非常にずる賢く計算的に行動し、自分にメリットのある人に対しては態度をコロッと変えて良い人に見せようとする気質を持っている人を、腹黒い人と呼んでいます
では、みなさんは、この『腹黒い』の語源をご存知でしょうか?
実は、腹黒いとは、魚の『サヨリ』の腹の内臓にある黒い膜が語源だと言われています。
そもそも、さよりは白身魚で、外見も秋刀魚やトビウオのように細長という印象のある魚ですよね。
胴を見てものどぐろのように黒い部分が無く、腹黒と何の関係もないと思われがちですが、実はそうではありません。
なんと、サヨリの腹の内臓には黒い膜が覆われているらしいのです。
外見上の見た目からは全く想像が出来ない黒い膜がついています。
そのことから、二重人格者のように、人によって態度を変えて、見た目は分からなくとも打算的でずる賢く動く人たちのことを腹黒い人と呼ぶようになったんだそうです。
見た目の印象とギャップが激しく印象に残ったからこそ、腹黒いという言葉が定着したんでしょうね。
本物の悪人は含みません
皆さんは、常に何かの悪さをしているような人を、腹黒い人とであると思いますか?
おそらく答えはNOだと思います。
やはり、何かしら悪いことばかりしている人は、悪人(または極悪人)とか呼ばれてしまうことはあっても、腹黒いのとはまた別人格と見られてしまうようです。
あくまで腹黒い人の定義としては、自分を持ち上げてくれたり、何か優遇してくれたりしてくれるメリットのある都合の良い人に対してのみ良い人を演じます。
一方、何のメリットのない人に対しては悪態を付くなど本性を隠さず見せるという、ずる賢く世渡りしていく人を指しているので、常に悪いことをしているというのとはまた毛色が違うのです。
なので、腹黒いという人の中には、本物の悪人は含まないと考えていいでしょう。
邪(よこしま)とどう違うの?
一部の人は、腹黒い人を見て、性格が悪く不正をも働く邪な人でもあるという風にとらえているかもしれません。
しかし、実は、一見正解に見えがちですが、大きく違っています。
そもそも邪と腹黒いには明確に違いががあり、邪が、自分の都合を優先して不正を働くのに対して、腹黒いは自分の都合は優先にしていますが、決して不正を働いているわけではありません。
確かに、人を利用するということではモラル違反な一面もあるとは思います。
でもそれが、即法律を犯している犯罪でもしているような不正であるとは言い切れないのです。
あくまで、ただ性格が悪く、人を振り回して迷惑をかけているに過ぎないのです。
しかも、それを打算的計算建てて行動するのですから質が悪いというわけです。
あくまで不正はしていないので、邪とは明確に異なっているということを理解しておくと良いかもしれませんね。
育った環境や人間関係の影響もある
人の性格というのは、幼いころの育った環境に大きく左右されるときいたことがあります。
確かに、大人になってから性格が急変するということは、何かよほどの出来事がその人の価値観を変えない限りない話だと思います。
幼いころの環境ですべて決まってしまうと言っても、あながち間違いではないのでしょう。
ということは、例えば、幼少の頃に打算的なご両親に育てられ、周囲の人たちの中に、人を利用してでも自分の利得を優先させるような人がいた場合。
その育った環境・人間関係に左右され、自分も同じように生きていって良いんだと誤解し、腹黒くなってしまうことはあるでしょう。
とはいえ、腹黒い人がそのことに自覚していない割合は高いですし、周りがどうこう出来るレベルの話ではないのです。
たとえ腹黒い人へと成長し、将来周りに迷惑をかけようとしていたとしても、それ自体と止めることは不可能です。
あくまでこういうことがあるという程度に理解し、もし腹黒い人と遭遇した場合は、極力関わらないようにしましょう。
自分で腹黒いと気付いている人は葛藤がある
何かしらのきっかけで、自分で腹黒いと気づいた人はその性格と対峙し、葛藤の日々を過ごされているようです。
しかし、日常の中で染み付いた性格・気質というものは、そう簡単に変えることは出来ず、腹黒い性格のまま時を過ごしてしまうそうです。
腹黒いというと、性格が悪いというイメージの反面、打算的で計算のできるずる賢い人で、世渡り上手というイメージもありますよね。
しかし、中にはコンプレックスを抱えているかのように、日々腹黒い自身の性格に悩み苦しんでいる人もいるのです。
そんな側面もあることを理解しておくと、何かしら、今後腹黒い人との人間関係を築かざるをえない状況下で役に立つかもしれませんね。