言葉や表情など表面に出ていることと、心の中で思っていることは必ずしも同じではないことは、大人になれば誰でもあると思います。
「本音の建前」「嘘も方便」などの言葉が存在しています。
このことからも、多くの人が、他の人の感情を害さないためだったり、自分自身を守るため、もしくは自分の利益を達成するために少なからず、表と裏を状況に応じて使い分けていると考えることができます。
でも、あまりにあからさまだっったり、度がすぎると「腹黒い人」というレッテルを貼られるかも知れません。
あなたの周りに腹黒い人はいませんか
「女子だけだとがさつな話し方をしていたのに、男子が来た途端、声のトーンが一オクターブ上がって可愛らしく話す人」
「みんなで楽しくおしゃべりしていたのに、一人の人がいなくなった途端にその人の悪口を言う人」
「恋人がいるのに、好みの人の前だといないふりをする人」
あなたの周りにいませんか?
そんな人を見てどう思うでしょうか?
腹黒いな〜と思うのではないでしょうか?
人間関係においてある程度計算は必要
もちろん、子供のように純粋無垢なままでは、この世知辛い世の中は生き抜くことはできないでしょう。
小学校に入学した時から、みんなと仲良くできるように、仲間外れにされないように…。
また周りから遅れをとらないように、周囲をよく観察して、浮かないように上手に立ち振る舞うことを余儀なくされます。
そのようにして、学生時代から自分の感情や行動をコントロールするように鍛えられます。
社会に出ると人間関係はもっと複雑になるので、ある程度計算して行動することがどうしても求められます。
自分が直感的に感じることを全て口に出したり、同意できないことを全部指摘していたら、一体どうなってしまうでしょうか?
会社でも疎まれ、仕事を円滑に行えなくなります。
プライベートでも友情にヒビが入ったり、親戚関係でも肩身の狭い思いをすることでしょう。
ですから、ある程度計算して自分の言動を制御することは、社会人として絶対に必要なことなのです。
計算高過ぎるのは考えもの
でもあまりにそれが行き過ぎ、前述のようなあからさまな行動になると、それもまた皆に引かれてしまいます。
自分の目的を遂げるためになんでもする自己中心的な人。
他の人を利用することをなんとも思わない冷淡な人。
目的を達成するために手段を選ばない節操のない人、と見られてしまうのです。
そのように計算しすぎたり、損得勘定で動く人を信頼できると思う人はいません。
親しい友にしたいとも思わないですよね。
むしろ、あまりに計算高く行動する人のことを警戒するのではないでしょうか?
世の中には表と裏があることはわかってはいても、やはり腹を割って話せたり、本心を見せてくれたり、あれこれ画策せずに、利他的に行動できる人に魅力を感じるものです。
ですから、ある程度の計算はできないと困りますが、それがいきすぎると「腹黒い人」として嫌われてしまうので注意したいですね。
腹黒いの意味
辞書によると、腹黒いとは「心に何か悪巧みを持っている」「陰険で意地が悪い」「心がねじけている」などとなっています。
簡単にいうと「裏表が激しい人」といえるかも知れません。
表向きはニコニコと優しく話していても、心の中では”めんどくさい”などと、表に出ていることとは全く逆の悪感情を持っている人。
優しく話しているのは、そうしておけば”自分の思い通りにこの人を動かせる”という計算をしていること。
そんな人を腹黒いといいます。
陰険で意地悪
腹黒い人は、明らかに悪そうだったり、嫌な態度をとるわけではありません。