日常生活の中で当然だと思っていることに関して注意を持ってみたことはございますでしょうか?
おそらく、ほとんどの方は、当然と思うことに関してはそんなに重要に見ていることはないと思います。
なぜなら、当然だからです。
しかし、東日本大震災などを経験して、日常的なことが当然だと思えなくなってしまった人も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
そう、実は普段から当然だと思うことは、あなたが当然だと思っているだけであって、もしかしたら人によっては当然でない可能性もあるのです。
当たり前の幸せとは言いますが、実は結構見逃してしまっている可能性は非常に高いのです。
例えばですが、盲の人と比べたします。
この場合、目が見えていることに関して非常にありがたいと感じることができるはずです。
ただ、なかなかそのように当たり前の幸せに気づけないのはなぜでしょうか。
それは、多数派に属しているからです。
多数派にいるから、それが当たり前だと思い、何も感じられなくなるのです。
そこで今回こちらの記事では、当たり前の幸せに気づく方法などをお教えしますので、今一度、ご自身の日常生活を振り返ってみましょう。
当たり前の幸せに気付くことはどんな時ですか?
なかなか気づかないでしょうが、当たり前の幸せに気づくことってどんな時でしょうか?おそらく、それまで当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなった時だと思います。
それでは、そのような時はどのような時でしょうか?と、聞かれるとなかなか答えられないような感じがします。
要は、当然という壁があなたの思考をストップさせているのです。
当然と思えば、その時点でその先を考えなくなってしまうのです。
つまり、意外と当たり前の幸せに気づくことって難しいのです。
当たり前と思うと何も違和感を感じないのです。
特に健常者が多いこの国では、歩けたり、話すができたり、耳が聞こえたり、目が見えたりなどの部分に関しては、当然としか思っていないのです。
盲の人や難聴の人、車いす生活の人たちと比べたら、実は大変ありがたい枠の中に生きているのです。
より、深く考えると、眠りについてから朝起きるまでに、無事に目を覚ますことができることも大変ありがたいのです。
眠ってそのまま息を引き取ることも十分にあり得るのですから…。
そう考えると世の中には当たり前の幸せにあふれていると言えます。
普段の生活でふと気付くことがある
おそらくほとんどの方は日常生活の中でふとした時に、当たり前の幸せに気づくことがあると思います。
不意を突かれた感じに気づくこともあるので、その時の様子はまざまざと思い出されると思います。
しかし、なぜ、そんな感じに気づくのかわかりますでしょうか?おそらく、わからないと言う方がほとんどだと思います。
それはなぜかと言いますと、当たり前だと思っているからです。
当たり前だと思っているとその先へは視野が行かないのです。
つまり、当然という言葉の壁はとんでもなく厚いものなのです。
そのために、どうしたらいいのかと言いますと、普段のご自身の生活ではありえないことに接すると、当たり前の壁もゆるくなりますよ。
要は当たり前などは、これまでのあなたの生きてきた経験からしかできていないものなのです。
つまり、この時点で人によって当たり前というものをとらえる視点に違いがあることがわかりますよね。
このように、普段から当たり前と思っていることは、実はあなたが経験してきたことや見てきたことの塊でしかないのです。
よく、友人や知人とでそんなの当然と言って争いになってことはありませんか?あるという方が多いと思います。
なぜなら、人によって当然のとらえ方が違うからです。
当たり前だけど感謝の気持ちが必要になる
当たり前だけど、されると嬉しいことってありますよね。