純粋な子どもたちと接していると、こちらがホッとさせられたり、心が洗われるようなことってないでしょうか?
大人になって、生き抜くことが簡単でもなく、現実をいろいろと経験してきた私たちにも、実はそんなときがあったんです。
純粋に思いっきり遊び、喜んで、愛して、感情をストレートに表現できていた時があったんですね。
好きなことに没頭したり、何かに夢中になったり、したたかな気持ちなど持っていなかったでしょう。
だから、純粋さってだれしもが最初は持っていたものです。
純粋さは身につけるのではなく、思い出すこと
そんな子どものころにわたしたちみんなが持っていた純粋さ。
子どものころはもちろん意識してそれを身に着けていたわけではありませんよね。
それが自分の自然体だったわけです。
大人になってもそうです。
意識して身に着けるのは難しいものなんです。
なぜなら、純粋さは外面に着る洋服のような表面的なものではなく、人の内面から出てくるものだからです。
だから、純粋に生きていた子どものころの、あの感覚を思い出すことが必要です。
あの頃は一体、どんなふうに感じ、どんなふうに反応し、どんなふうに生きていたのでしょうか・・・?
子ども時代を思い出そう
きっと子供の頃って、今よりももっといろいろなことに感動していました。
多くのことに興味を持ったり、好奇心があったので、新しいことにも常に挑戦したがっていたのです。
余計なことはあまり考えないで、気持ちのままに生きていたことを思い出すのではないでしょうか?
2.大人の常識を取り払う
大人になると、いろいろな社会のルールや暗黙の掟みたいなものを知ります。
そして、自分には限界があると考えてしまいます。
社会の中では上手くやり過ごすことが、簡単に生きるコツなんだと感じることもあったかもしれません。
だから、自分で何かに挑戦することも、ルールから外れたことをすることもありません。
社会の常識という枠の中で生きていくことが普通になってしまったかもしれません。
もちろん、子どもの時のように何も現実を知らずに生きていくことはできないし、それは賢くもありません。
もちろん、ルールは必要だし、常識も必要です。
でも、だからといって一般に”常識”といわれる中で、自分で感じたり思ったりしたことをまったく無視して、「こうするべき」「こうするのがみんなの普通」という枠だけにはまったまま生きていくとします。
そうすると、「自分っていったい何なんだろう・・・」って虚しくなってしまうこともあります。
ピュアでまっすぐな自分を取り戻したいのであれば、まずは自分を縛り付けている大人常識のというものを取り外す必要があるかもしれません。
常識ってなに?という疑いをもつ
そこで、まずは「常識ってなに?」という疑問を持ってみましょう。
常識とは、社会の構成員が有していて”当たり前”のものとしていることです。
社会的な価値観、知識、判断力のことで、客観的に見て”当たり前”と思われることをいいます。
この常識は、社会生活の中でとても大切なものであることを疑う人はいないでしょう。
人は一人で生きているわけではないのです。
周りの人と気持ちよく過ごしていくためにはこの常識的感覚を持っていないといけません。
その感覚がないと、人に迷惑な行為を平気でして不快感を与えてしまったり、非常識な行為は犯罪にまで発展することがあります。
でも、この場合の常識は真実に基づいたことです。
例えば、人のものは盗んではいけないとか、全体は部分よりも大きいとか、全人類共通の当たり前の真実のことです。
でも、一般にそれぞれの社会やグループのなかで、勝手に主観的に定められている常識というものもあります。