愚直だと言われている人には、会った記憶がないのです。
もしかして会っていても、わたしには分からなかっただけかも知れません。
わたしなどに、愚直なところを見せない性格かも知れません。
ただ、「愚直」という言葉を聞いた時には、「人知れず泥にまみれて」「見えないところでも泥臭く生真面目に」などという、暗いイメージが湧いてしまうのです。
しかも、周りから何と言われようが、自分の意思を押し通すという忍耐力も重要に思えるのです。
わたしには、こんな努力を続けることは不可能と思ってしまって、愚直にはなれないと感じました。
だから、明るくて爽やかな青年が、彼は実は愚直な人間で・・・と紹介されてもピンと来ないのです。
高校球児なら、日暮れのグラウンドで泥にまみれながら黙々と練習に励んでいる姿を見ると、「愚直に練習している」と想像してしまうのです。
「愚直」の意味は、馬鹿正直なまでにブレずに何かをやり続けるということです。
「愚」という漢字は、訓読みでは「おろか」という意味を持っています。
愚かなまでに自分を追い込むことなのでしょうか。
並大抵の気持ちではできないことなのです。
最近の話題のひとつに、貴乃花親方の弟子の貴ノ岩が暴行を受けた傷害事件がありました。
貴乃花親方と相撲協会との確執が取り上げられましたが、この件で貴乃花親方は一言も発せずに無言を押し通しました。
関取はベラベラと喋らないという先代の親方の言葉を守ったようです。
この時に、愚直という言葉を思いだしました。
しかも、もう一人の弟子で小結に昇進した貴景勝のしこ名は、親方の「貴」と女将さんの「景子」の字を取ったのではなくて、戦国時代に寡黙で信義に厚い愚直な武将として有名な「上杉景勝」から取ったそうです。
このことから、いかにも信義に厚い愚直な親方だと思ったのでした。
愚直は良くも悪くも個性
愚直な人の行動は、誰も変えさせることはできないようです。
自分の信念に従って行動しているのですから、信念を変えさせない限り無理なことなのです。
しかも、信念を変えさせようとすると「死ぬ方がましだ」と言われると、どうしようもないのです。
愚直は良くも悪くも個性なのです。
愚直とは?
愚直とは、正直なばかりで臨機応変の行動を取れないこと、またそのさま、という意味です。
しかも、必ず分かりやすい例えとして「馬鹿正直」と説明されています。
面と向かって「馬鹿正直だ」とまで言われると腹が立つのですが、愚直な人はそれでもメゲズに志しを押し通すのです。
歴史上の人物で愚直な人物は多いのですが、先ほどの上杉景勝に惚れ込んで仕官した猛将の前田慶次は、自分の保身を考えずに上杉家に忠誠を尽くしたのです。
また、大坂夏の陣で、少数の軍勢を率いて倍近い徳川軍を蹴散らして本陣に突入した真田幸村も、愚直な武将です。
徳川家康から信濃(長野)一国を与えると寝返りを誘われたのですが、それをはねつけて死ぬまで豊臣家に忠誠を尽くしたところに彼の愚直さがあるのです。
戦国時代の愚直な人物を例えに出しましたが、自分が損をしてでも自分に正直に生きることなのです。
ひたすら正直
愚直の意味の中に、ずる賢さが全く無くて正直であることが含まれています。
別の表現では、愚かと思われるほどに正直なことなのです。
愚直だという表現の中に、必ず「正直者」という意味合いがあるのです。
正直者にとっては、たとえ馬鹿と呼ばれようとも正直が大事だという信念を持っているのです。
馬鹿正直という表現は、使用する場面では軽蔑を含んでいる時があります。
人を騙したり、他人が作り上げた功績を横取りして自分の手柄のように見せかけて出世したリする人から見れば、馬鹿正直者は出世が遅れて冷や飯を食うことになるよ、という警告や軽蔑の意味を含むようです。
しかし、他人に対して正直だけでなく、自分にも正直であることも重要です。
運動部に所属している時に、試合のメンバーから外れて補欠になっても、腐らずに家で黙々とトレーニングに励み、ある時に試合に出場して素晴らしい働きをして監督に認めてもらった事例などたくさんあります。
これは自分自身に正直に取り組んで、愚直にトレーニングした結果なのです。
きっとできると自分に言い聞かせて、自分にひたすら正直にトレーニングしたからです。
馬鹿正直とも言われる
馬鹿正直だと言われることは、本当はいいことなのです。
世知辛い世の中では、正直者は損をすると言われたものです。
世渡りが上手い人間は、大事な場面でも正直に言わずに言葉を濁したリお世辞を言ってごまかすのです。
しかし、馬鹿正直な人は裏表がないということでもあります。
その場で、思ったことを正直に話すだけなのです。
ただ、嘘はつかないとしても正直に話すと困る人もいる訳です。
その困った人に恨まれるというリスクもあるのです。
「あの人が、馬鹿正直に言うものだから、せっかくまとまりかけた仕事がご破算になってしまった」などと怒るのです。
とにかく、馬鹿正直な人は嘘がつけない性格ですが、社会に出ると重大でないことについては「うまく言う」ことも必要な時があるのです。
しかし、商品の品質を証明する規格書というものがあるのですが、この規格値を外れている言わば不良品を、あたかも規格を満たしている良品として出荷していたことが発覚した事件がありました。
このメーカーはマスコミでも取り上げられて、社長が謝罪することになってしまったのです。
この事件でメーカーの信頼も無くなり、損害を被ってしまったのですが、こんなことにならないように、日頃から馬鹿正直であるべきだと思ったのでした。
馬鹿正直に製造していると、生産性も悪くなったり利益も下がることがありますが、不正を働いていてそれが発覚した時には、それ以上の損害を被る結果になるのです。
馬鹿正直な社員が作っている商品は、信頼できるものです。
最近は愚直な人が減ってきた?
最近では、愚直な人というのは目立たなくなりました。
愚直な人は、あまり目立ちたくない性格で、コツコツと人知れず努力しているせいかも知れません。
派手な格好をして、「俺は愚直に努力しているんだ」などと叫ばないのです。
それと、インターネットの発達でいろんな情報もすぐに検索できるようになって、愚直に努力して調べる必要もなくなったからです。
お手軽に研究結果や予想ができるようになったのです。
しかも、グローバルな情報も瞬時に確認できるのです。
そんな情報社会でも、人があまり手を着けていない分野だとか、置き去りにされている分野もあります。
こんな分野を愚直に取り組んでいると、新しいことが発見できる可能性もあるのです。
ノーベル賞を受賞した先生方の中にも、愚直に研究を継続してきた人も多いようです。
科学の世界では、正直でないと真理は究明できないものなのです。
それに対して、目先の利益だけを追及すると、口先だけで商売ができる時代でもあるのです。
お手軽に儲けたいと考える人が増えると、愚直な人が減ってくるようです。
利己主義な人が増えているから
最近では、やたらと権利を主張する人が増えてきているようです。
自分が所属しているチームに、何かのお礼にと外部の人からささやかなプレゼントを貰った時でも、分けることができないような品物でも、「自分も貰う権利があるはず」とゴネルのです。
具体的にどうすればよいかというアイデアも無いのに、やたらと権利を主張するのです。
だいたいが、もらう権利、食べる権利、取る権利、使う権利などと、自分の利益に関することばかりなのです。
このように、自分の利益が最優先する考え方を「利己主義」と言います。
別の言葉で言うと、単なる「我がまま」なのです。
仲間や会社、さらには社会全体のことを考えずに、自分の利益ばかりを考えるのです。
こんな状況であぶく銭を稼いで大金持ちになった人間は、品行も良くない利己主義に徹するので、成金だと揶揄されるのです。
こんな利己主義の人が増えてきたこと、社会の風潮になってしまったことが、愚直な人間が目立たなくなった原因なのです。
愚直な人の12個の特徴
それでは、愚直な人の特徴をまとめてみました。
嘘をつけない
都合が悪いことが起こると、ついごまかしてしまうのです。
場合によっては嘘をついてしまうこともあります。
嘘をつくことは悪いことだと教わってきましたが、大人の世界ではときには「噓も方便」という便利なことわざがあるのです。
お互いに傷つけあうことを避けるために、その場では軽い嘘をつくことです。
後で嘘がバレてしまっても、そういうことなのかと笑って済まされるようなことです。
しかし、愚直な人というのは、こんなこともできないのです。
少しでも嘘をつくことは、大なり小なり罪は同じことだと言うのです。
たとえ強引に嘘をつかされても、顔はこわばって挙動不審な状態になるので、突っ込まれるとすぐに白状してしまうのです。
正直に生き続けているので、嘘をつけない体質になっているのです。
このような愚直な人間を部下に持った場合は、彼が報告することに嘘はないと安心できるのです。
もしついてもすぐ顔に出てバレる
愚直な人間が、もし嘘をついても、すぐに顔に出るのでバレてしまうのです。
愚直な人間と一緒に仕事をしている時には、彼が何か嘘をつこうとしている時点で、いつもと違う行動をとったり顔が引きつったり、視線が定まらなかったりと、すぐに嘘をつく前にバレてしまうのです。
平気で嘘がつける人と言うのは、その点はまったく分からないのです。
愚直な男性は、恋愛する時には大変なのです。
相手の女性に対しては、何一つとして嘘がつけないのですから、全てのことに正直に答えることになるからです。
彼女の自宅に招いてもらって手料理をご馳走になった時に、料理の味付けを聞かれたときに「芯まで火が通っていなくて固かったし、醤油がきき過ぎて辛かった」と正直に答えたら、二度と声をかけてくれなくなったのです。
そこで、これでは彼女が見つからないと自覚して、別の女性の手料理をご馳走になった時に、「美味しかったですか?」と聞かれたときに「たいへん美味しかったです」とうまく答えたつもりだったのですが、残念ながらバレてしまったそうです。
嘘をついても顔に出てしまったからだそうです。
臨機応変な行動ができない
愚直というのは、決められたルールもキチンと守ることでもあります。
よく話しのネタとして言われるのが、外国人と日本人の行動の比較です。
例えば、深夜の見通しの良い小さな交差点を渡る時に、まったく車の姿が見えなくても日本人は歩行者の信号が青になるまで待っています。
外国人は車が来ないと判断すると赤でも渡ります。
ルール上は赤は止まれのサインです。
大方の日本人は愚直に守りますが、若い人では車が来ないと判断すると渡るのです。
ハンバーガーを10個買いに来たひとりの女性に向かっても、「店内でお召し上がりになりますか?それともお持ち帰りですか?」と必ず聞いてきます。
ひとりでは店内で食べ切れないとわかっていても、愚直に店のルール通りに確認するのです。
確かに、大食いの女性なら10個ぐらい食べ切るかも知れませんが。
コンビニでタバコを購入する初老の男性に、年齢確認する店員もいましたが、これもレジのシステム上仕方がないのですが、臨機応変な行動ができない典型的な事例です。
頑固
愚直な人は、ある意味「頑固者」なのです。
でも、頑固者が伝統を守って後世に伝えているということも忘れてはいけないのです。
家庭の中で、父親が決めた家族のルールを持っている家庭もあります。
だいたいが頑固おやじが存在していて、娘や息子の門限やしきたりについて愚直に守ろうとするのです。
年頃の子どもにとっては自由に生きたいと思うので、ルールを破ることもあって父親と喧嘩することになるのです。
頑固な人と言うのは、自分の心の中にある信義や正義というものがあって、それを頑なに守ろうとすることで頑固になるのです。
あまり人の話を聞かない
頑固な人は、親も頑固な性格であることも多いようです。
小さなころから、頑固者の父親を見て育ってきた人は、子供もその生き方に共感するので、やはり頑固な性格を持つこともあります。
何事にも、「こうあるべきだ」とか「こうあるはずだ」と、すでに決まっているかのように単純に決めてかかるのです。
すると、考え方が固まってしまって融通が利かなくなってしまいます。
自分と価値観が違う人間の意見を聞かなくなるのです。
この分野では、自分の方が詳しくて良く知っていると天狗にもなってしまうのです。
世の中の変化には、ついて行けなくなってしまいます。
いつしか、最新の情報や話題も、自分には届かなくなってしまうのです。
時代遅れの単なる頑固者として相手にされなくなってしまいます。
頑固な人は、孤独になるのです。
視野が狭い
愚直な人は自分が常に正しいと思い込んでいるのです。
誰が何と言おうとも、いろんなアドバイスをしようとも、聞く耳を持たないのです。
昔からの伝統を守っていく上では、昔からのしきたりや行動を愚直に守っていれば良かったのですが、革新的なことが増えてくると、これまでの経験や知識では対応できなくなります。
しかも、新しいことにチャレンジしないと、視野が狭くなっていき時代に取り残されることになるのです。
愚直な人は古風な人と思われてしまうのです。
古風な人というのは、自分と同じような愚直な人としか話が合いません。
そして、限られた人との交流に興味を持つので、交流の人脈も限られてしまい視野が狭くなるのです。
その狭い世界で満足する人も多いようです。
見方が偏っている
愚直な人の行動は、自分がやろうと決めたことには、わき目もふらずにそのことだけに没頭するのです。
よくあいつは「◯◯バカだ」と揶揄されることがあります。
時には、何かで間違ったことがあると面と向かって「おまえは本当に◯◯馬鹿だよ!」と激しく罵られることもあるのです。
愚直にひとつのことに没頭していると、周りの変化に気付かずに、立ち遅れてしまうのです。
何かの優れた技術を持っていても、現在ではその技術だけに頼ることも無くなり、コンピューターという武器で加工したり製造することも可能になってきたのです。
愚直に技を磨いていても、スピードとコストでは太刀打ちできなくなってきたのです。
これまでの経験だけに頼っていると、見方が偏ってしまって時代の流れに取り残されることもあるのです。
感情の起伏が激しい
愚直な人は、自分の欠点を隠しています。
プライドが高いので、欠点をさらけ出すことに抵抗があるためです。
自分が決めた道を進んでいた時に、別の道を進むことを提案されても、すぐには変更しないのです。
とにかく、正攻法で一つのことをやり抜こうとするのです。
非常に根気強い性格でもあるのです。
一度や二度失敗しても、正攻法で最後まで突き進む頑固さがあるのです。
どんな頑強な壁が立ちはだかろうとも、ぶつかっていくだけなのです。
そんな自分に苛立って、感情の起伏も激しくなるのです。
ある限界を超えると、爆発するのです。
でもなるべくグッと我慢している
要領の良い仲間が、自分とは違う新しい方法で取り組んで成功しても、決して安易に真似をするような弱い気持ちではないのです。
愚直な人は、要領だけが良くて上手く壁を乗り越えて行く人達のことを、快く思ってはいないのです。
自分も、方法を変えてみようかなと心の中で思っても、自分が変わるところを見られたくないという真理が働くからです。
なるべくはグッと我慢しているのです。
要領が悪い
愚直な人は、ものすごく要領が悪いと言えます。
仕事や方法についても、効率といいうことをあまり考えないのです。
どちらの方法が速く完了するとか、効率的に良いのかとは考えないのです。
それよりも、自分の持っている方法でやる抜くことをプライドにしているからです。
仕事でいえば、愚直な人は依頼された仕事を完了することを仕事のゴールと考えているからです。
どれだけの時間や期間に仕上げるかという効率のことを、重要視していないということです。
仕事の出来栄えに満足しているのです。
しかし、周りの人は時間も重要視しているのですが、それは聞く耳を持たないのです。
要領が悪いというのは、愚直な人には興味の対象外なのです。
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客観性がない
愚直な人は、正直すぎるところが問題なのです。
正直に徹することは本来良いことなのですが、場所をわきまえずに正直過ぎてしまうことで、輪を乱したリ波乱を起こしてしまうことに、気が回らないのです。
つまり、今の自分の立ち位置を客観的に判断する能力にかけているのです。
正義はいつでも勝つと思い込んでいるのです。
大きな問題を抱え込んで、対応に苦慮している場面でも、都合の悪いことを平気で正直にオープンにしてしまうのです。
「もう少し後に回してよ!」とみんなは怒りを覚えることになるのです。
愚直な人は自分のペースで進むので、客観的な見方ができないのです。
信じる力が強い
信じる力が強いので、一つのことをやり抜こうとするのです。
信じる力が強いということは、自分に絶対の自信があるからです。
それは一貫性のある理想と信念を持っている証拠です。
その信念というものは、節操を持った信義のことで、高い価値判断に基づいて形成されたもので、自分自身の存在価値でもあるのです。
これまでの、数多くの経験や知識、見識で形作られたものです。
だから、正しいと思ったことには自信があるのです。
一生懸命やることを辛いとは思わない
表舞台で華やかな姿を披露している者は、陰で愚直で忍耐強い活動を積み重ねていると言われています。
芸術の分野でも、スポーツの分野でも、さらには学問や政治の世界でも、みんな愚直に積み重ねてきた努力の結果が、良い結果を生み出すことを知っているのです。
単なる運だけでもなく、生まれながらの才能だけでも良い結果は生まれません。
結局は、愚直に生きることこそ最善の生き方と悟っているのです。
だから、愚直に一生懸命やることを辛いとは思わないのです。
あまり焦らない
愚直な人は、何かを仕上げる時には、どのように仕上げるかという方法にこだわります。
手を抜いたり、飛ばして早く仕上げようとは考えません。
周りの人が焦っても、まったく動じません。
周りの人は、ハラハラ、ドキドキの連続でも、マイペースを守ってあまり焦りません。
周りが見えないこともあるのですが、自分の信義に基づいて地道に行動するからです。
愚直な人は、あまり焦りません。
だから、良く時間にルーズになってしまって、みんなから非難されることになるのです。
集中力が高い
愚直な人の最大の特徴は、これと決めたら集中力が凄いのです。
このように一つの仕事に没頭する職人肌の愚直な人間に対して、限られた時間に多くの仕事を並行して器用に仕上げてしまうマルチタスクの人間がいます。
企業で働いていると、限られた時間で多くの仕事を処理してくれる人間の方が頼りになります。
しかし、仕事の本質を見抜く力と、革新的なテーマの芽を発見するには、コツコツと地道に作業して集中力が高い愚直な人が有利なように思えます。
愚直な人は、集中力が高いのです。
愚直であることのメリット
愚直と聞くと「まじめ、正直」だと感じます。
しかし、「馬鹿正直」と言われると、なにか軽蔑されているように感じるのですがいかがでしょうか。
愚直な人は味方になって欲しいですが、馬鹿正直な人は一緒に働きたくない気がします。
でも、愚直の中には、どちらの意味も含まれているのです。
では、どんなメリットがあるのか考えてみました。
周囲の人に信頼される
愚直な人は、地道に努力することが得意です。
与えられた仕事ならば、キッチリと仕上げてくれるのです。
途中で何かの問題が発生しても、環境が変化しても、動じることもなく黙々と前進して行くのです。
普通の人なら、ギブアップしてしまうようなことでも、根気強くやり遂げる集中力とパワーを持っているのです。
過去にもノーベル賞を受賞した学者たちは、愚直な人が多いようです。
人から笑われることも後ろ指を差されることも平気で、一心に突き進むのです。
そして大きな成果を達成すると、その努力を見ていた人達に信頼されるのです。
ストレスをさほど感じていない
愚直な人の思考回路は、普通の人とは変わっています。
物事の本質や真理を追っかけていますので、その周りの俗っぽい事象には興味がないのです。
自分が考えていることが正しいかどうか、目の前の結果が何を意味しているのかと、目の前だけを見つめているのです。
もちろん失敗も数多く経験していきます。
その失敗も、この方法では上手く行かないことが分かったこととして、ある意味では成果として捉えるのです。
次は、これを繰り返さないようにしようというポジティブな思考に切り替えるのです。
失敗に費やした時間を惜しいとは思わないのです。
つまり、後悔をしないことからストレスをさほど感じない性格なのです。
つまり、失敗も喜びに変えてしまうのです。
周囲の目や雑音が気にならない
愚直の人の特徴は、自分がやると決めたことにまっしぐらに進むことです。
自分の価値観に見合う行動を取るのです。
その信念は強いものがあります。
愚直の人というのは、今までにも奇異な目で見られていることも自覚しています。
周りから、何かのキッカケで注意されたり揶揄されたこともあるからです。
周りの全ての人に好かれることなんて、自分には絶対無いことも理解しているのです。
自分のことをしっかりと評価してくれる人というのは、ごく限られた尊敬する人しかいないとも思っているのです。
そんな尊敬するような人物がもの前に現れて、自分の間違った行動を諭してくれることがないが義理、自分は正しいという信念を持っているのです。
そして、自分で決めた目標をしっかりと持っています。
だから、周囲の目や雑音などはまったく気にならないのです。
誰に何を言われようとも信じた道を進むのみ
愚直な人は、自分が信頼する人以外は、まったく信じようとしないのです。
それ以外の人には、誰に何を言われようがまったく意思を変える気持ちはありません。
自分が信じた道を突き進むのです。
わき目もふらずに思ったことに没頭するのです。
多分、自分に向けられたアドバイスというものも、単なる雑音ぐらいの感覚で、真剣に聞くこともないはずです。
辛くとも、信じた道を突き進む根性を持っているのです。
熱心な姿が周囲の人を感動させる
しかし、熱心に努力している姿は、その必要性を認識している一部のプロフェッショナルにはよく分かるのです。
その愚直な努力がいずれ実を結び、立派な成果を達成することを期待させるからです。
分かる人には認めてもらえるのです。
凡人には理解できないし、マネができないことでもあるのです。
成果が見えてくると、熱心な姿が周囲の人を感動させるのです。
目標を達成できる確率が高い
ダイヤモンド社から「愚直論」という単行本が出版されています。
(作者:樋口泰行、マイクロソフト代表執行役社長)愚直なエンジニアが経営者に変貌を遂げた過程を記した著書なのです。
そこには、長い年月をかけて愚直に自分の生き方を貫いた半生が描かれています。
同じように、周囲の雑音にもメゲズに愚直な努力を積み重ねてきた偉人がたくさんいます。
自分の信念に基づいて行動してきたことで、目標を達成できる確率も高いのです。
失敗しても何度でも起き上がるので
愚直な人にとっては、失敗という事態そのものも、目標に向かう過程での一つの通過点であるとの認識なのです。
ある意味、何かの間違いで思い通りの結果が出ない時でも、そこに隠されている真理という重要なものを発見することができるのです。
関西風に言うと、転んでもただでは起きない、という意識です。
起き上がる時には、手元にある何か有益なものを掴むか、よし今度は失敗しないぞ!という気力を身につけるのです。
愚直の人には、この精神があるようで、失敗しても今度は頑張ろうという根性があるのです。
失敗も繰り返し行うことで、失敗を克服する術を身につけるのです。
そこにはさらに進化した自分に生まれ変われるのです。
愚直な人は、失敗しても何度でも起き上がれるのです。
まとめ
世間では、あの人は「愚直な人」だという時は、大抵は褒め言葉として使われるようです。
自分の信念に基づいて、やり抜くという性格なのです。
高校や大学の運動部で学生たちを引っ張って行く指導者の中には、愚直と思われる人を見かけます。
今まで弱小チームで成績も良くなかったけれど、その愚直で熱心な指導者の下で何年も努力してきた結果、全国大会で入賞するレベルになったなど、感動する話は多いようです。
そこには、3年や4年間で卒業する学生たちを指導するのですから、毎年加入する新しい生徒にも信頼が受け継がれるような指導者で泣ければならないのです。
研究者であれば、失敗が繰り返されるようなものだと思われます。
その都度またチャレンジするのです。
愚直で強い信念のもとに指導を続けることが必要です。
だからこそ、全国的な知名度になることは、大きな目標でもあるのです。
何十年も掛けて達成した指導者もいます。
それだけに、周りの人の感動を呼ぶのです。
すぐに自分の意見をコロコロ変えて、要領よく世間を渡り歩く人も増えてきました。
儲けに、また出世に敏感な人もいます。
そんな人は、愚直な人のことを「馬鹿正直」だと軽蔑する時もあります。
しかし、そんな上部だけの軽い人よりも、自分の思いのままに一つのことに打ち込んで没頭する人も、今の時代では必要な人かも知れないと思うようになりました。
愚直な人は、古い良き時代の人間ではありません。
今の時代でも、たとえ「馬鹿正直過ぎる」と揶揄されても、信義と信念を持った素晴らしい人だと思います。