古今和歌集中では、以下のような歌がおさめられています。
夏の夜の ふすかとすれば 郭公(ほととぎす) 鳴くひと声に 明くるしののめ
なんとも趣があり、その時の風景が目に浮かびます。
古語を私たちが日常生活で使用する機会は少ないですが、東雲という言葉を用いた俳句や短歌を考えて優美な時間に浸ってみてください。
玉響(たまゆら)
玉響(たまゆら)は少しの間、ほんのしばらくといった意味で使われます。
万葉集で下記のような歌が生まれたことから出来た言葉です。
玉響 (たまかぎる) きのふの夕見しものを今日の朝 (あした) に恋ふべきものか
勾玉(まがたま)同士がかすかに触れ合って音を奏でる時間はほんのわずかで、その状態がとても短い時間であることから、この言葉が生まれました。
玉が揺らぎ始めるのが微かなことから、しばし、かすかなという風に使われるようになりました。
飯田英彦著の「昔、そこに森があった」の中でも、下記のように表現されています。
たまゆらの青春を、苦しみや悩みを蹴とばしながら、大らかな生きぬく
自らの人生の中でほんのわずかしかない青春時代をたまゆらの青春と表現しています。
言葉一つ変えるだけでもとても重みがあり、あとから振り返るとすごく貴重だと感じる青春時代の良さが響きます。
作品の中では過激な青春時代をブタに変身した英語講師からの目線で書いています。
カテゴリは児童文学とされていますが、青春時代を終えた大人にこそ読んで欲しい一冊です。当たり前の毎日が変わってくるはずです。
今私達が生きているこの時間もきっと、玉響の時間です。
日々を大事に生きましょう。
幽玄(ゆうげん)
幽玄(ゆうげん)のうち、幽はかすか、玄は奥深い道理を意味します。
物事の趣が奥深く計算することもできないことやその様子、趣があり高尚で優美なことやその様子、気品があり優雅なことやその様子といった意味があります。
「もののあはれ」を引き継ぎ、言葉で表現しつくす事の出来ない、奥深くて余剰のある美しさを表現したいときに用います。
日本の芸術文化の大事な理念の1つとされています。
本来は中国思想で使われる漢語でしたが、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて藤原俊成が和歌を批評するときに用いるようになりました。
奥深く微妙な美しさを幽玄と読んでから、和歌の最高理念とされるようになります。
今でも日本の芸術文化に引き継がれ、現代では一般的用語として使われるようになっています。
和歌では、上品で柔らかく王朝的な情趣を言います。
連歌では、言葉で表現しきることのできない感覚的な境地や、静寂な余剰のことを表現したいときに用います。
能楽では柔らかく美しい風情から、静寂な余剰を表現するようになりました。
言葉1つでも、ジャンルによって表現したいことが変わることが驚きです。
幽玄という言葉の奥深さから、日本の歴史文化の面白さに触れることができます。
矜持(きょうじ)
矜持は自信、自負、自尊といった自分自身が持っているプライドを意味します。
さらに言うと、自分の気持ちを抑える、自分をコントロールするといった意味も含まれています。
矜は「誇り」と同じ意味として、「矜り」とも用いられます。
「持つ」は保つ、たもつ、維持するといった意味があります。
矜は矛の柄が語源です。
遥か昔の武士たちにとって矛の柄を持つことは自らのプライドでした。