そのため、現実的ではないからという理由で誰も出さなかったアイデアが「案外いけるかも?」と採用されることもあります。
そして、アイデアマンと称されることも少なくありません。
12.困っている人がいれば助ける
純粋な人は「良心」と「善意」で構成されているといっても良いくらい良い人が多く、「困っている人がいれば助ける」ということを、当たり前にできる人が多いです。
周りの目を気にしたり「もしも迷惑がられたら」「自分が巻き込まれたら」なんて悲観的な考えは一切浮かばず、反射的に人助けをしている人も少なくありません。
13.新しい物好き
純粋な人は、子どものように好奇心旺盛な人が多いため新しい物好きな一面を持っている人が多いといえます。
流行のものや最新のものも大好きで、自分の好奇心をくすぐるものを見てしまうと、それしか見えなくなってしまうという人も多くいます。
14.積極的
純粋な人は、他人の悪意を気にしないので何事にも積極的な人が多いですね。
人間関係や仕事などにおいても、他人を気にせずに取り組むことから自分のやりたいことをやりたいように勧めていく自由人な一面を持っているとも言えます。
純粋さを身につけるには?
純粋さって、この社会の中でそんなに溢れているわけではありませんよね。
逆に、人は自分を繕うことに必死になっていることが多いものです。
では、純粋さはどうしたら身に着けることができるのでしょうか?
計算高く、裏表のある自分に疲れてしまっているなら、どうしたら素直な気持ちや自分を取り戻すことができるのでしょうか。
1.誰しも子ども時代は純粋だった
子どもを見ていると、素直でまっすぐでとても眩しいですよね。
一見擦れている子どももいますが、それでも接していると純粋な心を持っていることに気づいたりして、とても温かい気持ちになったりします。
純粋な子どもたちと接していると、こちらがホッとさせられたり、心が洗われるようなことってないでしょうか?
大人になって、生き抜くことが簡単でもなく、現実をいろいろと経験してきた私たちにも、実はそんなときがあったんです。
純粋に思いっきり遊び、喜んで、愛して、感情をストレートに表現できていた時があったんですね。
好きなことに没頭したり、何かに夢中になったり、したたかな気持ちなど持っていなかったでしょう。
だから、純粋さってだれしもが最初は持っていたものです。
純粋さは身につけるのではなく、思い出すこと
そんな子どものころにわたしたちみんなが持っていた純粋さ。
子どものころはもちろん意識してそれを身に着けていたわけではありませんよね。
それが自分の自然体だったわけです。
大人になってもそうです。
意識して身に着けるのは難しいものなんです。
なぜなら、純粋さは外面に着る洋服のような表面的なものではなく、人の内面から出てくるものだからです。
だから、純粋に生きていた子どものころの、あの感覚を思い出すことが必要です。
あの頃は一体、どんなふうに感じ、どんなふうに反応し、どんなふうに生きていたのでしょうか・・・?
子ども時代を思い出そう
きっと子供の頃って、今よりももっといろいろなことに感動していました。
多くのことに興味を持ったり、好奇心があったので、新しいことにも常に挑戦したがっていたのです。
余計なことはあまり考えないで、気持ちのままに生きていたことを思い出すのではないでしょうか?
2.大人の常識を取り払う
大人になると、いろいろな社会のルールや暗黙の掟みたいなものを知ります。
そして、自分には限界があると考えてしまいます。
社会の中では上手くやり過ごすことが、簡単に生きるコツなんだと感じることもあったかもしれません。
だから、自分で何かに挑戦することも、ルールから外れたことをすることもありません。
社会の常識という枠の中で生きていくことが普通になってしまったかもしれません。
もちろん、子どもの時のように何も現実を知らずに生きていくことはできないし、それは賢くもありません。
もちろん、ルールは必要だし、常識も必要です。
でも、だからといって一般に”常識”といわれる中で、自分で感じたり思ったりしたことをまったく無視して、「こうするべき」「こうするのがみんなの普通」という枠だけにはまったまま生きていくとします。
そうすると、「自分っていったい何なんだろう・・・」って虚しくなってしまうこともあります。
ピュアでまっすぐな自分を取り戻したいのであれば、まずは自分を縛り付けている大人常識のというものを取り外す必要があるかもしれません。
常識ってなに?という疑いをもつ
そこで、まずは「常識ってなに?」という疑問を持ってみましょう。