時も「唯我独尊」全開で仕事に就いていました。

それを頭から否定されて「余計なお世話だ!」と思ってもお節介以上の愛情で指導・育成していただいた方がその会社にいらっしゃいました。

その方のお陰で私は店舗に立った時はお客様の事ならばいつでも親切になる、という鉄のルールを身につけることが出来ました。

ああ、これが自分の我を捨てて他人のために身を粉にして動く、ということなんだな、と初めて気づく事が出来たのです。

このように後天的に親切な心を持とうと思うのは非常に困難な事なのです。

特に私のように「邪」な気持ちだらけの人間が人に親切にするなんて言う事は「奇跡」に近かったでしょう。

随分、横道に逸れてしまいましたが、人が人に対して「親切」になろうと思ったら「素直な心」の存在が欠くことができません。

素直さがない人間が自分の事を「親切な人間」と公言しているとしたら、私は真っ向から心の中で否定しています。

本当の素直な心を持つ人は、自分の事をそういった形で売り込まないですからね。

初対面の人でもすぐに打ち解ける

心から親切だと思う人の特徴の2つ目は「初対面の人でもすぐに打ち解ける」です。

これもその人の心が「素直」だからこそ出来る事なのです。

人を疑わないというか、人を信じるし人を尊敬しているからこそ初対面の人に対しても打ち解ける事が出来るのでしょう。

まあ、これも小さい時からの育てられ方が大きな要因を占めている気がします。

親から「人というものは嘘を付いたり悪口を言ったりしてはいけないよ」、という生き方を見せられていたらなるほどその通りになれるのではないでしょうか?

反対に親が人の悪口や罵りを子供の前で平気で言っていたらどうでしょうか?

子供心にそれが当たり前だ、と思ってしまうのは疑いようのない事実となってしまうでしょう。

逆に親が人に対して笑顔で接したり、他人のことをよく褒めていたら子供も自然とそのような動作を習得していくのではないでしょうか?

初対面の人に対しても物怖じすることなくすぐに打ち解けられる人。

当然、人に親切にする事が当たり前だと思っている事でしょう。

周りに安心感を与える

心から親切だと思う人の特徴の3つ目は「周りに安心感を与える」です。

親切な人の心は澄み切っています。

澱みのようなものは持っていません。

それが周囲の人に安心感を与えるのです。

何故、親切な人が周囲の人から慕われ、好かれるのか。

それは「親切」というものが「情」に厚く、相手を身近な存在として見なし、自分の身を切るくらいの厚い抱擁心で接してくれるからです。

言うなれば自分の事よりも相手の事を最優先に考えて身を粉にしてお世話をしてくれるから、周囲の人は人並みならぬ感謝の気持ちと安心感を持つのです。

心から他者に対して親切に出来る人。

本当に頭の下がる思いです。

見返りを求めない


心から親切だと思う人の特徴の4つ目は「見返りを求めない」です。

親切な人は私利私欲に満ちた生き方を一切、致しません。

例え自分に損な役回りだとしてもそれで心を折ることなく、相手の幸福を願って行動できるのです。

全く見挙げた行動です。

だから、親切な人は相手から見返りを期待して動く事はありません。

はなから相手の幸福を願っているのです。

これはもう、嘘と粉飾の入り混じった世の中にあって弥勒菩薩なみの振る舞いと言えるでしょう。

今の時代に果たしてそこまで己を殺して相手に徹する事が出来る人がいるのかどうか、わかりません。

しかし、人は皆、子供の頃は誰の事も悪く思っていなかった事も事実でしょう。

それが長い人生を重ねるにつれて人間の嫌な部分を嫌というほど見てきました。

それでも世の中に親切な人が皆無になる事はありませんでした。

これこそが人間の持つ「人を信じる力」の賜物と言えるのでしょう。

他人の感情に敏感

心から親切だと思う人の特徴の5つ目は「他人の感情に敏感」です。

人に親切に出来る人というのは、五感、特に「感性」が優れているのではないでしょうか?

でないと、困った人や途方に暮れている人に対して的確な言葉を投げかけられるはずがありません。

他人の感情に敏感になれる、という事はこちらの心の感性が「純度100%」に近いからこそできるのです。

逆に神経が鈍感だったり、いつも金儲けの事ばかり考えている人、ましてや「詐欺師」のような人間にこのような純な感性があるか?と問われて「はい、そうです」と答えられる人ばかりの世の中だったとしたら、もうこの世も終わりかもしれませんね。

配慮・気配りができる

心から親切だと思う人の特徴の6つ目は「配慮・気配りができる」です。

この事は私が接客業をやっていた時に、心からそう思った特徴です

例えどのような業種のお店であっても、販売側はお客様に対して親切でなければなりません。

それも見せかけや取り繕った演技でなく、心から相手の事を心配し労わることができる気持ちを持てるか、にかかってきます。

このような気持ちになるためには「配慮・気配り・心遣い」といったものの考え方が絶対的に必要になります。

それもうわべだけなく本心からそう思う気持ちが、です。

私も不思議と「配慮・気配り・心遣い」が実践できるようになった頃からお店の売り上げが上昇し始めました。

見る人はしっかりと見ている、という事でしょうね。(但し、それが出来るようになるまで3年かかりました。石の上にも三年、というのは当たっているのですよ)

感情的にならない

心から親切だと思う人の特徴の7つ目は「感情的にならない」です。

他者に対して心から親切に出来る人が、感情的になって怒りを発散したりわめきちらしている風景を見た事がありません。

いつも心穏やかで、周囲の人に安心感を与える眼差しと笑顔で接しています。

自分の心が穏やかだからこそ、周囲の人に優しくできるのでしょう。

本当に見習いたいものです。

自分のことながら、ストレスの多い毎日。

公共の場でルールを守らない人間に辟易している私などは、感情的にすぐになってしまう「手本」にも該当しない人間です。

それだけにこの現代社会で感情的にならずに日々、心穏やかに暮らせる人を本当に尊敬する今日、この頃です。

私が人に親切に出来ないのも、このさもしい心のおかげなのでしょう。

困っている人がいたら助ける


心から親切だと思う人の特徴の8つ目は「困っている人がいたら助ける」です。

そう、これが心から親切な人が行える行動なのです。

目の前に困っている人がいたら無条件に助けに行く事が出来る。

まさに人間の「鏡」のような生き方を実践されているのです。

今の時代、ややこしいルールや法改正によって他者との関わりにどんどん壁が立ちはだかってきて「縁」というものが疎遠になってきた感がします。

職場での各種のハラスメントや嫌がらせに対応する意味で個人情報保護やプライバシーの侵害を守る法律など一昔前ならここまで個人の事を守らなかったルールや法律が今の時代は大量に執行されました。

ところがそれによって見ず知らずの人同志の絆というものは明らかに減少しました。

下手に関わると、見当違いのクレームついてしまいそれをまたマスコミやネットが後押しします。

ないが良くない事で何がいい事なのか、垣根が本当に曖昧になってきているのです。

そんな時代背景にあって困っている人がいたら躊躇せず助けに入れる人。

世の中はまだまだ捨てたものではない、という事ですね。

報われるかどうかは気にしていない

心から親切だと思う人の特徴の9つ目は「報われるかどうかは気にしていない」です。

この特徴は先に出てきました「見返りを求めない」と似た特徴でしょう。

つまり相手が良くなってくれる事を願う気持ちがあるからこその特徴といえるのです。

まあしかし、これも本当に出来た人間の成せる業ですね。

私も大いに見習わなければなりません。

人間、何かを行うに当たっては、何かしらの見返りを期待してしまうものです。

それが金品であれ、美味しいご馳走であれ。

それが人間くさい生き方だと私は思います。

ただ、そういった生き方だから人に親切にしない、とは言い切れませんがね。

確かに何かを行った際の報い(報酬)ばかりを期待している人間が見ず知らずの人に親切にしている風景、あまり見かけません。

そういった意味では心から親切な人は現状の生活に満足していて、もうこれ以上、何も望まない人が行える行為なのかも分かりません。

でもそんな事を言ったら、そんな現状満足の生活を送れている人がどれくらいいるのか、全く想像もつかないのです。

という事は、報われる事を特に期待せずに親切にできる人が世の中にたくさん、いらっしゃるという事になりそうですね。

過去に受けた親切への恩返し

心から親切だと思う人の特徴の10個目は「過去に受けた親切への恩返し」です。

人は赤の他人から受けた恩義はそう簡単に忘れられるものではありません。

それは感謝や有難さ、という「正」の意識があなたの心をいっぱいにしてくれるからでしょう。

こういった恩義はいつしかあなたの心の中で大切にしまわれ、そしていつか機会があったなら今度は自分が親切の執行者として誰かに同じ事をやってあげたい、と思うものなのです。

まさに「親切文化の継承」といった感じですね。

こうやって私たちの世の中はまだまだ捨てたものじゃない、という感覚が植え付けられていくのです。