しかし、当事者意識が欠如している人はかなり楽天主義の人が多いです。
「なんとかなる」「なるようになる」と思っているのです。
しかも、それに対して全く根拠がありません。
何故大丈夫なのか、理由は無いのです。
それは、自分が今まで「なんともなく」過ごせて来ているからです。
当事者意識が欠如している人は自分が当事者であっても当事者ではないと思っています。
その件に関しては他人事であり、自分は関係ないので、悩むことが無いのです。
先のことを考えていない
当事者意識がある人はいつも先のことを考えています。
考え過ぎて進まない場合もあります。
しかし、当事者意識が欠けている人は楽天主義であるので、先のことはあまり考えません。
「明日のことは明日考えれば良い」と言う感じです。
確かにビジネスにおいて、あまり先のことを考え過ぎて進まない、とにかくやってみなければわからないという場面には遭遇します。
後先考えずに失敗するのは大人としては賛同できるものではありませんよね。
当事者意識に欠けている人は、もともと性格が慎重でないので、先のことを考えると言うこと自体、無駄なことだと思っている傾向があります。
責任感がない
楽天主義であるということにも繋がりますが、当事者意識が欠如している人はほとんどが責任感がありません。
当事者でないと思っているから当たり前です。
むしろ、何故自分が責任を感じなければならないのかと思うはずです。
さらに、「もしかして自分が責任を負わなければならないかもしれない」というような不安にかられることもありません。
本人は「自分は責任感が無い人間だ」とさえ思わないのです。
他の人から「あなたが当事者である」と教えてもらっても、ピンとくる人は少なく、「何故自分が当事者なのか理解できない」という人もいるでしょう。
また、責任感を持たなければならない仕事からは、逃げてしまう傾向にあります。
できるだけ当事者にならないようにしている場合もありますが、そのような場合は逆に「当事者」とはどういうことかはわかっているのかもしれませんね。
能力のある人が責任を持つと思っている
当事者意識が欠如している人は、意外と自分が能力者では無いことをわかっています。
それはある意味責任から逃れたいからという意識が働いているからかもしれません。
もともと責任のある仕事を任されることを好まないので、自分はそのような立場としてはふさわしくないとも思っているのです。
ですので、このような人が不本意に責任感のある仕事を任されたとして失敗してしまったら、「自分なんかを責任のあるポストに任命する方が悪い」とさえ思ってしまいます。
そもそも、当事者意識が欠如している人は当事者意識を欠如していることを自分でわかっていないだけでなく当事者意識を持ちたいとも思っていません。
指導する上で、どうしてもその人に当事者意識を持ってもらって仕事をしてもらいたいと思ってもかなり難しいことと思っておかなければなりません。
自己愛が強い
当事者意識に欠けている人は、もともと自分が大好きで傷つきたくないのです。
自己愛が強いとでも言いましょうか、とにかく自分第一の人が多いです。
他人に厳しくないですが自分にも厳しくないのです。
自己愛が強いことは決して悪いことではありません。
自分のことを好きでなければ他人に対して愛情を持つこともできないです。
それに、自分にある程度自信がなければ社会で生きて行くことは難しいからです。
ですので、指導者側も自己愛が強いことを責めるのではなく、そこを良いように伸ばして行くべきであると言えます。
自分のことを好きになれるひとはなかなかいません。