それは誰にも分かりません。
だからこそ、人のモチベーションは上下し、悩み、くじけそうになります。
言うまでもありませんが、人生において輝かしい実績を作った人達は全員この壁を叩き続けて壊した人達です。
もちろん彼らにも「自分が今何回叩いたのか?」は分かっていません。
でも壊すことに成功しました。
憶測ですが、彼ら偉人は、その過程において何回叩いたのか?という自問はしていなかったのではないでしょうか?
「壊れるまで叩くだけ」というシンプルなメンタルで壁に立ち向かっていたのではないかと思います。
これはメンタルコントロールの問題なのですが、「今何回叩いたか?」を考えることは答えのない問いで不毛です。
にも関わらず、確実にモチベーションに大きく影響します。
分かっててもつい自問してしまう時はあるでしょう。
そこを偉人達は自分のタフなメンタルで抑え込みます。
「そんなことを考えるより叩き続けよう」
最終的にこうしたシンプルな結論にたどり着いているように感じられます。
偉人が偉人たるゆえんは、「尋常ではない精神を維持すること」にあります。
本来なら心折れることでも、勇敢に貪欲に自分を鼓舞して戦い続けます。
一度や二度なら誰でもできますが、これを人生という長い時間で継続させる鉄人です。
偉人の言葉というよりも、偉人が歩んだ道そのものがエールになりますね。
というあこがれの視点で見るだけではなく、いい部分は吸収して、我々も戦い続けなくてはいけませんよね。
「勝ち負けなんか、ちっぽけなこと。大事なことは、本気だったかどうかだ!」松岡修造
これも松岡さんの言葉で、これもまたスポーツ選手ならではの名言です。
スポーツでは必ず目に見える形で勝者と敗者に分かれます。
分かりやすく、かつ残酷な戦場で戦い続けるのがアスリートです。
そんなプロのアスリートが言うと説得力がありますね。
勝敗で全てが決まるプロの世界で、それをちっぽけだと言うのは並大抵の覚悟ではありません。
それほどまでに彼は「本気かどうか?」にこだわっていたのでしょう。
ここは極端に意見が分かれるでしょうね。
勝たなきゃどんな努力も意味がない、という人もいるでしょうし、その努力自体に意味があるという人もいるでしょう。
どちらも正解なのでしょうね。
揚げ足をとるような言い方になってしまいますが、松岡さんがプロとして大成しなければ、この名言は生まれなかったかもしれません。
ある意味では「結果を残した人だからこそ言える名言」です。
高みに立った人が見る景色と高みを目指している人が見る景色は全く違います。
なので高みを目指している最中の人がこの名言を鵜呑みにするのは、逃げの口実にもなりそうで、いささか危険かもしれません。
本気かどうかが大事なのはもちろんですが、勝敗はちっぽけだ!!というのは勝者の理屈とも言えますね。
ただし、人生においては「勝敗の線引き」はとても曖昧です。
何をもって勝利と言うか?はスポーツほど明確な答えはありません。
そういう意味では確かに勝敗という概念そのものがちっぽけなのかもしれませんね。
「決して屈するな。決して、決して、決して!」ウィンストン・チャーチル
ポジティブ理論ですね。
とはいえ、そうもいかないのが現実だよねと言い訳することは、すでに屈している証拠かもしれません。
あまりにシンプルすぎて、実践のハードルがかなり高く感じてしまうかもしれませんね。