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出来レースが疑われる時の10個の特...(続き2)

「八百長」という言葉は、明治時代の出来事に由来しているようです。

明治時代に、通称「八百長」と言われていた長兵衛さんがいて、相撲の構成役員である男と囲碁をする仲間だったそうです。

囲碁では長兵衛が強かったのですが、それでは相手の男のご機嫌がよくありません。

なので、わざと負けたりしてうま~く調整し、相手の男のご機嫌を取りつつ商売もうまいこと行っていたそうです。

その勝敗をうまく調整していたことが、あとでバレてしまって、わざと負けることを「八百長」というようになったそうです。

最初は相撲界で使われていた言葉でした。

のちには勝負の前に相談して勝負の勝敗を決めることも含めて、いろいろな勝負ごとにおいても「八百長」という言葉が使われるようになったようです。

政治に関しても、出来レースという言葉が使われていることがあります。

それは、与党と野党がお互いのメンツをが持つために、議会で一応対面上は議論し、野党は一応反対し、結局まあなんだかんだ言って議決するって場面です。

審議しているのは表面上のことであって、結局議決されることは決まっている、という状態があったりするわけなんですね。

なんだか、それじゃあ審議している意味ないじゃん!ただの茶番じゃん!と思うことがあります。

ですが、世の中はそんなことがけっこう溢れているものらしいです。

裁判などでも、どちらかの一方と裁判所が繋がりを持っていて、勝訴させることを約束して裁判が行われていたりします。

相手側は、どんなに証拠を提出したり、どんなに正当な主張をしたりしてもそれが受け入れられることはありません。

誰が見ても、不公正な判決だと思えることも、それが裁判所の決定として下されたりすることもあるのです。

お金と権力の怖さですね。

勝者を決めた上で勝敗を決めること

それで、出来レースとは、事前にその人個人であったり、団体や組織であったりが、勝負事において結果をあらかじめ話し合い、決めておきます。

そして、表面上は真剣勝負に見せながら、決まり切った勝負をするということですね。

つまり、もう勝負する前から勝者は決まっているのです!

なのに、勝負をするなんて、真剣に勝負を挑んだ出来レースに関係していない人たちからすると本当に怒りがこみ上げる場面ですね。

ハメられた!って思うこともあるでしょう。

勝者が決まっているのであれば、いくら努力しても、いくらいいパフォーマンスを見せたり、いい成績を残しても評価してもらえない、ということになります。

それで、「出来レース」という言葉は、負けたほうが納得できない!ということを主張したり、怒りの感情を表現するときにもよく使われています。

負けたほうが結果に満足できずに、「今回の勝負は、あらかじめシナリオが書かれていたドラマと同じだ」という風に言われることもあります。

「これは単なるショーだ」と言われたこともありました。

スポーツにおいては、この出来レースが疑われる場面というのは、けっこう多いのです。

審判の判定が不公平だと思われた場合や、みんなが思っていた当然の勝者に負けの判定が下った時なんかはかなり話題になりますね。

あと、投票で勝敗を決めるという場面でも、実は投票数にかかわらず勝者が決まっている場合もあるそうです。

それは完璧な出来レースですね。

あと、一応されている採用公募とか。

本当は、もう当選者や採用者が決まっているし、面接に行ったって意味がありません。

ですが、規定が公募で募った中から決める、というものであった場合です。

何も知らない誠実に応募してやって来た人は、真剣に見て評価などしてもらえず、労力と時間の無駄になってしまいます。

出来レースが疑われる時の10個の特徴


世の中には、もう勝負の勝敗が裏で決められていることを、表面的には真剣な勝負と見せている、ということが実はたくさん起こっているのかもしれません。

その事実が本当に暴かれることは少ないのです。

裏で何があったのか、勝負の結果は本当に公平で真実なものだったのか、ということがわからないまま。

ただ納得のいかない結果に、選手たちや関係者が怒りを持つということもあります。

しかし、全部が全部出来レースではないはずです。