CoCoSiA(ココシア)

譲り合いの心を持っている人の13個...(続き2)

必ず相手がいるからこそ行為が成立するのです。

そしてその際に自分の事以上に相手の事を優先して考えられるから、この行為が成り立つのです。

相手の立場に立って物事を考えられるかどうかが、譲り合いを解き明かす上での重要なキーポイントになるでしょう。

人の気持ちを察することができる

相手の立場に立ってものを考えることが出来る、という事はつまり「人の気持ちを察する事が出来る」という事になりますね。

「人の気持ちを察する」。

これは簡単そうに見えて実は奥の物凄く深い、非常に難しい行為だといえますね。

何故なら、「察する」という事は相手が心の中で思っている事を外してしまっては成り立たないからです。

果たして顔色一つ変えない相手の心の中を、何を考えているかズバッと当ててみることなど出来るでしょうか?

しかし、日頃から相手の事を思いやって行動している人は人の気持ちを察するのにそう苦労はしないでしょう。

それは自分がやられて嫌な事は、相手も同様に嫌な事、と認識できておりそういった行為はこちらからは絶対にやらない、という方針が徹底されているからです。

相手が嫌がる行為を率先して行う人、そんな人に他の人の気持ちを察する能力などあるはずがありませんからね。

気配りができる

譲り合いの心を持っている人の特徴の3つ目は「気配りができる」です。

気持ちに「気配り」の精神があるからこそ、他者に対して譲り合いの心を持つことも出来るのです。

要するに、自分以外の第三者に対してどれだけ「気」というものを送る事が出来るか、という事でしょうね。

これが自分の事しか頭にない、「自己中人間」だったならばこうはいかないでしょう。

自己中人間が周りの人に対して気配りをしたり配慮をする、なんていうシーン、見たことがありません。

見た事があるのは何事につけても自分本位の姿勢だけです。

自分さえ良ければあとは構わない、という姿勢です。

こういった人間が他者に対して「譲る」という行為を出来ないのも頷ける話しです。

近頃、社会問題化した車の運転中の「あおり運転」。

本来、ハンドルを握ったドライバーは譲り合いの精神で運転を行う事によって、無駄な違反や事故を防いできていたはずです。

それが「我がさえ良ければ人の迷惑を一切、顧みない」、という悪質ドライバーが急増したおかげで日本人が誇っていた「譲り合いのマナー」という美徳を失ってしまった一部の人間が誕生してしまいました。

車は走る「凶器」です。

ドライバーが「気配り」の精神を持たなくなったなら、今後も痛ましい事故が起こる事は避けられないのが現実でしょう。

心が広い


譲り合いの心を持っている人の特徴の4つ目は「心が広い」です。

心が広いからこそ、第三者や自分にとって縁もゆかりもない人に対しても「譲り合い」の行いを出来るのでしょう。

反対に心の狭い人に「譲り合いの心を持て」と諭してみても全く相手にしない反応を示す事でしょう。

心が広い。

人間としてのスケールの大きさを非常に感じさせますね。

心が広い人は、基本的に誰彼に対しても「親切」です。

自分にとったら何の得にもならない事でも熱心にその人のために身を粉にすることができます。

本当に見上げた根性の人です。

心を広くするためには様々な人生経験も必要ですが、何といっても必要なのは素直な性格でしょう。

いかなる事に対してもうがった見方をせず、そして敵味方の発想もない。

世の中全ての人や物は共存共栄であり、何一つ、自分自身が独占欲を見せない。

このような人が「広い心」というものを持てるのでしょうね。

僻み根性満載の私にとったらまばゆすぎて正対できない人物なのですよ。