しかし、だからといって全ての人が果たして本当に相手の人に親近感を覚えてくれるとは言えない、と思うべきです。
中には「かしこまり」と言われてバカにされたような気分になる人もいるでしょうし、発言した相手の人の人間性を根底から覆すくらい「見下す」人も出てくるでしょう。
そもそも「若者言葉」というものは極々親しい間柄の人間に使うか、性格的に同じ傾向・思いのある人同士で使うべき言葉だと思います。
それはこういった言葉のネタ元がアニメやネットの世界から登場したことにも要因が伺えます。
そのネタ元のアニメが国民的な大ヒット番組だったなら人の見る目も変わってくるでしょう。
例えば日曜の夕方に40年以上もの歳月をかけて放送されている「サザエさん」。
この番組を今まで一度くらいは見た事がある人は多いでしょう。
そのような一種のメジャー感覚のある番組ならばまだ認知される可能性はあるかもしれません。
しかしネタの出所がごく一部のファンのみしか知らないような作品だったら様相は大きく変わってきます。
つまり「アニオタ」という目でみられるという事です。
だから「かしこまり」などという人を小ばかにしたような言い方を平気で出来るのだな、と思われるのです。
まあ、世の中は広いので全ての人が好意的にみてくれる事はごくわずかです。
いくら自分自身が「かしこまり」を気に入っても周囲の人が同じ思いになってくれているかどうかの心配りはしておいた方が無難だと思いますがね。
「かしこまり」の使い方、使う場所をわきまえよう(まとめ)
如何だったでしょうか?「かしこまり」、何ともいえない響きを持つ言葉です。
もしあなたが接客業の従事者であったならお客様に対して使う承諾の表現は必ずや「かしこまりました」になるでしょう。
間違っても「かしこまり」などという言い方、口が裂けても言えない訳なのです。
それにしても日本語というものは変化が多いですね。
そもそも明治時代くらいまではあの解読難解な文語体の文章でした。
よって現代文表記に慣れ過ぎている今の時代の私にとったらかの有名な「森鴎外」や「樋口一葉」の小説は読解不能、傍らに古文の辞書を置いておかないと意味が全く分からないのです。
でも、そんな文体も昭和になったすっかり口語体の文書に変わってしまいました。
この変化の急激さは国の言葉だということを思えば飛躍的過ぎる大変革です。
そう思えば今の時代になって改まり過ぎた言葉が軽い意味合いの言葉に変わっていこうとするのも時代の必然かも知れませんね。
さて、この先私自身が「かしこまり」と日常で使えるかどうかは疑問ですけれどもね。
バリバリの昭和世代の私にとったらやはり「かしこまりました」を大事に使っていきたいのですよね。
頭が硬い、と言われたらそれまでですね。