『蔑ろ』は、「あっても無いもののように軽んじるさま」という意味のとおり、日々の生活の中で、相手の言動を『無視』する、『軽んじる』行為を指します。
周りの人の考えや意見が自分の考えや価値観と相容れなければ無視する行為は、蔑ろな振る舞いと言えます。
世間を見渡すと、蔑ろな振る舞いを躊躇なくできる人と、蔑ろな行為には、ためらいを見せて出来ない人と、大きく2通りのタイプがあります。
蔑ろな行為が出来る人は、自分の考えや価値観と異なるものは無視する自己中心的な人に多いと言えます。
自信が持てない人は、自分が周りの人よりも『優れている』ことを『誇示』するために、周りの人の考えを蔑ろにします。
一方、周りの人を蔑ろにする行為に走らない人は、自分とは違った考えや価値観であっても認めることのできる自信が備わっている心の広い人といえます。
様々な考えや価値観を許容できる人は、蔑ろな行為をすることはありません。
一方、『蔑ろ』な態度を見せる理由には、自分自身を守るために行う面があります。
職場や学校での人間関係の中で『はじき出されない』ようにするために、周りの人への気配りを続けていると心が疲弊してストレスがうっ積することがあります。
ストレスに包まれないようにするためには、気配りを蔑ろにして『息抜き』をすることが必要になります。
人の心は日々の生活で、四六時中、張り詰めた状態を続けているとストレスがうっ積して精神的に疲れ果ててしまいます。
ストレスがうっ積しないように、自分の中で人付き合いの優先順位を決めて、優先順位の低いところを『蔑ろ』にすることがあります。
日々、職場や学校では常に周りの人々の言動に囲まれています。
周りの人々の言動に心配りを欠かさず続けていると、心が疲れ果ててしまいます。
ストレスがうっ積しないように、自分にとって大切ではないことを『蔑ろ』にして、心の疲弊を防ぐことがあります。
『蔑ろ』には、相手の言動を『無視』する行為を指す意味と、自分の心を守るための『手段』を指す意味があります。
生活していて蔑ろにしている事ありませんか
人は日々の生活の中で、自分にとって価値を感じない他人の言動や物事を蔑ろにすることがあります。
このようなケースでは、『蔑ろ』が『取捨選択』の役割を果たしているのです。
蔑ろにする行為は、物事の良し悪しを見極めて判断する際の『捨てる』行為を意味する面をもっています。
ですから、人それぞれの価値観の違いによって、『蔑ろ』にする対象が異なってきます。
一方、日常生活の中で、職場や学校での複雑な人間関係に疲れ果てて、ストレスがうっ積することがあります。
ストレスがうっ積すると心の余裕がなくなります。
心の余裕が無くなると、周りの人の言動に無関心となり、無意識的に『聞く耳』が失せて蔑ろになります。
また、周りの人の中に、自分にとって相性の合わない苦手なタイプの人が居ると『距離』をおき、関わらないようにするために、蔑ろの行為をとることがあります。
相手と『距離』を置くために蔑ろになる行為は、無意識のうちに『自分の心を守る』ための自己防衛本能が働いていることの表われと言えます。
『蔑ろ』というコトバは、良い響きを持っていませんが、自分自身の心を『守る』ための『選択肢』の役割を担っている面をもっているのです。
蔑ろにされたと感じた事ありませんか
日々の生活の中で多くの時間を過ごす職場や学校で織り成される様々な人との付き合いの中で精神的に疲れ果てることがあります。
精神的に疲れ果てる状況に追い込まれる原因が、周りの人から蔑ろにされたことによる『疎外感』によることがあります。
日本全体を覆っている閉塞感は、人々の心に『影』を落とします。
閉塞感に包まれた心は、『逃げ場』を求めて、周りの人の言動を無視し、『弱者』を蔑ろにすることで、ささやかな『開放感』を求めようとするのです。
『蔑ろ』にする行為は、閉塞感から『逃げたい』心理状態を表しています。
蔑ろの行為に走る人は、心の余裕を失った『苦しさ』を無意識のうちに、自分より『弱い』相手に『ぶつけている』のです。
蔑ろにされたと感じたときは、あなたの存在が周りの人から、『弱い者』と観られているといえます。
蔑ろにする行為は、相手の心を深く傷つけることになります。
更には巡り巡って、蔑ろの行為をした本人の心が傷つく『反射』現象が起こることがあります。
ですから、自分が蔑ろにされたと感じた時は、蔑ろの行為をした本人の心も傷ついているのです。
あなたが『蔑ろにされた』と感じた時には、できるだけ心の平静を保つようにしましょう。