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穏やかな暮らしをするための9個の心得


穏やかな暮らしって良いですよね。

都会でもみくちゃにされながら通勤していると憧れがつのるばかりです。

とはいえ、ただ田舎に引っ越しても、穏やかに暮らせるのかは疑問があります。

不便さを感じてしまうのではないかと思ってしまいます。

穏やかな暮らしをするにはまず、考え方から変える必要がありそうです。

そのための心得を掘り下げてみました。

この記事の目次

穏やかな暮らしをしたいと思いませんか?

学生時代あたりは都会的な暮らしに憧れやすいものですが、いざ社会に出て一通りのことをやってみると「都会シンドイ!」と逃れたくなってきますね。

やたらと忙しいというか、常に何かに急かされているような焦燥感があるし、通勤電車はぎゅうぎゅうだし、イライラしてばかり。

「もっと穏やかに暮らしたい」と思う人が多いからか、テレビは田舎や海外で暮らす人を特集する番組が増え、インテリアは木のぬくもりが感じられる北欧風が流行ったりしてるのだと思います。

しかし、田舎に住んで古民家カフェを開き、北欧の家具に囲まれても、穏やかな暮らしができるとは限りません。

それは見せかけだけであって、穏やかな暮らしができるかどうかは生活の仕方と心の持ちよう次第です。

人生は楽もあれば苦もある

人生80年…長いですね。

長いからこそ楽もあれば苦もあるのは当たり前で、80年間ずっと幸せという人は少数でしょう。

苦の状況下にある時は穏やかな暮らしへの憧れが加速します。

そして、再び楽の状況が訪れるとそんなことは忘れて日々を過ごし、また苦が訪れると「田舎でカフェを開こう…」「ハワイに引っ越そう」と貯金の計画を始めたりするわけです。

宝くじが当たる妄想をすることもあるでしょう。

苦が多いという人も

自分ばっかり苦が多いと感じている人は結構います。

とはいえ、能天気で何の悩みもなさそうな人でも、後からめちゃくちゃ苦労人だとわかったりしますから、自分ばっかりというわけではありません。

苦が多いと感じる人は、物事の暗い面に目がいきがちで「とりあえず金を稼げる状態にある」「やろうと思えば勉強ができる」「病気を抱えていない」などの、実は当たり前ではない幸福を無視しています。

この幸福に目が向かない内は、いつまでも穏やかな暮らしをすることはできません。

穏やかに暮らせない人が多い?

国連が発表した2018年世界幸福度ランキングで、日本は156カ国中54位でした。

この幸福度は人口あたりGDP、社会的支援、健康寿命、人生選択の自由度、寛容さ、社会の非腐敗度についてデータとアンケート調査にもとづいて算出されています。

日本は人口あたりGDPと健康寿命がかなり上位であるにも関わらず、「寛容さ」と「社会の非腐敗度」が低い値を叩き出しているため、54位という順位になっているわけです。

ちなみに、この寛容さは「過去1か月の間にチャリティ等に寄付をしたことがあるか」で、社会の非腐敗度は「不満・悲しみ・怒りの少なさ、社会・政府に腐敗が蔓延していないか」をアンケートで算出したものです。

寄付に関しては、キリスト教の文化を持つ地域が高い数値になるのは文化的に見て納得ですが、不満や悲しみ、怒りを日本が感じやすいというのは不思議ですね。

なぜお金もあって健康なのに穏やかな暮らしを実感できないのでしょうか。

仕事の関係

日本では「仕事」に対する考え方が、他の先進国と比べると独自性を極めています。

今はもう廃れてきましたが、日本ではかつて終身雇用と年功序列という制度が主流でした。

これによって会社への帰属意識が強く問われる文化になっています。

自分だけ残業せずに帰れば「協調性の欠如」として査定に響いてしまったり、権利であるはずの有給休暇も取得しづらいこともあるでしょう。

限界がきて転職しようとしても「お前が抜けたら周りが困るだろう」と引き留められることもしばしば。

冷静に考えればハチャメチャですが、文化として根付いてしまった節があります。

一方、海外では成果主義が主流であり、会社のためというよりは「自分が何をするか」に目が向いています。

会社で他の人が残業していても「こっちは終わったから帰るぜ」でOKだし、誰も咎めたりしません。