人間の記憶力は私たちが思っている以上に、キャパシティが大きいのかもしれません。
頭だけでなく体や感覚を総動員して覚えることができました。
「覚える」ということに関してはキャパシティの境界線がかなりあいまいなのではないでしょうか?
ひとことでいえば、興味のあることはいくらでも覚えられるのに、覚えたくないことのキャパシティはものすごく小さくなるのですから。
私は中学生のとき卓球部に所属していました。
他校との練習試合のときは自分たちが審判も務めるので、ルールの説明を一から受けました。
そのときはノートもとらず、先生の話がすべて自分の体に浸透していくのを感じました。
先生の説明の一言一句すべてを一瞬で覚えたのです。
かなりの量があったと思いますが大人になってもそのときの説明を復唱できるほどだと自負していました。
と同時にどうして授業の内容が頭に入らないのだろうと友人と笑い合ったものです。
覚えるということのキャパシティはずいぶんフレキシブル(?)のようですね。
荷物の入れすぎでカバンが破けた
荷物を入れすぎてカバンが破けたことはありますか?私は何度もあります!
仕事帰りにスーパーで買い物をして帰るときサブバックとして常備している布製の袋に入れて持ち帰ろうとしたとき、見事に持ち手のところが破けて落下しました。
そういうときに限って玉子も入っていました。
すべてではなかったですが5個くらいは割れてしまいましたね。
お寿司もプラスティックのパックのなかでぐちゃぐちゃでした。
話はちょっとそれますが、夢で洋服が破けるというものを見たときはあまり良くないそうですよ。
私は中国式のある夢占いを信じているのですが、それはとてもよく当たるというか100発100中です。
そこには夢だけでなく洋服や身につけているものが意味もなく破けるということは縁起がよいものではないと書かれています。
実際の体験としてあまり良いことが起こりませんでした。
それを信じるか信じないかは別として、身の周りのものが破けるというシチュエーションになることをできるだけ避けようという気持ちが生まれていきました。
考えてもみれば、キャパオーバーになる可能性があるにもかかわらず何も対処をしていないということにつながっていますね。
占いや迷信としてではなく身の周りにトラブルが起きないように整えるという意味に繋がっていると思います。
一種の危機管理ではないでしょうか?
PCやスマホのデータがパンパン
PCやスマホのデータがすぐにパンパンになって困っています。
ネットショッピングをしたりあちこちに登録してしまったせいでセールスメールがたくさん来ます。
物に囲まれる生活は嫌だなと思い、できるだけ余分な物は持たないようにと思っているのですが、データの多さにも困っています。
私の妹はPCに入ってくるメールの送受信をずいぶん長い間しなかったせいで、PCが動かなくなりました。
なぜかというと、久しぶりの送受信のときにたまりにたまったメールを受信しようとしたPCがパンクしてしまったのです。
私も、いらない受信メールをいったんゴミ箱に入れてからゴミ箱の中をカラにしようとすると、あまりにも削除するデータが多すぎるため、固まってしまうことがあります。
こまめに整理するに限りますね。
️キャパオーバーになったとき、なりそうなとき…どうする?
自分の身の回りの出来事や様子は自分の内面の投影というと極端ですが、でもある意味そういういい方もできるのではないかと思っています。
心が荒れるとどうしても自分の身の回りに気を使う事ができにくくなります。
キャパオーバーになってしまうという考えから、キャパオーバーな状況を自分に許しているという考えにシフトしてみるのもいいかなと思います。
けっして自分自身を責めるのではなく。
そしてキャパオーバーになったとき、なりそうなときはまずどうしたらいいのかというルールを決めて対処していくことが大切なのではないでしょうか?
断る勇気を持つ
アドラー心理学ブームですね。