サブカルとは、サブ・カルチャーの略語です。

サブカルは既に30~40年の歴史を持ち、日本において独自に発展、成長してきた「陽の当たらない(はずの)文化」の総称です。

それでは今の時代になっても尚、衰えるどころかどんどん勢力拡大を続けている感のあるサブカルについて、当てはまりそうなテーマ別に見ていく事に致しましょう。

今さら聞けない!サブカルって何?

それではサブカルについて具体的にテーマ別で見ていく前に、そもそもサブカルとは一体何?という素朴な疑問から解消していきましょう。

意味

サブカルの意味は「サブ・カルチャー」の略語であることは既に書いて参りました。

そうです。

サブカルはメインである文化のサブに位置づけられる存在の文化なのです。

日本におけるメインのカルチャーとは、「演劇」「古典芸能」「歌舞伎」など古くから多くの人の支持・寵愛を受けてきた伝統的な娯楽文化の全てがそれに当たると思われます。

よって範囲やジャンルも特定の部分に制限されません。

大衆によって広く長く愛され息づいてきたものが「メインカルチャー」「ハイカルチャー」であり、それらの陰のような存在で大衆の目にあまり触れず、一部の有志や趣味の共有感を持ち合わせた人達の集まり(同人誌など)によってひっそりと楽しまれてきたものが「サブカル」とでも言えるでしょう。

要は個人の自由な意思によってメインの作品を制約なく自由に飛躍させてマスコミの目に触れさせることなく楽しまれるもの、という感じになるでしょうか。

まあ、あまり難しく考えるとややこしくなってきますので、簡単に考えましょう。

太陽と月のような関係かも分かりませんね。

月は太陽が沈んだ時に人の目に触れる。

太陽が燦燦と輝いている時はその姿を消えさせられてしまう。

そういった因果関係のあるものと捉えましょう。

ちなみに、サブカルから派生して「サブカル男子」「サブカル女子」という言葉まであります。
【サブカル男子については、こちらの記事もチェック!】

起源

サブカルの起源は諸説入り混じりますが、大方の一致した意見でまとめれば1970年代から1980年代の間くらいの間が草創期であり起源と位置づけられる時であるといえるでしょう。

思えば70年代辺りから主流派の体制に異を唱え立てついていく風潮が出て来たと、記憶しています。

ニュース的には世間を騒がせた浅間山荘人質立てこもり事件やよど号ハイジャック事件も70年代の冒頭に起こった事件です。

いずれも当時の体制派に反発した一部の過激な人間による犯行なのですが、この時を境にして「持っている層」と「持っていない層」、言い方を変えれば評価された側とそうでなかった側とのギャップが決定的に浮き彫りにされていった感があります。

サブカルはそのような社会背景を基に様々なジャンルからどんどん湧き出すように誕生してきたものと思っております。

使い方

サブカルの使い方といっても特にかしこまって意識する必要もないでしょう。

70年代、80年代に流行ったもの、流行・ファッション・テレビ・当時の世相、何でもありだと思います。

例えば80年代になって一躍脚光を浴びたのがYMOを中心としたテクノポップ。

従来の音楽観を根底から覆すかの如くサウンドは、当時、大人気を博しました。

そのサウンドは今の時代になってもしっかりと受け継がれています。

(多少の古臭さは残っていますが)

サブカルっぽい雰囲気のモノを現代風にアレンジして今の時代に合うように加工すればいいのではないでしょうか?
皆の脳裏に残っているものならば工夫次第でいくらでも新風を吹き込むことは出来ると思いますよ。

ただ、エリマキトカゲやウーパールーパーといった生き物系は今の時代、難しいでしょう。

法規制が当時とは比べものにならないくらい厳しくなっています。

輸入すること自体、既にアウトですからね。

社会学におけるサブカル

それではここからは、サブカルに当てはまるテーマを具体的に掘り下げていきましょう。

ッ社会学的という難しい言い方をしていますが、要はその当時、世間に流行ったものをピックアップしながら見ていきたいと思っています。

漫画

サブカルを言い表すのに最も相応しいジャンルの一つ、それが「漫画」でしょう。

サブカルという文化が定着し始めた70年代というのは今で言うところの「巨匠」と呼ばれる漫画家の先生たちが大挙して世に表れた時代です。

手塚治虫、藤子不二雄、水木しげる、横山光輝といった大御所を始め、赤塚不二夫、永井豪、黒鉄ひろし、石ノ森章太郎、宮崎駿などといったそうそうたる新進気鋭の「傑物」たちが誕生してきました。

皆、当時の漫画界に新風を吹き込み、今日まで広く多くの方たちに愛されてきた漫画家さんたちばかりです。

彼らは純文学の世界の権威や価値観に反抗するかのように斬新で活気的な子供が楽しめる新しい世界観を創造し続けました。

まさに文学の世界の裏でひっそりどころか完全に立場をひっくり返す勢いを見せつけたのです。

よって今の時代となってくると、漫画はもう立派な文化です。

世界に誇れる日本の創造性生産物です。

しかし、当時の作品群に限っては一応、サブカル的扱いで見た方がよろしいのかと思い、漫画のカテゴリーに加えさせていただきました。

アニメ

日本のサブカルを代表するテーマのもう一つじゃ「アニメ」です。

漫画とくればアニメですよね。

まさにオタの人達にとったら切っても切り離せない分野です。

今でこそアニメは娯楽の王道の位置を獲得し、「クールジャパン」というブランド的強みも掴み取り、海外攻勢手段の一環として世界に通用する素晴らしい文化となっていますね。

しかし、アニメが世に表れ始めた頃は、あくまで子供の見るものであって大人の鑑賞には絶えない作品、という枠付けでした。

しかし、映画会社の東映やタツノコプロなどの尽力によりアニメの実力はジワジワと本家の映画産業を追い越していきます。

遂には80年代になって劇場映画版がどんどん上映されるようになり、もはやアニメをサブカルと呼ぶには無理がある感じも呈してきたのです。

いずれにせよ、漫画とアニメはサブカルの2大本命です。

コアなマニアが集まって好きなシーンや声優さんをアイドル視する事によってオタク世代を満足させる構図は今後の続く事でしょう。

映画

映画の世界にもサブカルはうじゃうじゃ存在しています。

そう「B級映画」という名目で。

元々、映画という娯楽はまさしく「王道中の王道」でああったのです。

70年代までの日本においては…。

そう、映画はその主導権を「テレビ」にさらわれる結果となってしまったのです。

しかしながら、映画はテレビでは描き切れない世界観を売り物にしてしぶとく生き永らえます。

そんな事を背景にすることによって映画の世界には多くのサブカルチャーが誕生しました。

特に映画界のサブカルとしてその名を世界に轟かせたのが東宝配給の「ゴジラ」シリーズではなかったでしょうか?

いくらテレビが茶の間の主導権を握ったとはいえ「ゴジラ」はスクリーンの中でしか見る事はできませんでしたからね。

だから学校が夏休みや春休みになると東宝が企画した「チャンピオンシリーズ」が必ずといっていいほど2週間限定で封切られていました。

こうやって映画のサブカルは各社それぞれの代表作を世に送り出し時代に挑戦し続けたのです。

そうそう、日活ロマンポルノもこの時代の強力なコンテンツの一つです。

必ずや町のどこかにあった映画館で封切られていましたからね。

コンピューター

平成の時代において、もはや「コンピューター」という呼称は死語のようになりつつあります。

今の時代においては「ネット」でり「Web」、もしくは「PC」という呼び方が最も相応しくなっているようです。

しかし、80年代においてコンピューターという存在は一種の憧れでありながら器材の大きさや重さが半端ではなくとても一般家庭に普及するような代物ではありませんでした。

そんなコンピューターがサブカル的に扱われたのは80年代になって猛烈にブームを巻き起こした「コンピューターゲーム」がそれに該当するでしょう。

言わずと知れた任天堂の「スーパーマリオ」シリーズの登場です。

テレビゲームのインベーダーゲームがブームの下火を煽りだしたころに彗星の如く現れましたね。

それもゲーム機として。

ゲーム機をコンピューターと呼んでいたのですから当時のモノラルぶりが伺しれます。

しかし、コンピューターゲーム機は爆発的な人気を呼びついには親会社である任天堂は一時的にしろMLBのマリナーズのオーナー会社にまでなっています。

スーパーマリオの力、オソルベシ!ですね。

SF

サブカルを代表するテーマの一つがこの「SF」です。

「SF」はサブカルとして取り扱いやすいジャンルと言えるでしょう。

勿論、「SF」のジャンルの中には日本が世界に誇る「特撮」分野も入れていいでしょう。

「SF」という分野は70年代まではどちらかというとマニア向けというか一部のコアなファンを対象にした分野、という印象が強く、茶の間でも子供は楽しめても大人にとったら興味のないジャンルであったのです。

そんな日陰のような存在だった「SF」が一気に王道にのし上がった作品があります。

それは現在においても続編が制作されている不朽の名作「スターウオーズ」です。

「スターウオーズ」が世に発表されてからというもの、SF映画の評価が一気に高まり、もはやサブカルで扱う分野ではなくなってきた感があります。

よってサブカル的に扱えるSFの対象は70年代あたりの作品群という事になりそうですね。

勿論、70年代にもコアなファンを納得させる優秀な作品は多数、輩出されていますよ。

先の日本の特撮作品(特に円谷英二監督の作品)を筆頭に海外ではレイ・ハリーハウゼンの作り出したダイナメーション手法によるSF映画も鑑賞に値する作品だと思いますよ。

オカルト

オカルトもサブカルにとったら定番的なテーマの一つと言えるでしょう。

オカルトブームに火をつけたのは何と言っても70年代に大流行したユリゲラーによる超能力です。

念力か超能力かは分かりませんが金属製のスプーンを見事にグニャグニャにするパフォーマンスをテレビを通じてやっていましたね。

その後、超能力系や超常現象系、ホラー系とひっきりなしにマスコミを通じて私たちの目の前に露出されてきました。

特に怖かったのは「エクソシスト」や「オーメン」といった悪霊や悪魔自体を扱う映画の出現です。

この頃になるとオカルトはもう完全に一つのメジャー的なコンテンツになっていたような気がしますね。

しかし、オカルトはサブカル的な扱いの方が似合っています。

日本の場合は幽霊やお化け、妖怪といったものが既にありオカルトが全ての人の心を占領してしまうにはちょっと形勢が不利だったようにも思えますね。

ディスコ

ディスコサウンドに乗って70年代から大流行したのが「ディスコ」です。

ディスコもサブカルとして扱うのにもってこいのテーマですね。

ディスコが世間の注目の的となったきっかけは何といってもジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」でしょう。

ビージーズの主題歌がCMにひっきりなしに写りテレビ番組も競ってこの映画やディスコの事について取り上げていましたね。

当然、当時の若者の最高の遊びがディスコです。

ディスコで踊れないものはダサい存在という扱いでしたね。

「フィーバー!フィーバー!」は当時の決め台詞のような言葉にまで格上げされていました。

まさにディスコブームはバブルが衰退していくまでの間、日本に存在していたサブカルの一翼を担ってくれた横綱級の存在だったのです。

CLUB

当時、インディー系のメジャーではないバンドやミュージシャンたちがその腕前を披露すべく街の一角にあった小ホール。

お酒や軽食を出しながらメインは未来を夢見る若き金の卵たちがしのぎを削った場所。

それが「CLUB」です。

大都市には結構、無名のホールを含めてCLUBは林立していましたね。

そこへやってくるのはちょっとやさぐれた感のある若者や人生に疲れたサラリーマンたち。

狭い空間にタバコの臭いと汗と大音響の音楽の響きが、「日常」から脱出できるささやかなひと時でもありました。

今やサブカル仲間にとっては懐かしき日を思い起こさせる青春の1ページでしょうね。

ストリートファッション

ストリートファッションも懐かしきサブカルの1テーマとして語られるべきものでしょう。

そもそもストリートファッションとはデザイナーやブランドイメージに捉われず町中(ストリート)において自然発生的に誕生してきたファッションの総称の事。

ファッションに高いお金をかけることなく、かといって自己主張を放棄することなく気軽に着こなせていた服装全般の事を言っているのです。

しかし、サブカル系で取り上げられるストリートファッションと言えば、80年代に突如として湧き上がってきた「竹の子族」のファッションではないでしょうか?

男女が原色を意識した濃い目の服装で路上(ストリート)をラジカセを中心にしてチームを組んで踊る。

このパフォーマンスは当時の一大トピックスともいうべき現象で80年代を振り返ればいい意味でも悪い意味でも竹の子族ファッションが取り上げられたものです。

一体、休みの日になると大挙して歩行者天国に表れてパフォーマンスを繰り返すこの行い。

誰が最初にやり始めたのでしょうね?