日本人の知的向上心の強さには目を見張るものがあります。
また好奇心もアジア諸国の中では群を抜いています。
明治維新を成功させ、いち早く近代化を成し遂げた秘密も、こうした日本人のもつ素養に依るところが大きいと見られています。
そしてその謎を解くカギは江戸時代にあります。
この時代、町人学者と言われる人たちを輩出しました。
しかも幕府の御用学者として体制側に付いたのはごく少数です。
彼らは経済のダイナミズムの中で育った商人出身の人が主流です。
中には農民出身、武士階級から転身した人もいます。
例えば儒学の伊藤仁斎、国学の本居宣長、は純粋な町人、発明家平賀源内は高松藩に下級武士から脱藩し、町人として生きています。
その他町人学者は枚挙にいとまがありません。
彼らは寺子屋、私塾などを通じて後進も指導していきます。
300諸侯と呼ばれる諸大名は藩校を持ち、武士階級の子弟教育を行っていました。
つまり公教育は支配階級である武士専用です。
しかし日本には、こうした町人学者の私塾がたくさんありました。
それも日本全国津々浦々にです。
これが今に至る向学心の強い日本人の基礎を形作っていると思われます。
こうした現象はおとなりの儒教国、韓国や中国ではあり得ませんでした。
かの国おける学問は支配階級の独占物だったからです。
人生は一生勉強の連続!
大きな意味ではそうした塾の一つである長州藩の松下村塾からは、明治維新の主役たちが育っていきました。
しかし彼らが作った明治政府は、日本の教育界を東大を頂点とするヒエラルキーに変えてしまいます。
今日まで続く偏差値教育です。
相変わらず多くの人が、学歴という箔付けに一喜一憂しています。
しかし町人学者の伝統までこわれてしまうことはありませんでした。
日本人は現代でもワーカホリックといわれながらもなお、自己啓発や資格取得などに努める人が後を絶ちません。
引退した人たちの文化教室や習い事も非常に盛んです。
これらも江戸時代からの寺子屋の伝統を次いでいると思われます。
1 勉強が好きなのは幸せなこと
一方では心配な統計もあります。
それは日本人の読書率で、大幅に下がっています。
2014年の文化庁調査では、一冊も本を読まない、と答えた人は47.5%に上っています。
他の調査でも明らかに減少傾向が見られます。
しかしこれはそう深刻にとらえることはなさそうです。
紙のメディアからデジタルメディアに変わっているだけと思われるからです。
しかもこの新しいメディアでは、容易に情報発信者となることができます。
知的生産活動が思い立ったらすぐにできる、という状態はかつてのペーパーメディアの時代にはなかったことです。
頭を使う機会はむしろ増えているのではないでしょうか。
何より調べものは各段に便利になりました。