特に誰かが何かをやらかしたということではなく、大きなストレスを抱えた本人がストレス発散のために怒りを当たり散らすという場合もあるのです。
つまり理不尽な怒りと言えるわけです。
怒りは人の感情の高ぶりが起こす行動であるため、怒るシチュエーションはいろいろとあるということが言えるでしょう。
しかしなるべく怒りたくはないもの
人は怒られることが苦手です。
ですが怒る方も嫌なものなのです。
なるべく怒られたくありませんし、怒ることもしたくないものです。
そうは言っても人は怒りに対しては感情が直結しています。
腹が立つとほとんどの人はイライラします。
そのイライラを発散しなければどんどんそのストレスが溜まっていきます。
怒ることで自分の中では処理することができない感情が起きるのです。
人は日々平穏な気持ちで過ごすということはできません。
生きている限りは対人関係や仕事、身に起きるすべてのことがどんどんと目まぐるしくやり過ごしていきます。
その中で恋人や家族など親密な人から受ける怒りの元となる出来事があることも生きている限りは仕方がないことです。
怒りたくはないけれど怒らざるを得ない状況が生きている限りは続くと言えるでしょう。
ストレスが溜まる
怒った経験がある人は怒るとストレスを感じた経験があるのではないでしょうか。
意外と怒ることでストレス発散できると思われがちですが、実際は逆です。
怒るときはほとんどの場合、自分以外の他人から影響を受けて怒りへと変わります。
他人から何か文句を言われたり、理不尽なことをされたり、またあってはいけないことですが暴力を振られたり、他人から何かされることで自分自身の気持ちの苛立ちや腹が立つことで相手に気持ちをぶつけます。
それが怒りとなります。
このような状態は外部から何かしら悪い影響を受け、自分の気持ちが不安定になるものです。
そうなってしまうと人はとてもストレスを感じます。
そしてそのストレスによって気持ちを爆発させることはもっとストレスが溜まるのです。
ただストレス発散タイプのときもあります。
それは自分の虫の居所が悪いときです。
毎日のイライラを怒りとなって誰かにぶつけることでストレス発散できます。
ただその怒りをぶつけられた相手が先に説明した他人から悪影響を受けてストレスが溜まって怒りを爆発させるということになります。
つまり負のスパイラルによって人間関係はお互いに悪いことが影響し合って行くということでしょう。
喧嘩になってしまう
お互いに怒りをぶつけ合うことは良いことではありません。
確かにどちらかが間違っている考えを持っていることに怒りを感じることはあり、それに対して怒ったり叱ったりすることがあります。
ただ人は自分が常に正しく生きていると思っているので、誰かに間違いを指摘されたり怒られたりすることにこちらも怒りとなって気持ちをぶつけることもあるでしょう。
そうなると喧嘩になってしまいます。
どちらも引くことができない状態が喧嘩させてしまうのです。
どちらかが引けば済むことですが、それができないのが人の心情でありプライドです。
自分のプライドを保つためには怒ることは必要なのです。
ただ自分の間違いを認めることは人として成長させることができます。
それができないために人はストレスを溜め込んでいきます。
喧嘩をしても良いことがないことは分かっているのに変なプライドが邪魔をするということなのでしょう。