ねをあげる」。よく聞くことばですよね。

世の中一般の使い方として別におかしくもなんともない、ごくごく普通の表現方法です。

「ねをあげる」、私もよくあります。

さて、この「ねをあげる」。

感じで書くとどの感じが合っているのでしょうか?

そしてその言葉の本当の正しい意味とは?

更にねを上げないためのメンタル面の鍛え方というのは日常生活の中で容易に行えるのでしょうか?

今回はこの「ねをあげる」について取り上げて参りましょう。

ねをあげるとは?

まずは「ねをあげる」についてその意味を解明していきましょう。

ねをあげるの正しい漢字とは?

「ねをあげる」の正しい漢字は何になるのでしょうか?まずはそこからのご紹介です。

音をあげる

「ねをあげる」の「ね」は「音」が入ります。

また「あげる」は「上げる」が正しい漢字です。

よって「音を上げる」が日本語的に正しい漢字の表記になります。

音を上げるの意味

それでは次に「音を上げる」の正しい意味を解明しましょう。

苦しさに耐えられずに音を立てる

「音を上げる」の1つ目の意味は「苦しさに耐えられず音(または声)を立てる」という意味になります。

こういう経験、皆さんもありませんか?

あまりにきつい部活の練習や休憩なしで、ぶっ通しで何かのお稽古をやったなら、いつしか我慢の限界がきて「ギャッ」とか「あ~あ」とか何か言葉とも言い難い音や声を口から発する行為。

これが「音を上げる」という事になるのです。

弱音を吐く

「音を上げる」の意味の2つ目は「弱音を吐く」です。

音を上げる、という事はそれまでの強気だった気持ちがすっかり打ちひしがれてしまって心が折れてしまった状態ともいえるでしょう。

よってもうこれ以上、今行っている仕事や練習などがとても続けられなくなってしまったり、それまで持っていた自信がすっかりどこかへ行ってしまった状態ともいえるでしょう。

このような状態になってしまってはもう戦闘不能です。

俗にいう「白旗を上げる」という感じでしょうね。

人間が「弱音を吐く」というのはすっかり「負け」を認めた証拠ともいえます。

悔しいでしょうが一旦、こういう状況になったなら諦めるより仕方ないかも分かりませんね。

降参する

「音を上げる」の意味の3つ目は「降参する」です。

音を上げるという事は「もう打つ手なし」、という状況に追い込まれた、とも言えますよね。

「打つ手がなくなった」という事は万策尽き果てて途方に暮れてしまった状態なのでしょう。

こうなってしまったら誰かの助けや援軍が来てくれない限り一発逆転という目もないでしょう。

そうなったら両手を頭の上において「降参ポーズ」をするしかありません。

命あっての人生です。

むやみやたらに玉砕するわけにはいきませんからね。

降参しなければならないような状況に陥ったならば、大抵の人間は音を上げるのが常套なのですよ。

間違えやすい「ねをあげる」

次に「音を上げる」と似ているからか、ちょくちょく間違えて使われている言葉をご紹介しておきましょう。

根を上げる

「音を上げる」と間違えて使われる言葉に「根を上げる」というものがあります。

明らかに漢字の使い方が間違っています。

本来の「音を上げる」は「弱音を吐く」などといったその人の気持ちを表した表現になるのです。

それが「ギャフン」だとか「グーの音も出ない」などという擬音になっても言い表されるから、「音」という感じが使われているのです。

「根」の方はまた違った言葉があるから誤用されてしまったのでしょうね。

根を下ろすという慣用句の誤用の可能性も

元々、「根」という漢字は「植物の根」の事です。

「根」は地面の中に伸びてゆくものですよね。

つまり下に向かってゆくものなのです。

一方の「音」は人間の口から発せられます。

つまり「根」からみたらはるかに上の方から出てくる音声の事なのです。

人間の顔の一部、口から表現される「音を上げる」という表現が地面を意味する「根」を使うという事は明らかにおかしいという事がお分かりいただけたと思うのですが。

如何でしょうか?

音を上げないためのメンタルの鍛え方

では次に、「音を上げない」ためのメンタル面の鍛え方について見ていく事に致しましょう。

「音」を上げるかどうかは全てメンタル、精神力に関わってきます。

その鍛え方をバッチリと押さえていきましょうね。

全部で8個、ご紹介致します。

集中力を身に付ける


音を上げないためのメンタルの鍛え方の1つ目は「集中力を身に付ける」です。

人間、何を行うにしてもこの「集中力」が備わっていなければとても長続きしません。

受験勉強、長期の主張、納期までに完成させなければならない仕事など、何かを成そうと思えば必ずや時間の制約がかかってきます。

この時間までの約束をこなせるかどうかは全て自分の「集中力」がいかに鍛らえられているか、この1点にかかってくるのです。

それではその「集中力」、いかにして獲得したらいいのでしょうか?

読書や集中できる環境を作ってトレーニング

「集中力」を鍛えるためのうってつけの方法は「読書」です。

読書を1時間でも2時間でも苦にならずやれることができたなら、あなたの集中力は相当なものとなるはずです。

よって、ちょっとやそっとの事で「音を上げる」などという事はやらなくなるでしょう。

そこで読書を始めるにあたっての方法なのですが、自分に最も合った環境を作ってトレーニングに入る事は肝心でしょう。

一切の雑音が入ってこない静かな部屋がいい人、電車の中のような結構騒がしい場所がいい人、図書館がいい人、カフェがいい人など様々でしょう。

要は自分が最も落ち着いて読書に没頭出来る場所を試してみる事です。

静かすぎる部屋だとかえって落ち着かなかったりすることもあり得ますし、普通なら騒がしい電車の中の方が却って読書に専念できる、という人もいるでしょう。

どの環境が自分にとって最も相応しいのか、それを早く見つけることですね。

あとは読みたい本を見つけるだけなのですが、出来たら漫画やコミックの類は除外しましょう。

漫画やコミックはどうしても活字の量が少ないからです。

音を上げないようにするためのトレーニングにはあまり向かないと思った方がいいでしょう。

読書に使用する本、できれば200ページくらいのものを読み慣れるようになってもらうところから始めたいですね。

ポジティブになる

音を上げないためのメンタルの鍛え方の2つ目は「ポジティブになる」です。

人間は、本来、物事に対して感謝し喜びを素直に表した方が気分もいいし、それによって気疲れも発生しません。

そのように生きていさえすれば音を上げるような状況に陥らないものなのです。

ところが人間、長く生きていくうちにいろんな知恵や経験が入ってきます。

これらがそれまで持っていた素直な心や純粋な気持ちをどんどん、汚していきます。

つまり知らず知らずのうちに「ネガティブ思考」の人間に変わっていくという事です。

人間、何かに対して嫌々やったり、心から納得できていない心理状態で仕事を引き受けてしまったら、必ずや途中段階において心理面の葛藤が起き、「何故、俺はこんなやりたくない事をやっているんだろう」という気持ちになってしまって自問自答するようになるものです。

その結果、心が途中で折れてしまい気持ちが弱くなり音を上げてしまう、というパターンに陥りやすくなってしまうのが多くの人の失敗ケースではないでしょうか?

つまり、気持ちが前向きになっていないと人間の達成意欲というものは恐ろしい程、減退し自分自身を苦しめる、という結果になってしまうという事ですね。

些細なことでも感謝して喜ぶように意識する

例えば、あなたの仕事がノルマばりばりのキツイ営業の仕事だったとします。

毎日、毎日足を棒のようにして歩いても契約はなかなか取れません。

会社に帰ったら怖い上司がカミナリを落としてくるシーンが目に映ります。

足取りは自然と重くなりこのままどこかに逃げ去りたい気持ちになってしまうでしょう。

音を上げるのも仕方がないかも分かりませんね。

ここで問題になってくるのがあなたの心構えなのです。

どんなに嫌な仕事であったとしても、「仕事は仕事」という開き直りの気持ちがあったなら気持ちはそこまで辛くならないのではないでしょうか?

「仕事の時間さえ終われば自分のしたい事が出来る」というように気持ちを切り替えることができたならどれだけ精神的に楽になれる事でしょう。

ましてや今やっている仕事とその他の他楽し気に見える仕事、一体どこに違いがあるのでしょうか?

自分のやっている仕事はそれほど世の中の役に立たない仕事なのでしょうか?

いえいえ、そんなことはありませんよね、あなたの仕事だってちゃんと誰かの役に立っているはずです。

訪問先のお客様がもしかしたら「暑い中をご苦労さん」っていう感じでひと声かけてもらったら嬉しいでしょう。

こういった些細な小さなことの積み重ねに対して感謝して喜べるようになった時、あなたはもう全く音を上げる人間にはなっていないでしょう。

別の見方をすればあなたは自分を変えることのできる格好の舞台に立っているのです。

そんな場所は他の楽そうな仕事では味わう事は出来ないでしょう。

まさに一生を捧げるに相応しい貴重な体験をあなたは行えているのです。

感謝するしかないでしょうね。

困難の乗り越え方を知る

音を上げないためのメンタルの鍛え方の3つ目は「困難の乗り越え方を知る」です。

あなたが音を上げる原因は何なのか?それはあなたの目の前に横たわる「困難」があるからでしょう。

「困難」、これほど私たちの行く手を遮る嫌なものはありません。

誰かこの「困難」をやっつけてくれる人がいたらすぐに来てやっつけて欲しいと思うのが多くの人の共通の思いでしょう。

しかしながら「困難」は他力本願ではいつまでたっても乗り越える事が出来ません。

否が応でも自分から手を付けて解決していかなければならないのです。

それが出来ないのなら半ば永遠にあなたは「音を上げる」地獄から脱出することは出来ないでしょう。

困難から逃げてしまっているうちは乗り越え方を永久に自分のものにすることが出来ないのです。

困難を乗り越えてきた話を聞く

では一体どうやればいいのか?それはまずあなたが抱えている困難の対象を知っている人から話を聞いてみる事です。

出来ればその困難を乗り越えた経験を持つ人の方が望ましいでしょう。

それも複数の方から聞けたら尚、心強いでしょう。

あなたがこれまで思い悩んでいたことに対して、自分一人だけが悩んでいたのでは無かったんだ、という新たな発見を得られるはずです。

そして一通り、困難を乗り越えてきた話を聞き終わったなら、今度は自分が実践する番です。

聞いた事と、実際に行うのでは必ずや思い違いが起こるに違いありません。

が、それがあなたの心に巣くう「音を上げる」元を絶っていってくれるのです。

いくら他人の成功体験を聞いても自分が実行して会得しないことには話になりませんからね。

一つでもいいですから、あなたの自力で困難を打開することができたなら、もう次からは似たような要因で音を上げる事はなくなっているでしょう。

逆境を楽しむ


音を上げないためのメンタルの鍛え方の4つ目は「逆境を楽しむ」です。

これはまたとんでもない事を言ってくれるな、とお思いの方も多いかも分かりませんね。

「逆境を楽しむなんて、そんな心の余裕はありません!」とピシャっと言われてしまいそうな雰囲気でしょうね。

まあ確かにこの「逆境を楽しむ」というのはかなり難関な方法の一つです。

この方法は何度も自分の身を困難な場面に置いた人であっても嫌がる方法かも分かりません。

誰だって苦しい事とは付き合いたくないですからね。

しかし、逆境を楽しめる境地にたどり着けたとしたら、これほど人間的に魅力のある人も他にいないだろう、と思えるくらいこの方法の効果は絶大なのですよ。

【逆境を乗り越えるには、こちらの記事もチェック!】

あえて自分の試練として厳しい環境に身を置いてみる

まあ、まだ自分に自信のない方はいきなりこの方法を取ることはおススメ致しません。

それくらいかなり劇薬的効果の高い解決手段となるからです。

ただ何度も何度も経験を積んできたのであればあなたは有資格者です。

あえて自分の試練として厳しい環境に身を置きにゆくのです。

この実戦手段は行った者にしかわからない劇的な解決手段を発見させてくれるでしょう。

まさに劇薬的な効果です。

但し、失敗してしまう可能性もあります。

その時のダメージも劇薬なみです。

それを覚悟して行ってもらわなければならない事を理解しておいてくださいね。

結果にこだわる

音を上げないためのメンタルの鍛え方の5つ目は「結果にこだわる」です。

音を上げない人間に変えてくれる何よりの薬は「結果」です。

成功体験が何よりの薬となります。

この結果にこだわる姿勢が確実に身に着いたなら、あなたは不動のプロとしてもう同じ過ちは起こさなくなるでしょう。

それは結果を出すための正しい努力の仕方を完全に会得したからこそ言えることなのです。

失敗をしないだけの自信が備わった証しだからなのです。

自分に自信をつけることで困難に立ち向かっていける

「結果にこだわる」という姿勢を持つことは、数多くの体験を通して確かな技術をあなたが会得した、という事です。

つまりちょっとやそっとの困難では揺るがない「自信」を身に付けた、という事になります。

この「自信」というもの。

これほど人間を勇気づけ元気にさせ前向きにさせてくれる要因は他にありません。

自信を持つということは「一人前」の人間として認められたという事だからなのです。

結果にこだわるという事は「勝ちたい」という思いが強いという事です。

その気持ちがある段階からしてその人はプロなのです。

プロは結果にこだわります。

「プロセスが良かったらそれで満足」ではないのです。

そうでなければお客様を納得させ指示を得ることが出来ないのを知っているからなのです。

結果にこだわる人に「音を上げる」などという発想はあり得ないかも分かりませんね。

イメージトレーニングをする

音を上げないためのメンタルの鍛え方の6つ目は「イメージトレーニングをする」です。

この「イメージトレーニング」、メンタル面を鍛えるにはお金も要らず、お手軽でいつでもどこでも行える打ってつけのトレーニング法なのです。

イメージトレーニングを成功させるためには、まずあなたが直面しているのであろう困難な事を、出来うる限りイメージさせる必要があります。

それも様々な角度から多角的に捉えたイメージを、です。

それは単発的なものや安易な発想によるイメージトレーニングだったならば、最終的な成功体験をあなたに導かないからです。

なので、ありとあらゆる分野や仮定の話でもいいので材料を集めてくることです。

そこから真のイメージトレーニングが始まっていくのです。

成功している自分をイメージする

イメージトレーニングで重要なのは「成功している自分」をいかにしてイメージできるようになるか、です。

成功のシーンを幾通りもイメージすることが出来たなら知らず知らずのうちにあなたの心に自信が生まれ安心感があなたに宿ってくれるでしょう。

反対に悪い結末ばかりをイメージしていたら、現実になった時にも本当に悪い結果が却ってくる可能性があります。

人間がもつ「自律神経」、これがあなたのイメージしたシーンをそのまま現実に投影してしまう事になりやすいからです。

つまり成功するシーンを何度も念じるくらいに思い描けば、現実世界でも成功する可能性が高くなるという事です。

反対に失敗ばかりするシーンをイメージしていたのでは、本当にいざという時に失敗を犯してしまう可能性が高くなります。

そういった意味では本当に「自律神経」というものの働きは不思議なのですが、とにかく、人間いいイメージを思い描いて物事に当たるのは重要な事です。

成功イメージはあなたに知らないうちに「自信」というものも植え付けてくれるからでしょうね。

失敗を糧にする

音を上げないためのメンタルの鍛え方の7つ目は「失敗を糧にする」です。

世の中の多くの人が実に様々な領域や分野において数々の失敗を繰り返しています。

しかしそれは世の多くの人がいろんなことに挑戦していった証しです。

挑んだり挑戦したりするからこそ、人間は成長していけるのです。

また、何事も1回や2回やっただけで上手にこなせるような簡単なものばかりではない事は世の中に出た人間ならば知っている(あるいは知らされた)事なのです。

つまり何かの分野において周囲の人から認めてもらえるだけの人物になろうと思ったなら、失敗を恐れずにどんどん挑んで行く事、及び、その失敗を糧にして更なる挑戦意欲を燃やしていけること。

この意識が有事の際、音を上げずにすむ、とっておきの世渡り術になるのではないか、と私は遇直に思う訳なのです。

失敗はつきもの次にどう活かすかが大事

大体において世の中全般、失敗する事の方が多いでしょう。

初めて挑む事をたったの1回で見事に試験をクリヤーして成功する人もいるでしょうが、多くの人は何度も失敗する事によってその物事の本質を知るようになり、次からは失敗せずにスムーズにやっていけるよう学習する訳なのです。

つまり失敗というものはつきものであるのでそれを次の機会にどう活かすかが大事である、という発想を持てている人が世の中を渡ってゆくのに相応しい考え方を持っている人、と言える訳なのです。

仮にその反対で、一切の失敗やミスを認めない完璧主義のような人だったとしたらどうでしょうか。

確かにご自身がやる事は失敗しないのでしょう。

それはそれで凄い事です。

周囲からも称賛の目で見られるかも分かりません。

でも、それはその人が一兵卒の立場だから許されるものの見方です。

大抵の場合、社会というものは次のステップに人を送り込んでゆきます。

つまり管理職になってゆく、という事です。

平の社員でいた時の自分ならば自分さえしっかりやっていたら問題はありませんでした。

ところが立場変わって自分が手を下すのではなく部下が動いて仕事の成果を出す立場に変わったらどうでしょう。

今までのようにミスや失敗なくやっていけるとお思いでしょうか?

何と失敗やミスの多い連中だ!とあなたは憤慨し、これなら自分が直接やった方がはるかにましだ、と思ってしまうかも分かりませんね。

部下の失敗の連続で下げたくもない頭を何度もお客様の前で下げなければならない事態が起こるかも分かりません。

まさに人を育てることがここまで難しいとは、と音を上げてしまうかも分かりませんね。

失敗を糧にする発想は立場が変わっても同じです。

例えあなたが管理職になって仕事の質が変わってしまったとしても、です。

人間は何度でもやり直しがきく生き物だからです。

失敗を糧にして次に活かす。

こんな素敵な生き方を実践することができるのですから、音を上げている暇などないと考えた方がいいと思いますよ。

自分の意見を発言する

音を上げないためのメンタルの鍛え方の最後の8つ目は「自分の意見を発言する」という事です。

日本の社会では往々にしてあまり自己主張せず、控えめで大人しくしている方が組織の中では上手く立ち回れる、という風潮が今も残っているような感じが致します。

この辺りは欧米のような自己主張の塊のような文化とは大きく違う点といえるかも分かりませんね。

そもそも自分の意見を言う、という事は周囲の人間の意見に耳を貸さない人間、という概念が日本の中には根付いている傾向がある事は否定できないでしょう。

この考え方が多くは協調性を生み、周りの人とうまく溶け合って同じ方向に向いて一つの同じものを生産していく仕事には向いていた、という考え方には賛同せざるを得ません。

確かに高度経済成長期の頃はこれで十分、通用していたからです。

とにかく供給が需要に対して追いついていなかった時代です。

皆、作れ、作れ、の大合唱で世の中が回っていた時代だったのですから。

ところがそういった景気もひと段落して世の中にモノがあふれてくると今度は人々は自己主張が始まります。

つまり、人と同じものを持っていても差がつかないしカッコ悪い、という発想です。

人と違うものを所有したり使っているからこそ価値が生まれる、という発想です。

完全にそれまでの大衆迎合のような時代が終わったのです。

そしてその時と同じくして自己主張といいますか、自分の意見を誰にも頼らずに自分の考えをもって発言することが尊ばれる時代へと変化していきました。

同じ考えで右に倣え、の時代で育った人間から見たら、とても合わせられないモノの考え方のように思えた事でしょう。

しかし、己をしっかり持ち周りに流されず客観的見地からみた論理的な意見ならば耳を傾けるのに十分な説得力はあります。

今の時代のベースとなるべく生き方が始まったのです。

周りに同調せず自分の意見を主張する

周りに同調せず、いかにして自分の意見を主張できるようになるか。

これはちょっとやそっとの人生経験では習得できない技です。

それこそ、その人がどれだけの人生を生きてきたかが試されてしまうだけのものが必要になってくるのです。

話は私の過去の体験談になります。

かつて私がペット業界に在籍していた時代です。

当時、30代前半にして店長に抜擢され意気揚々とした毎日を送っていた時代です。

そんな時、会社の定番である会議に出席する事になります。

会議には各店の店長が参加しています。

皆、議事進行の段階では大人しいし黙っている人がほとんどです。

ところが各自が意見を言う段階に来るとそれまで大人しくしていた人達がこぞって各自の意見を主張しだします。

意見といってもそれはどちらかというと会社に対する不平や不満がほとんどです。

俗にいう「毒」です。

会議の場は「毒」を吐くばかりで意見の収拾がつかない半ば「修羅場」のような雰囲気なのです。

そんな雰囲気の中で自分の順番が回ってきました。

勿論、緊張してばかりいる私が並みいる先輩たちを差し置いた発言など出来る訳がありません。

あたりさわりのない意見を言うのが精一杯でした。

ただ、日本の社会というところはまだまだ自分の意見を主張するのが下手な世界です。

意見というものはあくまで健全で前を向いていないといけないのです。

特に利益を追求する組織にあっては出来ない理由を言い訳にした自己主張などやってはいけないのです。

だから会社が悪いとか店の立地が悪いなどの言い訳を自己主張にしてはいけないのです。

そのような正しくない言い訳を自己主張と勘違いして会議の場で大きく言っても、音を上げる原因を撲滅出来る要素にはならないのです。

ここを勘違いせずに理解しておいてほしいのです。

だから、自己主張というのは思いっき責任感が伴います。

自分の発言に責任も持てないで言いたい放題喋りまくるだけなら誰だって出来ますからね。

それではいつまでたっても自身の為にもなりませんし、我慢強さも達成意欲も育む事が出来ません。

自己主張とはこれくらい責任が重くて大変なものである、という事を前提にして行うべきなのです。

そういった自己主張ならば必ずしや、音を上げる自分を消滅させてくれるものになってくれるでしょう。

音を上げるの意味理解できましたか?

如何だったでしょうか?「音を上げる」という言葉の意味を前提にして

・「ねを上げる」の正しい漢字
・「音を上げる」の意味
・「音を上げないためのメンタルの鍛え方」

というテーマに分類して紹介して参りました。

そもそも「音を上げてしまう」という表現は自分自身からは使う言葉ではないでしょう。

その人の弱り方やふて腐れ方等を総合判断して周囲の人間が判定するのに使われる表現の仕方でしょう。

「私は◯◯が出来ません」「今の力ではとても無理です」など、いずれも自己の力量ではとても達成できない、という意味合いの表現となるのですが同時に自己弁明にも入ってくる表現とも言えるのです。

「そんな難しい仕事、今の私が出来ないんだから他の誰も無理ですよ」といった自己肯定の観念が言葉から滲み出てくるのですよね。

実際は自分の実力不足以外のものは何もありません。

しかしながら結果を気にせず、それこそ脇目もふらず自分の出来るところまで、限界まで頑張ってやったうえで出来なかったのなら見ていた方の人も納得ができるでしょう。

「グーの音も出ないほど、音を上げる」状況に陥る時は、自分の力を出し切ってもうどうしようもない、となった時だけがこの言葉を使えるベストタイミングかも分かりませんね。