直観的、別に悪い事ではありません。
直観的な発言というのは時に困っている人の窮地を救ってあげることもありますから。
ただ…。
使い方を誤ると人間関係を大きく破壊してしまう危険な表現でもあるのです。
直観的にものを言う、という事は相手に対して全く遠慮なく自分の思った事をストレートに言う、という事です。
そこには気遣いも思いやりも配慮もありません。
聞きようによってはケンカを売っているような言い方にも取られます。
本当に危険な言い方なのです。
しかし、今更利己主義な人に、直観的な発言を止めるように、と諭しても手遅れでしょう。
この表現の仕方が彼ら・彼女たちの真骨頂であり自己の優秀性をアピールできるもの、と強く思っているからです。
どこそういう発想になってしまったのか。
人間の幼少時の教育の重要性が本当に分かる事だと思います。
人を信用できない
利己主義な人の特徴の12個目は「人を信用できない」です。
しかしこの特徴はある意味、自業自得です。
それは他ならぬ、あなた自身がそうなる原因を作ってしまったからです。
ところが悲しいかな、利己主義の人はその原因が自分にあるという事がまるで自覚できません。
そして更に悲しいのは利己主義に人達が自己反省する事が出来ないとことです。
他者から自身の不具合を指摘されると、烈火の如く怒りだし、決して自分に非はない、と言い張ります。
これでは、もうまともなコミュニケーションを取る事は不可能でしょう。
こうやって利己主義の人は自分の周りから友や仲間を離していくのです。
人を信用できないのは、あたかも周囲の人間に原因があるのだ、と思い込んで、です。
自己犠牲の概念がない
利己主義な人の特徴の13個目は「自己犠牲の概念がない」という事です。
この特徴も利己主義の人の悲しい性を表していますね。
利己主義の人はどういう訳か、他者のために何かしてあげるとか、労を惜しまない行動を全くと言っていいほど、行いません。
まさしく目先の損得勘定に走ってしまい見事というより言いようのないほど、自己犠牲は行いません。
昔から人付き合いの基本として「持ちつ持たれつ」。
あるいは「損して得取れ」「ギブ・アンド・テイク」という言葉があります。
人の為に行った行為や労働はその時は損をしたように思えても何日か後には本人の想像を超えるような形で報われるべき行為が却ってくる、という事を言い表した言葉です。
まさしく、人間関係というものはそういうものです。
恩を受けたらお返しする。
またその反対も然り。
こうやって良好な人間関係が営まわれるのです。
自己犠牲という概念は決して「自己犠牲」ではありません。
語り尽せないくらいの大きな報奨があなたに却ってきます。
世の中に犠牲になるような行為などない、と思える人だけが本当の「富」を手に入れるのではないでしょうかねえ。
自分に甘い
利己主義な人の特徴の14個目は「自分に甘い」です。
ううん、だからそういった人達のことを「利己主義」と呼ぶことになってしまうのでしょう。