体力や生活環境を考えると、そうそうチャレンジもできないものです。
それが30代ですと、行こうと思えば今ならまだどこにでも行ける、というわけですね。
その選択肢の多さに困惑し、余計に先が見えづらくなるというのが実状ではないでしょうか?
この先どういう人生を歩むかプランが沸かない
慢性的に過ごす日々は心を曇らせる最大の原因ですが、それにその人独自の状況が加わるとプラン以前の問題です。
この先どころか今も分からないよ!という人も多いのではないでしょうか?
なんとなく日々生きているけれど…俺って一体…という「自分探しの旅」に出たい30代も多いでしょう。
ちなみに個人的見解ですが
自分探しの旅に出ても、気は休まりますが自分は見つからないと思います。
というよりも、すでに自分はいますからね。
それは探し出すものではなく、見つめるものですよね?
プランには、行動力、手持ちの財産、自分の欲などいろんな条件が加わってきます。
なので正解はありません。
いかに自分が幸せな時間を過ごすか?これを突き詰めて考えていくしかありません。
自分にとって必要なものを残し、いらないものを排除する。
非常にシンプルですが、道に迷ったときはこう考えるしかないでしょう。
人間関係や恋愛の悩み
仕事やお金が30代にとって、大きな壁になることは間違いありません。
が、もちろんそれだけで済むほど30代は甘くはありません。
経験が熟すと自分の中で「答えに近いもの」を瞬時かつ敏感に判断するようになります。
これはその人の経験則で成り立っている答えですが、残念ながら、この経験が逆に邪魔をしてしまう場合も多いようです。
そもそも人間関係、恋愛面などで、答えというものは存在しません。
イエスやノーは個人的見解であって「正解」ではありません。
単に自分の中で完結してる結論であって、それが他人にあてはまるわけではありませんから。
ところが、やっかいなことに30代の熟した経験は「このパターンはこうなはず」という明確な予測に直結します。
つまり、「安易に決めつけることが多くなる」ということです。
今まではこうだったから、という特別な根拠でもない自分の経験則がそう判断させてしまうのですね。
これが案外やっかいなものなのです。
6.自分に自信がなくなってきた
これは正しい、という過去の経験を基に明確な判断をしやすい30代ですが、もちろんそれがそのまま結果に結び付くということでもありません。
そして気付きます。
「あれ?この理屈が通じないぞ?」と。
それが何回も続くと、自分の判断基準が間違っているように感じてくるものです。
「今までは通じていたはずなのに…」これは劣等感すらも生み出します。
自分が培ってきた精神が通用しない状況、自分の理解を越えた問題など、30代特有の「決めつけ」は意外と根深いものです。
それでも、その精神で生きてきた30代は、なかなか譲ることができず、自分の判断基準に執着してしまうことも多いようです。
それはプライドですね。
柔軟に対応するか、自分が培ってきた精神を信じるか。
非常にきわどい選択を強いられることになります。