会社というところは多くの人間から成り立っています。
会社とはイコール組織の事なのですが、この組織が閉塞感で固まってしまうとそういった組織を抱える会社自体の存続が危うくなるのは過去の歴史が物語りますね。
そして危うい会社の組織を構成する社員のほとんどが「イエスマン」である可能性は非常に高くなってきます。
ではどうしてイエスマンばかりの会社は危ない会社と言われてしまうのでしょうか?
イエスマンばかりの会社が危ない10個の理由と共に考えていきましょう。
️イエスマンばかりの会社は危ない
世間には様々な会社が存在します。
そのほとんどの会社は利益を上げる事に日々、奮闘しています。
そう、会社というところはじっとしていたら何も入ってきません。
生産活動を率先して行わないと生き延びられない宿命なのです。
そのために社員たちは朝から帰宅するまでの時間、自身の持てるスキルや能力を最大限に生かして仕事を行っている訳なのですが、生産活動を行うに当たって、自ずと矛盾が生じたり無理な事、無駄な事などが発生してきます。
本来ならばリーダーを中心として議論や話し合いを行って効率的な仕事が出来るように修正が行われるはずなのですが、中にはそれらの行動が全く形骸化されている会社もあるようです。
そういった会社には強烈な一人のカリスマがいたり、ワンマンオーナーのなすがままの経営方針に従っているだけ、というところも少なくないようです。
自ずとそういった会社の社員には発言権がありません。
全て絶対君主の言いなりとなり、ただの「イエスマン」に成り下がるだけ、という構図が出来上がっていきのですね。
しかしこういった会社の行く末、安泰なのでしょうか?会社が傾いたりする可能性はないのでしょうか?イエスマンばかりの会社は本当に危なくないのでしょうか?
じっくり検証していく必要がありそうですね。
なんでもイエスのイエスマン
ここでイエスマンたちの特徴をちょっと拾ってみましょう。
そもそもイエスマンって特殊な立場の人たちなのでしょうか?
いえいえ、全然そんな事はありません。
至って普通の人達なのです。
むしろ学歴もあって一般常識やマナーもきちんとわきまえた人達なのです。
では、どうして元々ちゃんとした人達がイエスマンなどに成り下がるのでしょうか?
という疑問は愚問なのです。
まともな人だからこそ、絶対君主の君臨する会社に入ってしまうとイエスマンに自主的になっていくのです。
それが大昔からの人間の処世術なのです。
ある意味、組織的で素直で従順な人達の集まりと言えるでしょう。
絶対君主の前で逆らう事がどのような事を意味するのか、イエスマンにはちゃんと分かっているのです。
だから何でもどんな事でも「イエス」になってしまう訳なのです。
人としてはともかく、イエスマンだらけなら良いんじゃ…?
では次の疑問です。
イエスマンたちの人と成りはこの際、置いといて組織的に見れば絶対君主がいて、その周りがイエスマンだらけの方がうまくいきそうだからそれでいいのではないの?という疑問です。
ところがこれには大きな過ちが含まれてきます。
確かに絶対君主が経営判断を間違えず会社を軌道に乗せ利益を出していたならば問題はありません。
そういう時は、周りがイエスマンだらけでも何の問題もないでしょう。
ところが絶対君主に何らかの過ちや経営判断を間違えた時が訪れた時が問題です。
事業の業績が好調な事に胡坐をかき、毎晩クラブ通いで会社のお金を使い込んだ、とか重大な経営判断を見誤ったとか、自身のスキャンダルで会社に大きな損失を与えたとか。