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自慢しても良いと思う9個のこと(続き2)

それは単に、自分がすごくHAPPYだから、その嬉しい気持ちをわかってほしいというだけの理由かもしれません。

何か欲しいものが当たったときなども、「当たったよ〜!!」って友達みんなに叫びまわりたくなるときもあるでしょう。

それも、この喜びを分かちたい、大好きなみんなにも一緒に喜んでほしい!という純粋な気持ちからです。

自分が嬉しいとき、楽しいとき、HAPPYなとき、それをだれかと分かち合いたいと思うのは自然な感情ですよね。

そして、本当に仲のいい人だったり、あなたを大切に思ってくれる人なら、あなたの喜んでいる姿や楽しそうな姿を見て、一緒に喜んでくれるでしょう。

ただ、相手がすごく辛いときだったり、不幸に見舞われているときなどに、そのような浮かれた気持ちを無理に共有しようとするのは、相手の気持ちを傷つけたり、もっと辛い思いをさせて、すごく不快に思わせることにもなりますので、思いやりを忘れないように注意したいものです。

2. 優越感を感じたい


いっつも、自慢ばかりしている人はもしかしたら、優越感を感じていたいという心理がいつも働いているのかもしれません。

「優越感」とは、自分が他人より優れていると自覚し、それに酔っていることです。

自分が他の人より優れていると自覚したいがために、自慢しまくるということは、心の底では自分が優れている存在だということを自覚できていない、ということになりますね。

そのようにもろい自尊心しかないために、自慢して周りがちやほやしてくれることで、やっと自覚できて安心できるのかもしれません。

しかし、本当の自尊心というのは優越感とは全くの別物です。

自尊心はだれかと比較して自分の価値をやっと認められる、ということではなく、自分で自分の価値を認められることです。

なので、自尊心のないひとこそ、逆に人と比べて自分はすごいんだ、自分は人よりも優れているんだ、ということを自覚したくて、つまり優越感に浸りたくて、自慢ばかりする、ということなのです。

なので、優越感を感じたいという人の多くは、本当のところ自分の価値に自信がない人も多いのです。

優越感というのは、他人と比較した自分の評価です。

それも、自分で感じている「自分は優れている」という気持ちなので、本当のところ、実際に優れているとは限らず、単なる自分の思い込みのなかで優れていると思っているに過ぎないことも多いです。

それに、他の人と自分を比較すると劣等感というものもでてきます。

劣等感は優越感の対義語ですけど、いつも人と自分を比較してでしか自分のことを評価できない人は、劣等感も感じる事が多く、その劣等感ゆえに自分の凄さを見せつけることによって優越感に浸ろうと必死になることもあるでしょう。

または、もともと心が優越感で出来上がっている人は、知らず知らずに自慢ばかりをして、人に「自分はこんなにすごいんだぞ!もっと自分様をもてはやせ!」と思っているのかもしれません。

3. 褒めてもらいたい

人間はみんな人に自分のことを認めてもらいたい、と思っています。

それは間違った感情ではありません。

当然の感情であり、小さな子どもが親に褒められたくてお手伝いをしたり、お父さんに褒められたくて勉強を頑張ったりすることの動機となります。

人から褒めてもらうと、自分を認めてもらった、という自覚からすごく心が温かくなったり、満たされるような気持ちになりますよね。

逆に、自分が認めてもらっていない、と思うとすごく不安になったり、感情的に不安定になって必死になって自分を認めてくれる人を探そうとすることもあります。

それで、自慢をして褒めてもらおう、自分の価値を認めてもらおうとすることがあります。

4. 自分を大きく見せたい

実際の自分よりも、自分を大きく見せたいという時にも、自慢が出るかもしれません。

なんで自分を大きく見せたいのかというと、人に注目されたい、自分という存在をアピールして認めてもらいたい、という気持ちがあるのでしょう。

それで、自分の苦労話とか、自分のやってきたことなどのエピソードなどを盛って話す人もいます。

それは一見自慢には見えないかもしれませんが、「自分でこんな苦労を乗り越えてここまで来たんだ、すごいでしょ」という虚栄心の表われであることもあるでしょう。

さらに、自分のなかで自分の評価があまりにも高くなってしまっていて、大きく見せる必要があり、自慢話ばかりをするといこともあるようです。

誰でもあることなのかもしれませんが、自分で自分を正しく評価する、というのはそんなに簡単ではありません。

もしかしたら実際にはもっと能力もあるのに、自分を低く評価しすぎていることもあるかもしれず、逆に現実よりも過大評価してしまっている場合もあります。

自分が自分のことを過大評価してしまっていると気づき、足もとをちゃんと見て正しい自己評価ができるなら、それほど無理をしなくてもいいのですが、自分の中で大きくなってしまった自分という存在をどうしても他人にも認めてほしいと思ってしまうと、自分を大きく見せて飾り立てるために、いろいろと誇張した話をしたり、見栄を張って高価なものを身に着けたりすることもあります。

「自分はこのくらいの存在なんだ」と、低すぎることも高すぎることもない正しい自己評価ができるって、大切なことなのかもしれません。