食事一つだけでも内助の功を実行するには沢山の時間も必要になってきて大変さがわかりますよね。
では内助の功という言葉はどのようにして生まれたのかご説明します。
語源は?
この言葉は戦国時代の土佐国土佐藩初代藩主、山内一豊の正室である千代の行動が元になっています。
千代は一豊に嫁入りをするときに持参金を持って正室になりますが、一豊のために馬を購入します。
高価な馬は毛並みも艶やかであり武将たちの目を惹くことになり、織田信長も馬に関心を示しました。
馬が気になれば持ち主も気になります。
こうして山内一豊は織田信長と出会い出世していくことから「内助の功」という言葉が生まれたとされています。
この千代の行動ですが、夫である山内一豊には藩主に相応しい馬に乗ってもらいたいという気持ちからきているのだと思います。
みすぼらしい馬に乗っていては運気など訪れません。
信長の目に留まったことも偶然ではないかもしれません。
当時の馬の価値はとても高く武将は良い馬を常に求めていました。
そういったことまで千代が考えていたのであれば、かなり知恵のある女性ですし色々な未来を先読みできる人でもあったのでしょう。
その後の良妻賢母として見本になっていることから性格も人柄も全てが称賛されていたと伝えられています。
決して表には出ず、裏から夫を支えるということは誰にでもできるものではありませんが、こうした行動を心がければ夫の運気をアゲることに繋がっていくのでしょう。
では内助の功と似たような意味の言葉をご紹介します。
類義語
ここでは二つの類義語見ていきましょう。
どのような意味が込められているのかちょっと楽しみでもあります。
内助の功との違いも考えてみると良いかもしれません。
1.縁の下の力持ち
最初は誰でも知っていると思うのですが「縁の下の力持ち」です。
昔の家は縁側というものがありました。
部屋と外の縁を囲んだ状態になり通路としても利用されるものです。
今風にいうとベランダなどがその一部になります。
家を見るときは部屋の内装であったり屋根の瓦など目立つものを目に入ります。
縁側は部屋へ入るための板でしかありません。
全体から見れば本当に目立つことがない部分でもあります。
しかし、こういった縁側がなければ家を保っていけないのも事実です。
決して目立つ所ではない縁側を支える柱は、ほとんどの人が気にもとめない場所です。
その柱が地面と家をしっかりと繋いでくれるおかげで、安心して休める場所が確保出来て健康でもいられるのです。
2.鶏鳴の助
この鶏鳴の助については色々と見解がありますが、一つは鶏の鳴く声を朝だと勘違いした妻が夫を仕事に遅れさせまいと起こしたという説があります。
また、故事の中で妻が夫に対して「臣下のものは鶏が鳴く前から働いていますよ」と夫に言うことで早起きをさせたという説があります。
どちらも夫を起こすという事が目的になっていて一方の説では夫への気遣い、もう一方では妻の作戦といったことになっているようです。
では実際に内助の功が上手な妻とはどのような特徴をもっているのか見ていきたいと思います。
内助の功が上手な妻の特徴
内助の功は決して難しいとことは必要としませんが色々なことは考えていかないといけません。
その人のもつ性格であったり向き不向きも出てきてしまいます。
ただし、やっていく中で自分の気持ちを変化していくことは事実です。