都会に朝から出かける用事があって、満員電車に乗って行きました。
地下鉄の駅を出て地上に出ると、そこには出勤途上の人々が忙しく歩いています。
その流れに乗って歩きながら周りを見ると、地味な服装の通勤客の姿が目に入ります。
信号で立ち止まると、腕時計を見て時間を確かめています。
スマホを見ながら歩いていたり、電話をかけながら歩く人もいます。
皆さんに共通することは、時間を効率的に使おうという意識がアリアリなことです。
時間の余裕など、全くないようです。
その後、用事を済ませて時刻を見ると、ちょうど12時になるところでした。
この時間は、食堂も混雑するので食事は避けるのです。
近くのデパートに寄ってウロウロしてみることにしました。
そこには、通勤時間帯とは異なる、カラフルな景色が見えるのです。
髪を紫色に染めたおばあさんや、華やかな色合いのワンピースのご婦人、派手な靴と帽子の紳士など、別世界のようです。
あの暗い服装の世界から華やかな世界に変わったのです。
そこにいる人は、時間に追われない自由な人達が多く、歩くスピードもゆっくりで、友達と笑顔で会話をしながら歩くのです。
仕事をしていない自由人かも知れませんが、よく見ると服装や持ち物もあそびごころが満載のように感じました。
誰かと同じものを持つわけでもなく、自分の思うがままの服装や行動をしているようです。
私から見ると、あそびごころが満載なのです。
あそびごころとは?
会話の中で、よくジョークを言う人がいます。
みんなで会話をしている時に、不意に言うジョークは、みんなの笑いを誘い雰囲気を和らげる効果があります。
しかし、ジョークには、相手を揶揄したり軽蔑することになる時があります。
軽いジョークを言ったつもりが、言われた本人は深刻に受け止めて、友情が壊れる時もあるのです。
重要な議題で会議をしている時などにジョークを言うと、おもしろいジョークでもそれこそ冷ややかな目で見られるのです。
軽い雰囲気の時に使うのが基本です。
年を取るとジョークを言うよりも、ユーモアのある話題を言う方が好まれるようです。
ユーモアの方は、厳しいことを言っても和やかな雰囲気になるので、クスッと笑うことが多いようです。
こんなユーモアとは、会話のあそびごころとでも言えます。
いつもの道を外して敢えて回り道をしてみたり、無駄なことを楽しんでみたり、そんなことをする必要はあるの?と驚かせることであそびごころが発揮できるのです。
遊びたいと思う気持ち
遊びごころは、この辺で少し遊んでリラックスしてみようという気持ちの表れです。
もちろん、頼まれたことや期限がある仕事などは、完遂できるという余裕があってのことです。
余裕も無いのに遊ぶなんて、とんでもないことです。
何事も真面目に取り組んでいる人は、仕事はしっかりとするのですが、仲間に溶け込みにくい人が多いようです。
仕事以外のことを考えたり、ましてや遊んだりすることは不真面目な生き方だと考えているからです。
遊ぶ=不真面目=サボる=不良という考え方を教わってきたからです。
余裕ができて遊びたいという気持ちが芽生えても、素直に遊べない性格なのです。
ノーベル賞の受賞者は、みんな生真面目な性格だと思いがちですが、そんなことはないのです。
研究者には少々の遊びごころと、失敗を笑いとばすような余裕が無いと成功しないようです。
誰も挑戦しないようなことに、遊びごころでチャレンジして、予想もしなかった発見が生まれることもあるのです。