イエスマンとは、相手の言うことに肯定しかしない人のことを表します。
確かに、相手の言うことを肯定していれば楽ですし、否定することによって生じる波風の心配とは無縁になります。
肯定してくれる人に対して、嫌な気分になることはほぼ皆無でしょう。
しかし、彼氏にとっては自分の意見が通って気分が良いかもしれませんが、合わせる側の彼女にとっては本当に幸せなことなのでしょうか?
どんなに好き同士な関係であっても、何が良い悪いの意見や考え方は大なり小なり違うものです。
相手の言うことを聞く以外の余地のない恋愛は、いつか破滅に向かっていくでしょう。
時には彼氏より上に立ちたい!
2つ目は、「時には彼氏より上に立ちたい!」です。
恋人同士の関係に上も下もない、これは当然のことでありながら、当事者の間では実感できていないことも多々あります。
特に、自分が優位に立っている時、相手の気持ちを置き去りにしてしまっていたり、自分の意見や考えを相手に押し付けることも少なくないでしょう。
上に立っている側はともかく、自分は下の方だと感じている人にとっては、時には自分が上に立ってあれこれ決めたいなどと思うこともあるでしょう。
可愛いのは、「時には」と言う箇所です。
本来なら、「いつも」と言いたい人もいる中で、それでも「時には」と控えめな姿勢を持っている彼女、何て可愛いのでしょう。
「時には」お互いに逆の立場に立つことで、ようやく相手の気持ちに気がつくことができるようになるかもしれません。
気がつくことに、遅すぎることはありません。
気がついた瞬間から、いくらでも挽回することはできますよ。
生意気だから
2個目は、「生意気だから」です。
仮に百歩譲って付き合う前から生意気であったのであれば、「それでも好きだから良いや」「これも彼氏の性格だから仕方ない」などと思えるかもしれません。
しかし、付き合ってから豹変(ひょうへん)したのであれば、話は別です。
生意気の度合にもよりますが、彼女の我慢が限界に達することは否定できません。
そうなってしまっては、取り返しのつかない事態になってしまうでしょう。
だからこそ、自分が優位に立って生意気な彼氏を何とかしたいと思うのかもしれません。
彼氏を懲らしめる意味でも、優位に立つことは必要とも言えそうです。
彼氏の気持ちを一途にさせたいから
3個目は、「彼氏の気持ちを一途にさせたいから」です。
彼氏には、自分のことだけを想っていてほしいと思う、それが恋愛です。
自分が彼氏を想うのと同じ、あるいはそれ以上の想いを求めることもあるでしょう。
それだけ彼氏に対する想いの強さが表れていると言えますね。
愛されている実感があれば、どんなことがあっても、きっと相手と一緒に乗り越えていけると言う思いもあるでしょう。
具体的には、下記に挙げる2つの気持ちが顕著になります。
常に私を見てほしい
1つ目は、「常に私を見てほしい」です。
これは、恋愛において最大級の気持ちに違いありません。
好きな人の視界には自分だけを写していてほしい、好きな人の心には自分だけが存在したいなどと思うことが一度はあるのではないでしょうか?
そうした中で、自分が相手を想うのと同じあるいはそれ以上に相手にも自分のことを想ってほしい、と言ったようにどんどん気持ちが膨らんでいくのでしょう。
それもひとえに、相手のことが好きな気持ちの表れと言えますね。
それだけ相手のことを愛せるのは、とてもうらやましいことです。
追いかけられたい
2つ目は、「追いかけられたい」です。