外見や性格が十人十色なのはもとより、その人の生まれや経験してきたこともまたそれぞれ。

見方によっては経験が容姿や性格を作り上げていることもあります。

そんな個人の、多感な幼少期に大きな影響を与える身近な存在として自分の親がいます。

共働きの家庭も増えてきたとはいえ、父親よりも母親と接する機会の方が多い、または多かったという方は大勢いらっしゃるのでは。

その背中を見て育った人の中には、母親を尊敬しているという人もいれば、母親が嫌いだという人もいるのではないでしょうか。

思春期には親が嫌いになる人というのは少なくありません。

特にこれといった理由がなくても、ささいなことで嫌になってしまうのは思春期や反抗期特有のこと。

でも、大人になっても母親のことが嫌いだという人も中にはいます。

大切な家族であり、自分のことを生んでくれた母親。

そんな母親が嫌いになるというのには、どんな理由があるのでしょうか。

母親嫌い?その子の心境は?どんな子が母親嫌い?

何を円満とするのか個人の価値観にもよります。

少なくとも親子の仲が良い人にとっては信じられないかもしれませんが、不仲な親子という家庭も珍しくはありません。

一概に母親嫌いといっても程度は様々です。

会いたくもない人もいれば、ただ母親の許せない欠点が嫌いなだけでその欠点が見えないときは普通に接しているという人もいます。

基本的には、子どもは母親のことが好きです。

動物としての生存本能で、母親に見捨てられては生きていけなくなるからこそ、母親のことを慕います。

感情やなにかの理由が邪魔をして母親のことを心から慕うことができなかったり、母親のことが嫌いだと思ったりしても、子どもは母親のことを好きになろうと努力するものです。

自分の親のことが嫌いだ、というのは、世間的には『悪いこと』です。

タブーとされるような考え方なので、たとえ嫌いだと思っても表には出せず、好きなふりをすることもあるかもしれません。

嫌いなのにその気持ちを隠して、悩んで苦しい思いをしてきたという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ずっと違和感を抱いたまま親元で暮らし、大人になって親元から離れて一人暮らしを始め、家族を離れたところから冷静に見ることで、「やはり自分と母親は合わない」と実感したという方もいるでしょう。

違和感の原因が「自分が母親のことを嫌いであること」だと気がついて自分でびっくりしてしまうという人もいます。

親のことが嫌いだ、というのは一般的ではない、間違った感情だという意識が強く、母親が嫌いだと思う自分のことを「ひどい人間だ」「この考え方は間違っている」と思ったり、罪の意識にさいなまれたりしてしまう人もいるようです。

母親嫌いな人の4つの理由

本来は一番長く一番側にいて自分の面倒を見てくれる、慕う存在であるはずのお母さん。

そんな人を嫌いだと思ってしまう理由には、どのようなものがあるのでしょうか。

母親が子供に依存している

母親が子どもに依存するというケースは、実は少なくはありません。

母親の方に自覚がなく、それを他人や子どもがから指摘されると憤慨してしまうことも多いです。

また、母親から「これが愛情だ」と言われ続けて育ってきた子どもは、依存されて重たいと感じても、依存なのだとは思えず、愛情なのだと自分に言い聞かせてしまいます。

このようなお母さんは真面目で、子育てを生きがいにしている良いお母さんなのですが、行き過ぎて子供を束縛しているタイプが多いです。

子供を伸ばすために親が課す必要な制限というのはあるものですが、何事も行き過ぎはよくないものです。

子どもにグチを聞かせる

依存には、たとえば母親が子どもに他人の悪口やグチを言うことも含まれます。

もちろんお母さんも人間ですから、時にはそういうこともあるでしょう。

でも、これも限度を超えれば依存なのです。

母親はなにかのストレスをかかえ、自分の劣等感を人のせいにしたいという状況なのかもしれません。

子どもは母親が辛いと言うのならなんとかしてあげたいと考え、グチのひとつも聞いてあげようと思うでしょう。

でも、これは立派な依存。

子どもにグチを聞いてもらうことでストレスを発散し、かつ、グチを聞いてもらうことが母親の中では当たり前になっていきます。

こうなってくると、今日はグチを聞きたくない、と子どもが思ったときも、聞きたくないとは言い出せません。

聞きたくないというと「お母さんの苦労もしらないで」なんて矛先が自分に回ってくることもあるので、あとあと面倒になるくらいなら今グチを聞いてしまった方がよいだろう、と子どもも判断するようになります。

そうして子どもがグチの聞き役にされてしまいます。

子どもに自分のやり方を押し付ける

他には、子どものやり方を否定して母親が自分のやり方を押し付けてくることも実は依存の一種。

母親が自分の考え方や価値観を受け入れてもらった経験が少なく、自分がされて嫌だったはずのことをつい無意識に子どもにしてしまうのです。

努力しても報われずいつも結果ばかりで判断されてきて、自分が認められたことがないので他人を認めることもできません。

これは相手が我が子でも同じなので、子どもをひとりの人間として認めてあげることができません。

母親と子どもといえど別々の人間であり、やり方も人それぞれなのですが、それを理解することができないのです。

そして、自分が良かれと思ったやり方を、なにもできない子どもと思い込んでいる相手に対して押し付けます。

子どものことを自分とは違う、考え方や価値観も異なった別の人間と認識せず、自分の付属物であるかのように考えてしまいます。

子どもの意見を聞き入れる気がないので、子どもが「わたしはこういうやり方の方がやりやすい」と言っても「それは違う」「お母さんの言うとおりにしない」「こっちの方がやりやすいから、正しいやり方だから」と言って聞く耳を持ちません。

子どもはこれを繰り返すうちに、「どうせお母さんはなにを言ってもわたしの言うことは聞いてくれない」「お母さんに怒られるから、やりづらいけれどお母さんに言われたやり方でやるしかない」と思って、我慢して親の言うとおりにやるようになります。

こうしたお母さんは他人から見てやりすぎなのではと思われることもあり、幼稚園や保育園、その他学校の先生から注意や忠告・アドバイスを受けても、「家庭の方針」という鉄壁の文言で聞く耳を持たない人もいるでしょう。

汚い言葉で否定する

やり方を押し付けるだけでなく、できない子どもに対して「なんでこんなこともできないの」「あんたなんかには無理に決まってる」と汚い言葉で馬鹿にしたり人格を否定したりするようなことを言ってくるケースもあります。

母親自身が自分の親などの大人たちから蔑まれ、馬鹿にされてきたことが原因かもしれません。

子どもの可能性を信じてくれず、頭から「おまえには無理だ」と決めてかかります。

「できるわけがない」と言われて「できるよ!」と言っても、「絶対に無理」と言ってやらせてももらえないので、子どもとしては自分ができるということを実証しにくく、「自分は駄目な子どもだ」「わたしはなにもできない」と思い込んでしまうこともあります。

子どもに依存する母親

母親が息子に依存し過ぎてまるで恋人のように扱い、息子が連れてきた恋人や嫁に敵意を剥き出しにして辛く当たる、というのはよく聞かれる話です。

また、娘に対して自分のできなかったことを娘にさせたがったり、逆に自分ができなかったことは娘もできないと思い込み、娘にもそう思い込ませてしまう母親というのもいます。

どちらの場合も、親という立場を利用して、本人は悪気なく子どもに対して依存しているのが問題点です。

「あなたのために言っているのよ」と言われると、子どもの立場としてはなかなか否定しにくいもの。

お母さんの方が間違っている、と思っても、それを指摘して逆上されては困ります。

子どもに否定された、とお母さんが被害者ぶってお父さんや他の大人たちにふれまわると、自分が悪いことをしたような気にもなってしまいます。

たいていの大人たちは「お母さんになんてひどいことを言うの」と母親の肩を安易に持ってしまうので、親という立場が強く、子どもは弱い立場に置かれて依存から抜けだすことができにくくなってしまうのです。

母親らしいことは祖父母がやってくれた

『母親が子供に依存している』のとは逆で、子どもに依存し束縛するのとは反対に放任しているケースです。

放任主義といえば聞こえは良いのですが、実態は立派な育児放棄、ネグレクトであるという場合もあります。

たとえば母親がシングルマザーであったなら、女手一つで子どもを育てるためにはまずなによりも先立つものが必要です。

仕事にいくために子どもを祖父母や保育園に預けるということも当然あるでしょう。

そんな場合であれば、子どもとしては寂しい思いをすることはあれど、お母さんは一生懸命働いて自分を育ててくれた、と理解することができるはずです。

でも、仕事のためではなくて恋人と会うために子どもを祖父母の元へ預け、子どもの面倒も見ずに遊び呆けている、となると話は違ってきます。

シングルマザーでなくとも、両親が共に仕事人間で子どものことを顧みない。

実はそんなに子どもを欲していなくて、愛情を注いでくれない。

幼稚園・保育園の送り迎え、お弁当の用意、発表会・参観日・運動会への臨席。

周りの子供たちの親が普通にしていることを、代わりに祖父母がしてくれたという人もいらっしゃるかもしれません。

風邪を引いて寝込んでいたとき。

初めての失恋で泣いていたとき。

いつも辛いときに母親は側にはいてくれなかった。

となると、自分は母親に愛されていないのではないか、と子どもは思ってしまいます。

いくら祖父母が愛情を注いでくれたとしても、愛情に飢えた状態で大人になってしまうのです。

そんな愛情不足がある一定の時から母親への憎しみに代わり、自分は母親から愛されない、必要とされていない子どもなんだ。

母親は自分のことなんてどうでもいいと思っているんだ、と思い込んでしまうのです。

父のほうが好き


お父さんの方が好き。

自分はお父さんっこである。

自分が悩んでいたときや困っていたときに、いつも助けてくれたのはお母さんではなくてお父さんだった。

良いお父さんなのはステキなことなのですが、そんなステキなお父さんに引き換えなにもしてくれなかった母。

子煩悩ではない普通の主婦でしかなかった母親。

そんなお母さんに対してネガティブな感情を子どもが抱くようになってしまう、ということもあります。

お父さんとお母さんがケンカをしていたら、理由なんてどうでもよくてとりあえずお父さんの味方をしてしまう、ということもあるようです。

お母さんがお父さんのグチを言うと、お母さんは嫌な人だ、と思ってしまいます。

それが積み重なると、「お父さんの方が好き」、だけで終わらず、「お母さんは嫌い」になってしまいます。

家庭が亭主関白で、お父さんが家庭の中では1番偉く絶対的な存在、というおうちに育ってきた子どもも、お父さんを重要視する反動でお母さんを軽んじ、嫌いになってしまうことがあります。

お母さんはお父さんの言う事を聞いているだけの存在。

お父さんの人間性によっては、お母さんがまるで父親に傅く奴隷のように見え、父親に怒られないようにと怖がって始終びくびくしているので、そんなお母さんを見ているのは嫌だ、という感情が、お母さんが嫌いという感情に変化していくことも。

お母さんも子どもよりもお父さんのことが大事なので、子どもが泣いていてあやしている最中でも、お父さんがお母さんを呼べば子どものことは放っておいてお父さんのところへ駆けつけてしまいますから、子どもとしてはお母さんに対してネガティブな感情を抱くようになってしまうのです。

たとえ子どもが父親のことは好きではなくて、威張り腐っている父親のことがむしろ嫌い、と思っていても、今度はそんな父親の言うことに従う母親がやっぱり好きにはなれないのです。

当然のように威張っている父親にも、そんな父親の顔色をいつでも窺っている母親にも、どちらにもいらいらしてしまいます。

子どもよりも父親を優先し、威張り散らす父親を諭すこともしない母親に失望し、気持ちが離れていってしまいます。

母親と思えない

家事をしてくれない


映画やドラマで見る家庭や友達や周囲の家庭、学校教育やその他諸々、世間一般での共通概念としての母親らしさが感じられない母親は当然嫌われるでしょう。

洗濯をしない、布団を干さない、料理をしない、掃除をしない。

別に献身的に接してほしいわけでも、奉仕の精神を持ってほしいわけでもないのですが、何もしてくれないことには特別母親の愛を感じることもできないのです。

女であることを優先する

お母さんだって、母親である前にひとりの女性。

でも、子どもの立場としては節度はもってほしいもの。

いくつになっても恋に生きる母親。

シングルマザーならともかく、お父さんがいても平気で浮気をしてしまうようなお母さんだと、子どもも愛想を尽かさざるを得ません。

鼻がツンとするほど香水をふりかけ、ギャルのように濃いメイク。

母親なのに母親であることより女であることを優先してふるまう姿を見せられると、子どもとしてはげんなりしてしまいます。

気持ちが悪いとすら感じることもあるでしょう。

「いい年してなんなの」なんて思ってしまうかもしれません。

「今日はデートだから」とお金を置いて出掛けてしまい、子どもはひとりでコンビニ弁当を食べる。

待ち疲れて眠ってしまい、早朝に目を覚ましてもお母さんはまだ帰ってきていなかった。

こんな状況だと、子どもは母親に対して愛情を感じられませんし、母親の愛情を感じることもできないでしょう。

そうなると、母親に対しての子どもの心はどんどんと離れていってしまいます。

母親嫌いの原因は母親にあった

母親のことが嫌いである自分を、責めてしまっている人もいるかもしれません。

でも、あなたが悩むことはありません。

あなたが母親を嫌いになってしまったのには、母親の方に嫌われる原因になることがあったせいかもしれないのです。

虐待を受けていた

子どもが母親を嫌いになる一番の原因としてあげられるのがこれ。

虐待です。

虐待は子どものころにはこれが虐待だと気が付かないケースがほとんど。

大人であり自分を愛してくれているはずの、自分が慕うべき存在である母親から暴力を受けても、「これはしつけだ」と言われると、子どもはそれを信じてしまいます。

「自分が悪い子だから怒られているんだ」と理解しようとし、それが不条理な暴力であることにはなかなか気が付きません。

大人になってから、「子供の頃に受けたあの『しつけ』はやっぱり虐待だったんだ」と気がつくというケースは多いのです。

最近でこそ親による虐待がニュースになるような時代になり、親が子どもを虐待することがある、ということがしられてきましたが、一昔前にはすべて『しつけ』『各家庭の教育方針』として、家庭という密室の中で起きていたことが明るみにでることはありませんでした。

虐待には、しつけとして本当になにか悪いことをした子どもに対して頭などを叩く、という行為がエスカレートして暴力になっていくケースがあります。

殴ったり蹴ったり、なにかものを使って殴ったりすることもあります。

子どもを抱いて床に投げ落としたり、激しく揺さぶったりすることもドメスティック・バイオレンスです。

お湯をかけたり、熱いお湯に長時間浸からせてやけどをさせたりのぼせさせたりというのも暴力。

溺れさせる、首を絞めるなどももちろん暴力ですし、首輪や縄をつけて部屋に閉じ込めるというのも虐待です。

こうしたなにかの行為を子どもにすることだけではなく、反対になにもしようとしないことも虐待にあたります。

いわゆるネグレクトというものです。

家の中にとじこめておいて学校に行かせなかったり、食事を与えない、お風呂に入らせない、病気や怪我をしても病院に連れて行かずに放っておいたり、ということもネグレクトという放置行為です。

時々ニュースで聞かれるような、夏なのに子どもを車の中に放置して死なせてしまうというのもネグレクトに該当する虐待行為になります。

他にも言葉で子どもを脅したり怒鳴りつけたり、無視をしたり、兄弟や他の家の子どもと比較して詰ったりというのも、心理的なドメスティック・バイオレンスであり、虐待です。

兄弟の中で差をつけられて、兄にはご飯を作ってあげるのに弟には作ってあげない、なども虐待行為です。

子どもの見ている前で家族の誰かに暴力行為を行うことも、心理的ドメスティック・バイオレンスなのです。

自覚なく虐待を受けていたことに、こうした事例をあげられて初めて気がつくという人も多いものなのです。

褒めてもらえない

虐待を受けていなくても、母親からの愛情を受けられなかったことで母親が嫌いになってしまうケースも多くあります。

子どもがなにをしても、母親が褒めてくれないと、子どもはだんだんと努力することが嫌になってしまいますし、母親のことも嫌いになってしまうのです。

やる気もなくなってしまいますし、自信も持てなくなっていってしまいます。

認めてもらえなかった

子どもがどれだけ努力をしても、母親が認めてくれない、ということがあります。

結果が全てとして努力の課程を認めてくれないということもありますし、どんなに勉強をしてテストで良い点をとっても、「勉強ができたってしかたない」といって認めてくれないというケースもあります。

母親が勉強に価値を見出しておらず、子どもとの価値観の相違で認めてくれないということもあれば、時代錯誤に「女が勉強をするものではない、女は頭が悪い方が良い」という考えを捨てきれない母親が真剣に子どものためを思って「勉強なんていくらできても嫁にもらってくれる人なんていない」と思ってしまっている、というケースまで。

子どもとしては、自分のことを認めてくれない母親を好きにはなれませんよね。

自分の価値を否定してくる人が嫌いになってしまうのは当たり前ですし、そんな母親のことを人として尊敬できないと思うようになることもあります。

こうなるとますます、母親のことが嫌いになってしまいます。

拒絶や否定をされると嫌悪感を抱いてしまうのは、動物としての本能とも言えます。

頑固で偏見

頑固な母親や偏見が激しい母親だと、子どもは何かと苦労することが多くなるでしょう。

勉強しかしてこなかった母親は、ゲームや遊びの重要性を理解してくれません。

ゲームをすると馬鹿になる、と偏見を持っています。

しかも頑固なので、学校で流行っている、友達付き合いとして需要だ、と子どもがいくら訴えても、ゲームを認めてくれることがありません。

子どもの意見に耳を貸そうとはしないからです。

偏見が強い人ほど他人の意見を聞き入れようとしない頑固さをもつので、難しいところです。

そしてそんな偏見を持つ人ほど、、自分の考えや価値観を他人に押し付けがちです。

相手が自分の子どもという、自分より下であり自分の所有物であると思っている存在であればなおさらです。

子どもがいくら説得しても話を聞いてくれませんし、友達やそのお母さんに協力してもらって説得を試みようとしても、「ろくでもない友達だ」「子どもも子どもなら母親も母親だ」と自分のことは棚に上げて他人をけなし、友達付き合いすら制限されてしまうこともあります。

頑固な偏見持ちは自分の意見が全て正しいと思い込んでいるからです。

いつまでも子供扱いする

両親というものは、いくつになっても子どもを子ども扱いするもの。

年齢にかぎらず親子は親子なのですから、それは当たり前とも言えるのですが、これもやはり限度というものがあります。

子どもとしては成人していればある程度は放って置いてほしいです。

しかしひどい母親となると、ほうっておくどころか「子どもはいくつになっても子ども」というのを、愛情表現ではなく子どもを見下す理由として用いることがあるのです。

子どもの意見はまったく聞き入れず「あんたは子どもだから」「あんたは世間知らずだから」「子どもは親の言うことを聞いていればいいから」と言って押さえ込んでしまうことも。

成人した立派な大人に対して、相手の意見を聞くどころかねじ伏せてしまうのは異常です。

あまりの異常さに他人が割って入ろうとすると、「うちの問題だ」「しつけだ」といってはねつけようとします。

実際に子どもが世間知らずなことを言っているケースもないこともないでしょうが、いつまでも見下すという意味での子供扱いをしているようでは、子どもの気持ちが母親から離れてしまっても当然と言えます。

兄弟差別

さきほども例をあげましたが、兄弟間での差別も問題になりやすいです。

母親はその気がなくて、まったく悪気はなく「おにいちゃんは頼りになるね。

それに比べてあんたはいつまでも頼りにならない子どもなんだから」なんて言ってしまうケースも多いです。

お母さんは嫌味や差別の気持ちがなかったとしても、言われた方はたまったものではありません。

また、ほめられているお兄さんの方も、天狗になって性格が悪くなってしまうか、そうでなければ褒められて居心地が悪くなってわざと失敗するようになったり、悪くなかったはずの兄弟仲が悪くなったりすることも考えられます。

学校の成績などはっきりしたものだけでなく、なんとなくの母親の価値観、好みの問題だけでお兄さんばかりを優遇し、お兄さんにはおやつを出すのに弟には「おやつなんでぜいたくなこと言ってないでさっさとお使いに行ってきて」とおやつもあげずにおつかいにやるということもあります。

このケースだと、弟は母親だけでなく兄のことも嫌いになってしまう可能性がありますし、自信をなくしたり、根暗な性格に育ってしまったりすることも考えられます。

自己中心的

自分は「大人だからしていい」と自分が都合のいいことには甘いのに、子どもが同じことしていると怒ったり、そのときそのときで勝手な母親の『自分ルール』を作られたりすると、子どもとしてはいらっとしてしまうでしょう。

都合の悪いことが起こるとすぐに八つ当たりしてくるような自己中心的な母親だとなおさらです。

子どもにあたったり、ものに当たったり、ヒステリーを起こして怒鳴ったり、というお母さんは、子どもが幼いときには怖くてびくびくしてしまいますし、大人になってからは愛想がつきてしまいます。

自己中心的な母親は自分のことしか考えていないので、子どもが怯えていても申しわけない気持ちにはなりませんし、大人になって反論してくると怒り狂います。

母と父の仲が悪い

お母さんとお父さんの仲が悪いと、子どもとしてはもちろん良い気持ちはしません。

上にあげたように子どもがお父さんっこであったり、母親に不仲の原因があったりすると、母親が嫌いになってしまいます。

母親がだらしない

家事をしてくれない、家が汚い、身なりが汚いなどのだらしない母親。

または、恋に生きる男関係にだらしない母親。

いずれにせよ、子どもの目から見ると嫌いになる理由になります。

子供の友達や好きな人をディスる

誰だって、自分の好きな人や好きなものを悪く言われたら良い気持ちはしません。

人のことを悪くいうのは、母親にコンプレックスがあるせいかも。

やりたくないことを子供にさせる

子どもがやりたくないことを無理にさせる。

もちろん甘やかさずに自分のことやしなくてはいけないことをやりたくなくてもさせる、のであればしつけの範疇です。

でも、子どもが本気で嫌がっていること、たとえば卵アレルギーなのに好き嫌いするなと子どもに食べさせようとしたり、犬が嫌いなのに犬のいるケージの中に閉じ込めたりといったことは、もはや虐待です。

敬語などを使わされて一定の距離を置かれる

敬語を使うことを強要されるケースです。

各家庭の教育方針で、親子といえど敬語を使うというケースもありますが、妹は親と仲良くタメ口で話しているのに、兄は敬語で話さないと怒られるというような、兄弟差別である場合もあります。

外に出かけてくれない

外に連れて行ってくれない。

休みの日は家でだらだら。

ならまだしも、子どもだけを家において母親だけで外にでかけるというケースは、ネグレクトに該当するかもしれません。

母親嫌いの人の本当の気持ち…

そうは言っても母親だから嫌いになりきれないのが人間。

改心してくれたら好きになる用意はある!というと上から目線な言い草ですが、生まれてから一番長く付き合ってきた人なのですから、嫌いになりきれないのが子供です。