ただし、美しいと思える基準が同じ感覚の人でなければ友達や恋人としてお付き合いしていくのは難しいでしょう。
人が美しいと思ったり、面白いと思う感覚は人間を形成する上での根本的なものになるからです。
いわば感覚の土台です。
美しいと思う感覚を無理に他人と合わせても絶対にうまく行くことはありません。
育った環境による
では、いったい人が「美しい」と思う感覚はどのように養われていくのでしょうか?
美しいと思う感覚だけでなく、楽しい・面白い・悲しい・辛いなど人間が感じる感覚の全ては、育った環境に依存します。
どういう家庭で育ったかというだけでなく、幼少期にどのような友達と付き合ったかにもよります。
例えば、普通の人が見て美しいと思う感覚ではなく、普通の人が見て嫌な気分になる・グロテスクなものであると判断するものに対して美しいと思ってしまう人がいます。
何かをみて美しいと思うことは罪ではありませんが、美しいと思うものの基準によっては、やはり社会的にみて問題ありと判断されることもあります。
育った環境に依存されますので、社会的に問題があるようなものを美しいと思ってしまっても本人に罪はありません。
しかし、子供を育てるうえでこのように人としての感覚を養わせる場合には、親としては十分配慮が必要になって来ます。
親の価値観の影響
上記と同じような内容になりますが、人が美しいと思うものの価値観は親の影響が多いに反映されます。
例えば、親が花に非常に興味があり、毎日家の中に花を絶やすことなく、さらにその花を見て「綺麗だ」とか「美しい」という言葉を発していれば子供は自然と花を美しいと思うようになるものです。
ですので、日頃から形あるものに対して、例えば宝石や花などを美しいと思うように育てられることもありますし、友情や愛情など、形が無く目には見えないものこそ美しいのだと育てられた場合は、当然子供は宝石や花よりも、友情や愛情の方が美しいと思う感覚を持つようになります。
どちらが良いとか悪いというのはありませんが、親の価値観の影響はおもっている以上に子供に影響を与えるのだと言うことを覚えておかなくてはなりません。
周囲の友人の影響
また、親元を少し離れて学校に行くようになると、周囲の友人の影響が加味されます。
特に友達になった人が自分の知らないものを知っていて、興味があるとしたら本人も当然興味を持つようになります。
それが本当に美しいものであれば全く問題はありませんが、問題のあるものや行動ともなれば、これは少々厄介な問題です。
小さい頃は特に、何かを成し遂げようとする際には一人じゃなく、大勢で一緒に行う場合が多いです。
これが例えばボランティア活動など世間的に見ても美しいものであれば問題無いのですが、集団で一人をいじめる、何かを盗むなど犯罪を楽しむようになってしまうとおしまいです。
親の立場から、友達を選ぶことは勧めにくいとは思いますが、子供の将来を思うのであれば、付き合う友達は自分の責任において選ばせるように注意しましょう。
どのような友達と付き合うかで、その子供の人生は大きく変わってきてしまいます。
美しい物事に接すると人はどうなる?
では、美しい物事に接すると人はどうなるのでしょうか?まずは気分が高揚しますよね。
美しい物事を目の当たりにして、気持ちが沈んでしまうなんてことはまずありません。