よく使われるキャパオーバーですが、英語の意味をよく知らなくても「キャパ超えてる」「キャパオーバー」と聞くだけでイメージとして実感できるほど身近な言葉になってきています。
キャパオーバーの意味は?
キャパオーバーの意味はというと、受け入れる範囲を超えているという意味ですね。
キャパシティ
キャパシティ(capacity)は保持、受け入れという意味です。
【キャパシティについては、こちらの記事もチェック!】
オーバー
オーバーは超えること(越えること)です。
合わせてキャパシティオーバー
合わせてキャパシティオーバーになっています。
その略語がキャパオーバー!
キャパオーバーはその略語ですね。
英語の意味をはっきり知らなくても私たちはこの言葉を聞くだけでニュアンスとしてなんとなくわかりますね。
ちなみに英語での正しい表現はover capacityです。
つまり許容量を超えていることを表す
キャパオーバーとはつまり許容量を超えていることを表しています。
自分が「キャパオーバー」になりやすいかどうか、診断してみたい人はこちら →
キャパオーバーの使い方を学ぼう!
キャパオーバーという使い方はたとえば、
あの会場はキャパが1000人なのに2000人集まってる、完全にキャパオーバー!
仕事を抱え過ぎてキャパオーバー!
エレベーターに最後に乗ると、ブザーが鳴って、ああキャパオーバー!
などでしょうか。
️キャパオーバーなときって?
キャパオーバーなときってどういうときでしょうか?
私もよく「これってキャパオーバーかも?」と感じることがありました。
今は反省して、キャパオーバーにどうしたらならないか、もしなってしまった場合はどうしたらよいかということを考えるようになりました。
自分が「キャパオーバー」になりやすいかどうか、診断してみたい人はこちら →
仕事の抱えすぎ
一番多い場面が仕事の抱えすぎですね。
そしてその一番の原因は 「好い人でいたい、好い人になりたい」というものでしょうか。
でもハッキリそれを意識しているわけでも計算しているわけでもないのですが、キャパオーバーをしてしまう自分のことをよくよく考えてみるということをしてみた結果、ああそういうことなのね、とわかったことです。
この原因は一番底の底にあるものです。
頼まれると断れない、つい引き受けてしまうという態度になって表れていました。
残業しても残業しても仕事が終わらないという状態の人、テンパってしまってどこから、何から手をつけていけばいいのかわからないという状態の人はまさにキャパオーバーですね。
キャパオーバーになってしまっている人は一生懸命やっているのはわかるのですがその割に効率が悪かったり、周りからの評価も得られないのです。
デスクの上は書類の山、そこへ誰かがまた仕事を持ってきます。
断ればいいのに、「そこに置いておいて!あとでやっておくわ」と答えていたのです。
どうしてひと言、「すぐには無理よ」「出来ないは」といえないのか、自分でも不思議でした。
平気で人に仕事を振れる人もいるのにどうして自分にはそれができないのか、不思議でした。
ある人はあまりの激務のために胃潰瘍が悪化、入院と退職を余儀なくされて人生観が変わったといいます。
そこまで行きつくまえに対策を練ることが必要ですね。
悩みが頭を占拠
仕事のキャパオーバーであれば仕事量というはっきりしたものが目の前にありますから、キャパオーバーだということへの自覚がもてますが、悩み事や解決しなければいけない人生上の悩みや生活上の問題などが、自分で解決できるレベルを超えていた場合はキャパオーバーだということにすら気づきません。
悩みが頭を占拠しているにもかかわらずその悩みの解決をしなければいけないというプレッシャーに押しつぶされてしまいそうでした。
考えてもわからないことはわからないということが受け入れられないのです。
悩みを数量化できるのかできないのかはわかりませんが、ひとつ悩みがある上に、さらに別の悩みが襲いかかる。
ときにはそれらの悩みから逃れられていないにもかかわらず他の問題点を抱えてしまうという具合です。
疲れの溜め込みすぎ
キャパオーバーになってしまうと、間違いなく疲れます。
もし疲れていないなら大丈夫!キャパオーバーではありませんね。
鬱の原因のひとつは疲れだそうです。
私はとにかく疲れに弱いということを自覚しています。
疲れに強いという人もいるようですがそれは疲れにくい身体能力を持っているだけでやはりキャパを超えると疲れの影響ははっきり表れてくるのではないでしょうか?
A子は家でじっとしていると頭が痛くなるといって休みの日でも休むということをしないのです。
見ていて痛々しいほどです。
頭痛の原因のひとつに交感神経と副交感神経とのバランスがあるそうですが、普段交感神経があまりに優位な人は、副交感神経が優位に立つと頭痛がする場合があるようですね。
交感神経優位モードというのは戦いのときやバリバリやっているときに現れるのですから必要といえば必要ですがリラックスモードの副交感神経もしっかり働いてもらう状態でいてこそ私たちは元気に生きていけます。
頭痛の原因を探り、副交感神経優位の生活へと切り替えた方がいいといつもA子にアドバイスするのですが、休みの日の頭痛が怖いといって出歩くことをやめてくれないのです。
なんでもキャパオーバー状態になるまでやらないと気が済まないのです。
ひどい頭痛の経験がほとんどない私にはその苦しみはわからないので人ごとだからそんなこといえるのよ、といわれてしまえばそれまでですが中年期にさしかかっているA子がこのままの生活を続けていたら、今にたいへんなことになりそうな気がして忠告し続けていました。
ほどなくしてA子は病気になってしまったのですが、幸いたいしたことはなくホッとしました。
次から次へと問題発生
そんな生活を何年も続けているA子と知り合ったのは4年前でした。
最初は陽気で活発で行動的な女性だと思っていたのですが、見ていると常にどんなことでもキャパオーバー状態を維持して生活しているということに気づきました。
キャパオーバー状態の維持というと少しおかしいですね。
でもそうなのです。
ギリギリのところで維持できているのならキャパオーバーではないのでは?といわれるかもしれませんが、何かひとつがキャパオーバーしたら他のところでガス抜きをしてなんとか帳尻を合わせるということはできているようでした。
でもキャパオーバーになっているということには変わりはないので、次から次へと問題が発生していきます。
若いころなら体力気力もあるので乗り切れるかもしれませんが中年期にさしかかったA子にはさまざまな体調不良がやってきました。
頭痛の原因は悪い病気ではないとわかっている今のうちになんとか手を打てばいいのにと考えて心配してしまうのは余計なおせっかいなのでしょうか?
そんな私ですが人ごとではないのです。
近隣トラブル発生と、仕事を山ほどかかえてこなし切れるかという不安、おかげさまで今は体調はすっかり良くなったのですが、2カ月前にはひどい風邪をひいてしまい、風邪薬のせいで胃をやられ、そうこうしているうちに私の風邪が家族にうつり、自分が少し良くなったかと思ったら今度は家族の看病、ライフワークの英会話の勉強ができないというストレスなど、次から次へと問題発生でした。
やっぱりA子への心配は余計なお世話ですね。
自分のこと以外に人の心配をするということでキャパオーバーに拍車がかかりそうです。
睡眠不足で体力が限界
私は睡眠不足で体力が限界というキャパオーバーが一番怖いですね。
慢性化しているというほどでもない睡眠不足と、やはり慢性化しているというほどでもない疲労というのを同時に味わうとハイ状態になることがあります。
このことは経験している方もいるのではないでしょうか?仕事が忙しく家に帰るのが午前様という日々が続いたとき、本来なら睡眠不足でグッタリ、お肌の状態も良くないはずなのに、なぜかそうではないのです。
肌の色つやは良く妙にテンションも高かったことを覚えています。
でもこれは1日~3日くらいの間だけでした。
医学的なことはよくわかりませんが、アドレナリンやそれに似た物質が脳から出ていたのではないでしょうか?緊急のときにバカちからが出るようなものだと思います。
その反動なのかその後はぐったりしてしまいました。
人によっては、疲れが極限状態になるような生活を好んでしているような人がいますね。
私には考えられないことです。
私たちの健康の基本は食べることと寝ることです。
いつの時代もこのことに変わりはないと思っています。
どんなに疲れていても、激務でも眠れさえすれば少々のことは大丈夫、持ちこたえられると思うのですが睡眠と食のどちがらが崩れると体力的にきつくなります。
ましてや両方が破たんすると体力に限界がきてしまいます。
私は、寝つきがかなりよいほうです。
まさにバタンキューです。
あるときテレビの健康番組で、どこかのお医者さんが人間はおふとんに入ってから5分くらいかけて眠りに入っていくもので、バタンキューという人は、寝つきがよいというより、普段から睡眠が足りていないだけだという説明をしていました。
それを聞いてドキッとしました。
確かに睡眠時間が足りていなかったのを、自分は寝つきがいいと思い込んでいたのかもしれないと反省をして、それまでよりほんの少し、20分くらいでしょうか、早めに寝ることにしました。
0時に寝ていたのを23時40分にはベッドに入ります。
すると確かに寝つきがそれまでより悪いのです。
バタンキューではなくなるのが少しさみしいのですが。
なんでも改善というと、うんと大きな変化を望みがちですが、たった20分の改善で良かったと思います。
直すこと、改善することもキャパオーバーにならないように注意が必要ですね。
勉強が追いつかない
勉強が追いつかないというキャパオーバーもあります。
就職してから宅建の資格をとらなければいけなかったB子は仕事をおぼえることだけでも大変なところに資格試験勉強もかかえてしまいました。
仕事に必要な資格なのでどうしても受からなくてはというプレッシャーもあったそうです。
職場の中のエレベーターの中では立っていられずしゃがみこんでしまったといっていました。
数学が苦手な私は高校生のとき、あまりの難しさにキャパオーバーというものを生まれて初めて実感しました。
頭に入りきらないということを感覚として自覚できました。
努力の足りなさを責められるかもしれませんが、悲しいかな「無理!」という言葉がはっきり自分の中から聴こえて来たのをおぼえています。
大人になってから英会話の勉強を始めました。
仕事をしながらの勉強なので時間とお金の余裕がありません。
スクールに通ったこともありますが今は自宅で独学しようと決めました。
でも何をどう独学していいのか見当もつかず、ひとまずNHKのテレビ番組やラジオ講座での勉強を選択したのですが、どの講座がいいのかわからず、3講座を同時進行させてしまったのです。
あれは失敗でしたね。
まさにキャパオーバーです。
どれも本腰を入れて聴けないのです。
ぎゅうぎゅう詰めの電車
キャパシティーというのは受け入れを意味するので、、ぎゅうぎゅう詰めの電車というのはキャパオーバーという言葉に一番近い内容かもしれませんね。
私のように地方出身者には信じられないような話ですが、首都圏では通勤時間に2時間というのも珍しくないそうですね。
しかも東京に住んでいる友人の話では、キャパオーバーになる寸前の満員電車というのは、人がつっかえ棒のような役割を果たして体を支えあっているので、何も摑まえる必要がなく楽だというのです。
立ったまま眠れるし鞄も他の乗客が支えてくれているようなものだから重くないということでした。
皆が自分の周りの人たちにもたれかかって眠れるような状態だというではないですか。
鳶職人と営業職のサラリーマンがお互いを称えあっているというコマーシャルをやっています。
鳶職人は営業マンになって下げたくもない頭を下げるなどできっこない、そして高所恐怖症の営業マンは高いところに上れないということで、相手を見て「あんたえらいな」と思っているというシチュエーションです。
ぎゅうぎゅう詰めの満員電車なども、キャパシティの大きな人と、生まれながらにしてとても小さな人がいるのでしょうね。
エレベーターでブザーが鳴った
エレベーターに最後の1人として乗ると「ブー」というブザーがなることがありますね。
あれは少し恥ずかしいし、1台見送らなくてはいけないのでムカつきます。
定員オーバーは安全上守らなければいけないことですから仕方ありませんね。
そういえばどこかの航空会社がオーバーブッキングのため乗客4人に搭乗辞退を募ったところ3人は条件を呑んだそうですが1人はどうしても首を縦に振らず、航空会社の数名の職員が力づくで嫌がる乗客を担ぎ降ろしたそうです。
このニュースで私は初めて知ったのですが、もともとキャンセルが入ることを見越して多めに予約を受け付けるそうですね。
しかしこのときにはキャンセルが出なかった、もしくは思ったよりキャンセルが少なかったということだそうです。
そしてもうひとつ初めて知ったことは、搭乗辞退に応じてくれた人にはちゃんと返金プラス、ホテル代の支給があるということです。
客がなだれるライブハウス
ライブハウスやコンサート会場でのキャパオーバーは危険です。
お客さんがなだれて将棋倒しのようになりかねません。
チケット販売は収容人数を把握するためのものだそうですね。
それはそうですね。
当日早い者勝ちで入場させていたら、満員状態のときに、「はい!ここまで」
といってお客さんを閉めだすことになってしまいます。
そしてついつい余分に入場を認めてしまいかねません。
収容人数を超えて集客すると刑事罰の対象だそうです。
当然ですね。
お客さんがなだれるような場合は警備や誘導の仕方も大きく左右するのではないでしょうか?
飲み過ぎ
私はお酒に弱いのですが、弱ければ弱いなりに飲み過ぎます。
ビールだと中ジョッキ1杯、ワインならワイングラス1杯が限度ですが、勧められるとついついもう一杯くらい大丈夫だろうと飲んでしまいます。
美味しいとは思わないのですが、断ると悪いような気がしてしまうのです。
お酒の席で断るということは場を白けさせてしまうのではないだろうかという気持ちがあります。
ビールやワインなどお酒の種類で自分が飲める量を把握しているのでキャパオーバーをしてもさほどダメージはないのですが。
お酒の依存性で毎日毎日飲みすぎて肝臓を悪くするのは体がキャパオーバーを起こし悲鳴をあげている状態です。
暴飲暴食の末、痛風や糖尿病を発症というのもある意味キャパオーバーといえます。
もちろん先天性という場合もありますが。
覚えることが多すぎ
転職をした会社が、業務のマニュアルを作っていました。
入社してすぐさまその内容を覚えるようにいわれたのですが、あまりの多さに、このままやっていけるのだろうかと不安になったものです。
30代ですので記憶力の低下を実感してしまいました。
覚えてもすぐ忘れるのです。
何度も何度も繰り返し、やっと覚えることができたかというとそうではなく、知らぬ間に覚えてしまったといういい方が正しいと思います。
人間の記憶力は私たちが思っている以上に、キャパシティが大きいのかもしれません。
頭だけでなく体や感覚を総動員して覚えることができました。
「覚える」ということに関してはキャパシティの境界線がかなりあいまいなのではないでしょうか?
ひとことでいえば、興味のあることはいくらでも覚えられるのに、覚えたくないことのキャパシティはものすごく小さくなるのですから。
私は中学生のとき卓球部に所属していました。
他校との練習試合のときは自分たちが審判も務めるので、ルールの説明を一から受けました。
そのときはノートもとらず、先生の話がすべて自分の体に浸透していくのを感じました。
先生の説明の一言一句すべてを一瞬で覚えたのです。
かなりの量があったと思いますが大人になってもそのときの説明を復唱できるほどだと自負していました。
と同時にどうして授業の内容が頭に入らないのだろうと友人と笑い合ったものです。
覚えるということのキャパシティはずいぶんフレキシブル(?)のようですね。
荷物の入れすぎでカバンが破けた
荷物を入れすぎてカバンが破けたことはありますか?私は何度もあります!
仕事帰りにスーパーで買い物をして帰るときサブバックとして常備している布製の袋に入れて持ち帰ろうとしたとき、見事に持ち手のところが破けて落下しました。
そういうときに限って玉子も入っていました。
すべてではなかったですが5個くらいは割れてしまいましたね。
お寿司もプラスティックのパックのなかでぐちゃぐちゃでした。
話はちょっとそれますが、夢で洋服が破けるというものを見たときはあまり良くないそうですよ。
私は中国式のある夢占いを信じているのですが、それはとてもよく当たるというか100発100中です。
そこには夢だけでなく洋服や身につけているものが意味もなく破けるということは縁起がよいものではないと書かれています。
実際の体験としてあまり良いことが起こりませんでした。
それを信じるか信じないかは別として、身の周りのものが破けるというシチュエーションになることをできるだけ避けようという気持ちが生まれていきました。
考えてもみれば、キャパオーバーになる可能性があるにもかかわらず何も対処をしていないということにつながっていますね。
占いや迷信としてではなく身の周りにトラブルが起きないように整えるという意味に繋がっていると思います。
一種の危機管理ではないでしょうか?
PCやスマホのデータがパンパン
PCやスマホのデータがすぐにパンパンになって困っています。
ネットショッピングをしたりあちこちに登録してしまったせいでセールスメールがたくさん来ます。
物に囲まれる生活は嫌だなと思い、できるだけ余分な物は持たないようにと思っているのですが、データの多さにも困っています。
私の妹はPCに入ってくるメールの送受信をずいぶん長い間しなかったせいで、PCが動かなくなりました。
なぜかというと、久しぶりの送受信のときにたまりにたまったメールを受信しようとしたPCがパンクしてしまったのです。
私も、いらない受信メールをいったんゴミ箱に入れてからゴミ箱の中をカラにしようとすると、あまりにも削除するデータが多すぎるため、固まってしまうことがあります。
こまめに整理するに限りますね。
️キャパオーバーになったとき、なりそうなとき…どうする?
自分の身の回りの出来事や様子は自分の内面の投影というと極端ですが、でもある意味そういういい方もできるのではないかと思っています。
心が荒れるとどうしても自分の身の回りに気を使う事ができにくくなります。
キャパオーバーになってしまうという考えから、キャパオーバーな状況を自分に許しているという考えにシフトしてみるのもいいかなと思います。
けっして自分自身を責めるのではなく。
そしてキャパオーバーになったとき、なりそうなときはまずどうしたらいいのかというルールを決めて対処していくことが大切なのではないでしょうか?
断る勇気を持つ
アドラー心理学ブームですね。
「嫌われる勇気」という本が人気です。
仕事でキャパオーバーになる原因のひとつが嫌われたくなくて断れないということにあるようです。
イヤなことはイヤとはっきりいえる人もいますが、どうしてもいえない人もいます。
私はいえません。
でも人間ですからイヤなことを我慢しているとあるとき飽和点に達して顔や態度に出てしまいます。
それなら最初から「できない」「イヤです」といっていたほうがよかったなと反省することが多いです。
私の場合断ることが苦手なので、断り方がわからなかったようです。
断るときは自分の限界一歩手前の状態なので、柔らかく断れないのです。
切羽詰まって断ると顔つきも言葉もきつくなります。
周りの人にとっては「イヤなら最初からそう言ってよ!」 「引き受けるから頼んでるんじゃないの」、くらいの感じかもしれなかったですね。
誰かに頼る
誰かに頼ってしまうという手があります。
上手くはっきり断ることができたならそれにこしたことはないですが、もしどうしても断れなかったとしても、自分が誰かに頼ることができたなら苦しみは半減します。
オフィスの仕事なら、頼まれたら友人に「こんなこと頼まれた、お願い手伝って」という勇気は、断る勇気よりは少ない勇気で済みそうです。
フリーランスで仕事をしている人や家事などなら、「頼る」をシステム化してしまうのです。
家事に仕事に追われていたとき、こんなことをしていたのでは毎日が楽しくないと思い、お弁当づくりを週5日から3日に減らしました。
なんだそんなこと!?と笑われそうですが、そんなことでも最初は抵抗があったのです。
なんでも完璧にしたいという思いと、節約をしなければいけないという強迫観念からでした。
週2日は職場に出入りしているお弁当屋さんに注文することにしました。
休息をとる
キャパオーバーになりそうだと感じたら休息をとることが必要ですね。
私はすぐさまトイレにこもります。
トイレの中だけは誰も入ってくることがない安全地帯です。
何も10分も20分もこもっているわけではありません。
長くてもせいぜい5分くらいですね。
肩甲骨を回したり深呼吸をしたり、心身をリラックスさせます。
これはあくまで応急処置です。
食べ過ぎでお腹がいたくなったときに胃腸の薬を飲むようなもので、根本は食べ過ぎないことと、もし食べ過ぎたなら胃腸を休めさせるということをしなければいけないように、大切なのは睡眠時間の確保と身体をあまりに酷使しないということではないでしょうか。
家に仕事を持ち帰っていた頃、最初はめいっぱいがんばっていましたが、
ここでもルール作りが役にたちました。
どんなに余力があろうともある状態になった時点でそれ以上は頑張らないと決めました。
はっきりした目印があるほうがよいのですが、休息に関してのルールは、もうちょっと出来る、あと少しはできるという状態のときに止めるというものです。
いつも満腹になるまで食べている人が腹八分目でお箸を置くというのはとても難しいものだというのと同じで、もうちょっとやりたい、やれるというときに仕事を止めるということは辛くはないにしても、難しいものでした。
キャパオーバー状態を自分に受け入れるということが癖のようなものなら逆の癖づけをやってやろうと思ったのです。
休息をとると信じられないくらいにリフレッシュして、自分のキャパが広がったように感じます。
一旦問題から離れる
つぎからつぎへと問題が押し寄せて来て自分では解決できない量になった場合でも、仕事にゆきづまりどう処理して良いのか、何から手をつけたらいいのかわからないときは、一旦問題から離れるということをしてみます。
どんなに気になっても、とにかく離れます。
食べたいものを食べたり、ビデをを観たり、そしてなんといっても睡眠ですね。
職場にいるときであれば、お茶を飲んだり、頭の片隅にも問題の居場所をつくらない気持ちになってみるとよいようです。
しばらくすると回復して、離れる前には行き詰まったことが、スムーズにいともかんたんに出来たり、よいアイデアを思いつくことがあります。
「離れる」という技を身につけることを強くお勧めします。
私は深呼吸をして、「今から私はこの状況から一旦離れます」 と自分に言います。
なんとなくそうしようというのではなく、言葉で(声に出さなくても大丈夫です)表現することが効果的なようですね。
️キャパオーバーの解説でした!
キャパオーバーの解説でしたがいかがでしたでしょうか?キャパオーバーは一種の癖です。
癖は直そうと思ってもなかなか直るものではないのですが、でも一番最初にしなければいけないのは、そういう癖を持っていることを自覚することですね。
キャパオーバーになって得をすることなど何もないということを思い知らされると、やめようと思えるようです。
思い知らされるとはどういうことでしょうか?ある人は激務に押しつぶされそうになるほど働いていて胃潰瘍で倒れました。
ようやく回復しかけると今度は鬱になったそうです。
その経験以降無理して働かない、遊びたいときは遊ぶ!と決めたそうです。
何も限界を超えるまで無理をして、堪忍袋の緒が切れたような形で今度は正反対の生き方をするという極端な方法ではなく、もう少し穏やかな変化がいいですね。