しかし1が2になることにも本当は意味があることです。
いつしか2が3になり、それが10になり50になり100に近づいていくのです。
しかしそのような考えができないからこそ、意味を見いだせないのでしょう。
3. 「全部わたしのせいだ」
悲観的な人は、ずべての責任を自分にあると感じてしまいます。
例えば、何か大切な行事があるたびに雨が降ることを「私が雨女だから雨が降ってしまうんだ」なんて考えてしまうわけです。
しかし日本には何億もの人が存在しているわけで、そのうちの誰かが雨女だから雨が降るなんてことは現実的にはあり得ないことですよね。
また仕事で損失がでた時にも「全部自分のせいだ!」なんて責任を感じる人もいますが、これもあなた1人のせいで損失なんて出るわけがないのです。
会社に在籍している全ての人の責任です。
つまり悲観的に自分に責任があると感じる人は、どこかで自意識過剰だといえるでしょう。
自分に自信がなく、マイナス思考なのに、どこかで自分の存在を過大に捉えてしまっているのかもしれません。
自分なんて世に存在している中の小さな1人。
会社にいる中のただの社員。
そうやって自分の存在を過大にしなければ責任をすべて背負うこともなくなるのです。
4. 「無理、無理!」
悲観的な人はまず「無理」から入ります。
できないことが前提なのです。
物事をなんでも悪い方向に捉えるために、まず最悪な結果を想定するところからスタートします。
そしてその最悪な結果しか見えなくなるので「無理」と否定することしかできなくなってしまうのです。
普通であれば、物事を良い結果ともしかしたら?と悪い結果を考えます。
それでもやってみなければわからないと思い、まず試してみるわけです。
それが悲観的な人は、やらなくても悪い結果は見えている!としか思考が働きません。
自分の中で良い結果を想定することができないのです。
まずは「無理」と否定して断る。
やらなくて良いことはやらない。
これが悲観的な人の思考回路です。
5. 「どうでもいい」
生活している中で「どうでもいい」なんて思うことや使うことって少ないですよね。
本当に興味のないことには使うことがあっても、これが口癖となっていると問題です。
常に物事がどうでもいいと考えてしまうのは、自暴自棄になっている証拠です。
人生に疲れてしまい、生活にも将来にも夢も目標も持てないのです。
明日何食べたい?何でもいい。
これどう思う?どうでもいい。
あれってどう思う?どうも思わない。
こうなると悲観的を通り越して無気力で破棄のないロボット人間です。
小さなことでも色んなことに興味を持って楽しみを生み出せるからこそ、人は生きていて楽しいのです。
それがどうでもよくなってしまうと、何もなくなってしまいます。