戸張という言葉1つの意味合いを調べるだけで、そこには色々な世界が広がります。
参考書や問題集を片手に学ぶことが勉強ではないです。
疑問に思ったことはどんどん調べて、自分の知識という引き出しを増やしていってください。
とばりの使い方の例
とばりの使い方の例をいくつか紹介します。
とばりは古典文学で用いられることが多く、すごく美しい言葉だとされています。
実際の使い方を知ることで、さらにとばりという言葉の魅力を感じることができます。
とばりという言葉の世界に、もう一歩足を踏み入れてみましょう。
まるでタイムスリップしたかのような、不思議な世界があなたを待っています。
夜のとばり
「夜のとばり」とは、とばりを下ろした時のように、夜は真っ暗で何も見えないさまを表現したものです。
とばりは室内と外を隔てて室内が見えないようにするためのものでした。
とばりを下ろすと実際に暗くて何も見えなくなるので、電気がなかった時代の夜はまさにその通りだったのでしょう。
「夜のとばりがおりる」として、これは夕日が沈んで夜になっていく様を表現したものです。
夜風からの寒さを防ぐために、夜になる前にとばりはおろされていました。このため、夜になっていく様を「夜のとばりがおりる頃」と表現したのです。
霧のとばり
「霧のとばり」とは、とばりを下ろした時のように、霧が立ち込めて真っ白で何も見えない様を表現したものです。
和歌で用いられることも多く、藤原定家も「織女たなばたの夜戸出のすがた立ちかくす霧のとばりに秋風ぞ吹く」と詠っています。
1310年頃に作成された「夫木抄(夫木和歌抄)」に掲載されています。
織姫が夜に出かける姿を、霧がとばりのように隠している。そこへ秋風が吹き、霧のようなとばりを巻き上げていく。
といった意味合いを持ち、四季の美しさが目に浮かびます。
この和歌が詠われたのは1256年9月13日、まだ電気も何もないような時代で、私たちが全身で季節の移り変わりを受け入れていた頃です。
今も朝方に時々見られる霧のとばりを上手に活用して、自分だけの歌や俳句で世界観を生み出してみてはどうでしょうか。
和歌に関する引用元:
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ieyosi.html
紅葉のとばり
「紅葉のとばり」とは、あたり一面が紅葉して錦(美しいものや立派なものをたとえる時に、錦おりなす紅葉といった表現をします)のようである様をとばりを下ろした時の様子に例えています。
和歌で用いられることも多く、藤原基家も「鵲の川風たちぬ七夕のもみぢのとばり浪やかくらん」と詠っています。
この和歌も同じく1310年頃に作成された「夫木抄(夫木和歌抄)」に掲載されています。
この歌に出てくる七夕は本来織機の意を示します。
日本の説では男性が女性のところへ天の川を渡って会いに行くというものが強く、和歌でもそのように詠われているものが多いです。
会いに行く方法として、紅葉の橋をわたる、かささぎの橋をわたる、舟でわたるなど諸説あり、いずれもロマンチックです。
紅葉で美しい様と、落ち葉が敷き詰められた川を歩くさまを詠ったのでしょうか。
色々な想像がふくらみます。
ぜひ私達も、紅葉のとばりを探しに出かけたいものです。
青いとばり
「青いとばり」は松任谷由実さんの「埠頭を渡る風」の歌詞に登場します。
「埠頭を渡る風」はどちらかと言うと恋人が最後のドライブをするような別れのシーンが想像されます。
歌詞中にある「青いとばりが 道の果てに続いてる」とあるように、青を使うことで、悲しい気持ちがずっと続くことを表現したのかもしれません。
さすが松任谷由美さんの曲だけあり、想像は膨らむ一方です。