最近の医学の進歩はすさまじいものがあります。
昔は不治の病として考えられてきたような事も今では当たり前の様に治す事が出来ます。
新しい治療方が次々と開発されており、私たちの生活環境もとても素晴らしい物になりつつあります。
その為、寿命が年々長くなっている傾向にあります。
その為、昔は60歳と言えば定年を迎える年齢であり『老後』と考えられて居ました。
しかしながら、今の60代は皆さんとても元気に過ごしています。
老後なんてとんでもない。
第二の人生を楽しんでいる人ばかりでしょう。
その為。
人生は以前よりずっと長い物になって居ます。
人生は、ただ長ければ良いと言うものではありません。
その内容がいかに充実しており、楽しむ事が出来て居るかどうかにかかって来るのでしょう。
大事な人生をただ嘆いて過ごしていては時間の無駄使いです。
いかに、楽しい人生をおくる事が出来るかどうかは、自分次第で大きく変わって行く事でしょう。
例えば、同じような出来事が起こったとします。
一人の人は、それをポジティブに受け入れ、前向きな行動に変える事が出来るかもしれません。
しかし一方で、もう一人の人はそこから全ての考えがマイナスになってしまい、暗く落ち込む日々が始まってしまうかもしれません。
勿論、人間誰しも落ち込む事もあるでしょう。
自分の力ではどうする事も出来ない出来事に巻き込まれ、悲しい思いをする事だってあるかもしれません。
しかし、その出来事に全ての感情を引っ張られてしまっていては何も自分の中に残す事は出来ないでしょう。
人生を幸せにも不幸にも感じる事が出来るのは、自分の気持ち次第です。
どうせ同じ出来事が起きるのではあれば、是非幸せに感じてみたいものです。
それをする事が出来るのは、自分の気持ち次第です。
自分は不幸な人・幸せな人どちらだと思いますか
人生は長い旅です。
その為、例え今最悪の状態に陥ってしまったとしてもその状態が一生続く訳ではありません。
ですが、辛い状況に置かれて居る時人はついついその状況が一生続くのでは無いかと思ってしまう事があるでしょう。
その為『自分の人生は終わった』『辛い事しか起こらない』とネガティブになってしまう事もあるかもしれません。
自分の人生を良くするか、悪くするかは自分が決める事です。
その為、不幸と感じてしまったら確実に不幸になってしまうでしょう。
反対に、どんな事が起こったとしても『生きているだけで幸せ』と思う事が出来ればそれだけでも幸せな人生をおくる事が出来て居ると言えるのでは無いでしょうか。
どんな事も、考え方次第で内容は大きく変わってきます。
例え、自分の人生が他人と比べて不幸だと感じたとしても、それをひけめに思う必要はあります。
人生の良し悪しは、他人と比べるものでは無いからです。
もしあなたが不幸だと感じて居たとしても、他人から見れば幸せに見えるかもしれません。
反対に、とても幸せそうに見えて居る人だって実際は不幸だと思ているかもしれないのです。
全ては人間の主観です。
それを掘り下げて考えて見た所に何も生まれず、無駄な時間が過ぎていくだけでしょう。
自分の人生を不幸か幸せかを決める事が出来るのは、自分自身です。
不幸だと思い込む人が多い
人間は、考える事が出来る生き物です。
だからこそ、他の生き物に比べ力も弱く生きていく力すら弱い人間が、まるでこの世界の長にでもなったかのように我が物顔で生活する事が出来るのです。
考える力は、正に神から与えられた素晴らしい技でしょう。
これがある事によって、多くの事が出来る様になってきました。
素晴らしい文化を作り、様々な物を開発・制作してきました。
ですが、この考える力は良い事ばかりを人間に与えてくれたわけではありません。
他の動物たちは、おそらく他と自分ンを比べる事をしません。
ただ真っすぐに生きる為に生活をしているのです。
その中には、人間から見れば残酷にも見える弱肉強食の世界もあるでしょう。