周りの友達がみんな大人に見える
もし仮に、そういった選択を迫られる局面で「自分の価値観」を信じるのであれば、それは時として、子供っぽい執着心にも見えるものです。
ふとした時に思うかもしれません。
「あいつは若い子にうまく順応してるな…これが大人の対応なのか…」
自分だけが自分の価値観にしがみついてると、自分の価値観を持ちながらうまく世間を歩いている他人を見た時、大人の対応をしているように見えるでしょう。
それは多分間違ってはいません。
その周りは大人です。
子供のようにわがままに、純粋に、というのも魅力的ではありますが、時と場合によっては、「大人としてみっともない姿」をさらすことになります。
やはり大人であれば…という対応はどんな場所でも求められるでしょう。
といっても、培ってきた自分の価値基準を捨てるということではありません。
あくまで時と場合です。
あまりにも世渡り上手なのは、大人というより、自分がないとみられることにもなるので、自信の持ち方、表現の仕方は時と場合によって使い分けましょう。
7.1人の時間が不安になる
未婚の人は、責任は自分に対してだけなので自由そのものです。
自由を謳歌しましょう!となれればいいのですが…。
仕事やお金に不安を抱えてる人は、否応なく他のことにも影がついてまわります。
自由ではなく孤独と感じてしまえば、ネガティブにもなってしまうでしょうね。
仕事中や、人と会ってる時などは気が紛れても、夜一人になった時に忍び寄る影。
実はこの一人になった時に感じる不安は、原因が単純明快です。
答えは一つしかありません。
自分と「何か」を比較して生まれた焦燥感、それすなわち「あの不安」です。
ついつい、得体の知れない何かと自分を比較してしまい、劣等感を感じてしまっているわけですね。
こうあるべきなのに、今の自分は違うという劣等感…では「こうあるべき」とは何を指しているのでしょうか?
例えば自分の理想と今の自分が違うのであれば、それは「不安」ではなくただの悔しさです。
むしろ喜ばしいことですから、悔しさをバネにがんばりましょう。
それが「こうあるべきなのに…」と考えた場合、それは自分の理想ではなく「比較対象あっての理屈」になります。
あげくそれは誰か特定の人を指しているわけではなく、得体の知れない何か…つまり自分が勝手に作り上げた表層のイメージでしかありません。
自分で作り上げたイメージと夜な夜なシャドーボクシングしてるようなものです。
そしてそのシャドーボクシングで勝つことは100パーセント不可能です。
大なり小なりあると思いますが、この不安は不毛です。
精神衛生上よいことはありません。
例えば「普通なら30代ってこうなのに今の自分は…」と考え不安になった場合、「普通って何ですか?何を指してるんですか?」と決して揚げ足をとるわけではなく、シンプルに疑問を感じます。
正体は一般常識でしょうが、一般常識と自分を比較してもあまり意味はありません。
そこに勝敗はありませんから。
目の前にあるもの全ては自分の判断で価値が変わるものです。
なので一人になった時の不安は、誰にでもあるものですが…どうせなら孤独ではなく自由と感じましょう。
その寂しさはすなわち無限の可能性とも言えます。
既婚者にはできないことですから、やはりそこは特権として謳歌するべきだと僕は思います。
周りの友達に守るべき家庭ができてきた
と、強気でいっても人間誰もが寂しさにはつい負けてしまうものですよね…。