要するに、品がないのです。
食事をする時にも、くちゃくちゃと音を出しながら下品に食べるのです。
ガード下の一杯飲み屋で飲んでいる時の態度そのままなのです。
これでは、いくらいい服を着ていても、誰も寄ってこないでしょう。
中味の無い人間だと分かってしまうからです。
こんな人には近づかないようにしようと思われてしまいます。
きちんと自分の体形や雰囲気に合っているか考える
いい服でも、既製服の場合には、その人の体型に合っていない時があります。
袖が長すぎるとか、丈が長かったりウエストが合っていない時です。
いかにも大きすぎるという雰囲気です。
また、身体にはピッタリと合っているけれども、いかにも派手過ぎる色合いやらデザインの服です。
芸能人ならそれでも良いのですが、一般の人間なら着ていくところが少ないのではと思ってしまいます。
みんなの中に混じると、本当に浮いてしまっているのです。
場違いと思われてしまうのです。
このように、いい服でも、自分の体型に合っていなかったり雰囲気に合わない柄ものだったりすると、自分にはふさわしくない、つまりいい服ではないのです。
客観性が必要
いい服を着て来た時に、「格好いいね」とみんなから認めてもらえるようになれば、みんなもその服を着た人を認めていることになります。
その人が、いい服を着るということに、納得しているからです。
それなりに、その人も努力をしていると思われているのです。
信頼できる人間にふさわしいと思ったからです。
つまり、いい服を着る、人間的にも成長していると感じているのです。
次は、いずれもっといい服を着るだろうと、期待もされるようになるのです。
いい服を着ても、誰もが納得しているのです。
客観的に認めてくれているのです。
例え好きだと思っても自分に似合うとは限らない
客観的にみんなが認めてくれなくても、自分はこんな服が好きなんだと自己顕示のために購入する人もいます。
自分に似合うかどうかなどは、どうでもよいのです。
自分が気に入っていればよいのです。
他人が何と思おうとも関係ないのです。
そのような人にとっては、自分に似合うかどうかは別問題なのです。
このように、自分が好きだと思っても、その人には似合うかどうかは分からないのです。
価格やデザイナーに踊らされないこと
TVや雑誌に載っている芸能人の服装に触発されて、同じものを買ってしまうこともあります。
自分もあのようなスタイルになって、人気者になりたいという願望なのでしょう。
しかし、価格やデザイン(ブランド)に踊らされて、自分を見失ってしまわないことも重要なのです。
高いからと言って意外と良くない服も多い
ブランドによっては、高額だけで着心地も良くないし、縫製も手を抜いているものもあるようです。
高いからと言って、いい服だと鵜呑みをしないように注意すべきです。
周囲から浮いてしまわないようにする
どこかの有名モデルが着ている流行の服も、必ずしもいいとは限りません。