純粋に生きている人って、なんだか素敵でうらやましいと感じることありませんか?

大人になると、素直さとか飾らない美しさというものがどんどんとなくなってしまうような気がしますね。

でも、大人になっても純粋さを持ち続けている人って、キラキラしているように感じるし、

周りからも安心できる人とか裏表のない人として魅力的な人として好かれます。

でも逆に、騙されやすいとか天然キャラといったイメージももたれれるようですが、

本当のところ、純粋な人ってどんな特徴を持っているのでしょうか?

さらに、純粋な人になると自分にとってどんなメリットがあるのか、

どうしたらアノ子供のころに持っていた純粋な心を取り戻すことができるのか・・・

今回はそんな点に注目していきたいと思います♪

純粋な人の8個の特徴

あなたは”純粋な人”というと、どんなイメージを持ちますか?

裏表のない人?いつも素直な人?天然な人?

子どもは純粋だといいますが、小さいときに持っていた純粋さは、社会の現実に直面し、

いろいろな難しい状況や人との関わりの中で、無くしてしまうことも多いのではないでしょうか?

でも、あなたの周りにも大人になった今でも純粋さを持ち合わせている人がいるかもしれません。

さらに、あなた自身が周りから「純粋だよね」って言われることもあるかもしれませんね。

「純粋」ってとっても素敵なことで、周りの人からとても魅力的に思われている性格の一面ですが、一体どんなが「純粋な人」なんでしょうか?

今回は8つの特徴をご紹介します。

とにかく素直

純粋な人といわれる人は、とにかく素直です。

自分の気持ちにも、相手にも素直に向き合います。

人は、人間関係でいろいろと苦い経験をしていくと人のことを最初から疑うようになってしまいませんか?

でも、それでも純粋な人は最初から人を疑ってかかるのではなくて、その人をまっすぐに信じることをしようとします。

基本的にみんないい人、と思って接しているので、誰からも好かれやすいでしょう。

でも、そのような素直さが「騙されやすい」と思われてしまうこともあるようです。

人の言ったことを素直に受け止めるがゆえ、冗談で言ったことも本気にとらえてしまうこともあるようです。

それで、相手の言ったことを真に受けてダメージを受けたり、逆にお世辞に対してもすっごく喜んだりすることがあります。

ピュアだからこそ、相手の裏の顔や裏の感情というものを探るようなことはせず、自分の目の前にいる相手をそのまま受け止める傾向にあるようです。

それで、純粋な人の前では裏の自分に気づかれるような心配をしないで、今の自分を本当の自分と信じて受け止めてくれる、

という安心感があり、いろいろな過去や影を持つ人からも近づきやすい存在として親しまれることが多いです。

ただ素直な人と話すときには、こちらとしては適当な冗談だとしても、それを本気で重く受け止めてしまうことがあるので注意しましょう。

さらに、プレゼントなどをしたときに子どものように喜んでくれたりもします。

相手のその好意の裏には何があるのか、なんて考えないので素直に喜んでくれるのです。

自分がしたプレゼントを子どものように喜んでくれる姿って見ているこちらをHAPPYにしてくれますよね。

人からの好意や気持ちを素直に受け止め、心から喜んでくれる良さを持っているのです。

飾らない

純粋な人が魅力的に見える理由の一つには、きっと飾らない姿があるのではないでしょうか?

とかく私たちは、自分をよく見せることに必死になってしまい、いろいろな鎧をまとったり、さらには自分を外面的にも内面的にも飾り立てて人よりも上に立とうとします。

でも、純粋な人は自分をありのままで表現するので、そこに惹かれる人は多いのです。

人は自分を本来よりもよく見せようといくら頑張っても、そのうちにボロが出たり、そんな自分に疲れたり嫌気がさしたりすることがあります。

でも、素直な自分を受け入れてそれをありのままに表現できる人って、なんだかいつもキラキラしているのではないでしょうか?

自分の良いところ、得意なこと、そして苦手なことや弱みもそのまま出して、素直な自分で生きている人は、飾らない人として愛されます。

さらに、自分を飾らない人は他の人に素直に頼ることができます。

それは他人に依存する傾向があることとは違いますが、自分の足りないところを認めたりサポートの必要性を認識しているので、

他の人に謙虚に助けを求めることができるのです。

誰かに頼ることは、自分がその人よりも劣っていることを認めることになる、と思って人に頼るのを嫌がる人もいますが、

純粋な人は他人からのサポートをあまり嫌がらない傾向にあるようです。

嘘つかない

純粋な人は、自分に対しても他人に対しても正直です。

だから、一緒にいて安心する人でもあります。

大人は嘘ばかりをつくようになりますが、やっぱり少しでも嘘をつく癖のある人に対してはいつも疑ってみてしまいますよね。

でも、純粋に偽らない人は信頼できるので友人や恋人としては安心できる存在です。

ただ、思ったことをそのまま言うことがあるので、人から反感を買ったり、空気が読めないと思われたりすることもあります。

ちょっと天然なキャラだと思われることもあります。

でも、そのような嘘のない姿がとても魅力的に思える、という人は多いので愛される存在でしょう。

裏表がない

いつも正直なので、裏と表がありません。

つまり、いつも表なんです。

純粋さを忘れた身としては、それってかなりすごいことだと思いますが、純粋な人にとってはそれが普通のようです。

意識して表と裏を作っているのではなく、いつも素直に生きているのでおのずと裏表のない人になれるのでしょう。

純粋な人にとって、表のいい子の自分と裏の悪者の自分を使い分けるようなことはめんどくさすぎるらしいのです。

裏表のない人は、楽しいものは楽しい、つまらないものはつまらない、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとハッキリとしているので、

周りからしたら何を考えているのかがわかりやすい人と言えます。

でもだからといって、他人に全く気を遣えないということではありません。

だから、裏表のない人って、何を考えているのかわからない人よりも、長く付き合いやすいと思っている人は多いようです。

喜怒哀楽の感情表現もストレート


自分に正直で、自分を良く見せるためにいつも繕うということがない人は、喜怒哀楽の感情もストレートに表現するタイプです。

自分の感情とか、気持ちにも素直なんですね。

それも、意識して行っているわけではなくそれがその人の普通なんです。

それで、うれしいときとか恥ずかしいときにすぐに顔が赤くなったり、楽しいときには思いっきり無邪気にはしゃいだりする、その姿はとてもかわいく見えるので、かなりモテます。

感情があまり表に出ない人というのは、大人でクールな印象ですが、一方でつまらない人と思われることもあります。

その逆のタイプの純粋な人は、感受性や感情が豊かな人としてわかりやすい人として親しまれますが、一方で子どもっぽいと思われることもあります。

でも、どんなタイプであろうと大人になれば自分の感情はコントロールしていかなくてはいけませんし、そうしています。

そうしないと、周りとの良好な人間関係は築けないからです。

でも、そうしているうちに自分の感情を表に出せなくなってしまっていることもありますし、裏表の顔があるのが普通な人は純粋な笑顔をするのが難しくなります。

その点で、心が純粋な人は素直な感情をストレートに表に出すことができるので、

がっかりした様子や素直に喜ぶ様子が魅力的で、飾らない笑顔もキラキラしているように見えるのです。

計算高いことは苦手

恋愛でも仕事でも、計算高くどう相手をコントロールするか、ということを考えるのってきっと多くの人にとって普通ですよね。

でも、純粋な人は計算高いことが苦手です。

それは、効率を考えないとか、うまくやらないということではありませんが、相手をだまして自分がいい思いをしようとしたり、

自分にとって都合がよくなるように計算してそれをあたかも純粋な気持ちでやっているかのように見せる、ということが苦手なのです。

そんなめんどくさいことをするくらいなら、相手に対してストレートに対応するほうが楽だし、自分にとって自然なのです。

いわゆる処世術には長けていない

人はこの社会で生きていくために、うまくやりおおすことを身に着けていくことが多いものです。

そのように巧に世渡りするのが上手な人もいますが、純粋な人は、その点ではあまり長けていないようです。

つまり、世渡り上手ではないのです。

特にビジネスマンなどは仕事ができることと同時に、ときに世渡り上手にならないとその社会の中で生きていくのが難しかったりします。

その世渡り上手になるためには、相手の反応や感情、どうやったらどんな風に受け止めるかということをよく計算して、

それに基づいて自分の言動をコントロールしていくことが求められます。

だから、ときには本音と建て前を上手に使い分けるし、本来の自分とはちょっと違った自分を演じて相手からの好意を獲得します。

でも、純粋な人は素直で直球勝負なところがあるので、社会においては不器用な人と思われることもあるようです。

ただ、その不器用さがその人が本当に純粋で素直で信頼できる人だと知ってもらえた時には強みを発揮できます。

恋愛の駆け引きもできない


ピュアな人は計算高いことが苦手で、裏表もないので、恋愛でも駆け引きをするようなタイプではありません。

好きな人には素直な「好き」という自分の気持ちをぶつけることができたり、自分も自然体で恋愛をするのでめんどくさい恋の駆け引きなどができないタイプです。

恋の駆け引きをする人は、多くの場合自分が傷つきたくなくて臆病になってしまっているゆえに駆け引きをしているかもしれません。

でも純粋な人は、その点での器用さはないので逆に捨て身でも自分の気持ちを素直に表すことができます。

そのように、恋をゲーム感覚で考えるのではなく、純粋に相手を想うことができる人は、玉砕することもあるけれど、

それでもその分丸ごと自分を大事にしてくれる人を見つけることができるので、幸せな恋をしていることが多いです。

恋の駆け引きは時に、相手を不安にさせたり、試しているかのように気分を悪くされたり、

お互い相手の手の内を探り合うようにしているので疲れる恋愛をすることになるので、長続きしない場合が多いようです。

純粋さを身につけるには

純粋さって、この社会の中でそんなに溢れているわけではありませんよね。

逆に、人は自分を繕うことに必死になっていることが多いものです。

でも、純粋な人ってとても魅力的で周りの人から愛される存在です。

人からの好意を素直に喜べたり、自分の気持ちをストレートに表現できて、輝く笑顔を持っていたり・・・

キラキラした自分らしさを持っているんですね。

自分にも他人にも正直なので、疑いではなく信頼でつながりやすく、友人とも恋人とも長続きする関係を築くことができます。

では、そんな純粋さってどうしたら身に着けることができるのでしょうか?

計算高く、裏表のある自分に疲れてしまっているなら、どうしたら素直な気持ちや自分を取り戻すことができるのでしょうか??

誰しも子ども時代は純粋だった

子どもを見ていると、素直でまっすぐでとても眩しいですよね!

一見擦れている子どももいますが、それでも接していると純粋な心を持っていることに気づいたりして、とても温かい気持ちになったりします。

純粋な子どもたちと接していると、こちらがホッとさせられたり、心が洗われるようなことってないでしょうか?

大人になって、生き抜くことが簡単でもなく、現実をいろいろと経験してきたわたしたちにも、じつはそんなときがあったんです。

純粋に思いっきり遊び、喜んで、愛して、感情をストレートに表現できていた時があったんですね。

好きなことに没頭したり、なにかに夢中になったり、したたかな気持ちなど持っていなかったでしょう。

だから、純粋さってだれしもが最初は持っていたものです。

純粋さは身につけるのではなく、思い出すこと

そんな子どものころにわたしたちみんなが持っていた純粋さですが、子どものころはもちろん意識してそれを身に着けていたわけではありませんよね。

それが自分の自然体だったわけです。

大人になってもそうです。

意識して身に着けるのは難しいものなんです。

なぜなら、純粋さは外面に着る洋服のような表面的なものではなく、人の内面から出てくるものだからです。

だから、純粋に生きていた子どものころの、アノ感覚を思い出すことが必要です。

アノ頃は一体、どんなふうに感じ、どんなふうに反応し、どんなふうに生きていたのでしょうか・・・?

子ども時代を思い出そう

きっと子供の頃って、今よりももっといろいろなことに感動したり、興味を持ったり、好奇心があったので、新しいことにも挑戦したがり、

余計なことはあまり考えないで気持ちのままに生きていたことを思い出すのではないでしょうか?

大人の常識を取り払う

大人になると、いろいろな社会のルールや暗黙の掟みたいなものを知ります。

そして、自分には限界があることや社会の中ではうまくやりおおすことが簡単に生きるコツなんだということを感じることもあったかもしれません。

だから、自分で何かに挑戦することも、ルールから外れたことをすることもなく、社会の常識という枠の中で生きていくことが普通になってしまったかもしれません。

もちろん、子どもの時のように何も現実を知らずに生きていくことはできないし、それは賢くもありません。

もちろん、ルールは必要だし、常識も必要です。

でも、だからといって一般に”常識”といわれる中で、自分で感じたり思ったりしたことをまったく無視して

「こうするべき」「こうするのがみんなの普通」という枠だけにはまったまま生きていくと、

「自分っていったい何なんだろう・・・」ってむなしくなってしまうこともあります。

ピュアでまっすぐな自分を取り戻したいのであれば、まずは自分を縛り付けている大人常識のというものを取り外す必要があるかもしれません。

常識ってなに?という疑いをもつ

そこで、まずは「常識ってなに?」という疑問を持ってみましょう。

常識とは、社会の構成員が有していて”当たり前”のものとしていることです。

社会的な価値観、知識、判断力のことで、客観的に見て”当たり前”と思われることをいいます。

この常識は、社会生活の中でとても大切なものであることを疑う人はいないでしょう。

人は一人で生きているわけではないので、周りの人と気持ちよく過ごしていくためにはこの常識的感覚を持っていないと、

人に迷惑な行為を平気でして不快感を与えてしまったり、非常識な行為は犯罪にまで発展することがあります。

でも、この場合の常識は真実に基づいたことです。

例えば、人のものは盗んではいけないとか、全体は部分よりも大きいとか、全人類共通の当たり前の真実のことです。

でも、一般にそれぞれの社会やグループのなかで勝手に主観的に定められている常識というものもあります。

それは、本来は人それぞれの考え方や感性によって相違があってもおかしくないし、その違いが必ずしも悪いものではないのに、

一つの考えを”常識”として唯一正しいことのようにしているものです。

そのような間違った”常識”は、その常識と言われていることと違った考えや感じ方を持つ人を悪者にしたり、苦しめたりすることがあります。

だから、自分が今縛られている常識って本当の常識なの?ということを考えてみるなら、本当に自分が考えてること、感じていることを正直に見つめるきっかけになるかもしれません。

「〜ねばならない」という意識も外す

大人の中での常識を疑う際には「~ねばならない」という意識についても、ちょっと考えてみてください。

「大人は~しなければいけない」「~するのが普通だから、~しなければいけない」。

このように自分の意思とは関係なく、決められていることってありますよね。

この場合も単に「常識だから・・・」という自分なりの根拠や動機がなくてもやっていることが多いのではないでしょうか?

でも子どもって、「どうして?」「なんで?」ということをよく聞きます。

「~ねばならない」ということに対して、自分が納得することを求めます。

でも、社会に出ると考える暇もなく「こうするべき」という考えから逸脱することは許されないような感覚を持ちます。

そのような意識をいったん外してみることによって、自分の考えや正直な気持ち、さらにそうする根拠や理由をもう一度考えるきっかけになります。

純粋さとは


人が思う純粋な人っているイメージって、多少のバラツキがあります。

なので、「純粋さ」という言葉について、本来の意味をちょっと調べてみました。

辞書的な意味はこう

「純粋」という言葉を辞書で引くと、いろいろな意味が出てきます。

「純粋」という言葉は人に対して用いられるだけでなく、モノや哲学的なものに対しても使うことがありますよ。

【純粋の意味については、こちらの記事もチェック!】

まじりけがない

まず、「純粋」という言葉の意味として、「まじりけのないこと。」「雑多なものがまじっていないこと。またそのさま。」となります。

お酒に関しても「純粋なアルコール」といいますよね。

添加物などが入っていない、混じりけのないものを指しますね。

さらに、犬も「純粋な秋田犬」というように使うことがあります。

邪念がない

「邪念や私欲のないこと。」「気持ちに打算やかけひきのないこと。またそのさま。」という意味もあります。

「純粋な愛情」など、まったく嘘も裏もないまっすぐな気持ちなどに使われますね。

ひたすら行うさま

「ひたむきなこと。またそのさま。」「あることをいちずに行うこと。」

「純粋な情熱」という表現があるように、あることをいちずに追い求める様子を表すこともあります。

実際は、どうなの?

さらに、哲学の面でいえば、「外的、偶然的なものを含まず、それ自体の内的な普遍性・必然性を指す」こともあるようです。

学問の分野でも「純粋数学」「純粋法学」というように、「応用を考えず理論だけを追求する」分野を意味することもあります。

ということで、「純粋さ」を言葉として定義すると、このようになるわけですが、実際のところ、純粋さをはっきりと捉えることってちょっと難しいですね。

人によって、感覚や見え方が違ってくるので人に対しては特に、はっきりと理解するのが難しいのかもしれません。

子どもに対して使う無邪気という言葉にヒントがは

でも、辞書で調べたことによると、なんだかやはり、子どもたちの持つまっすぐで邪念のない姿が「純粋さ」になるような気がしませんか?

つまり「無邪気」な姿です。

不純でなく、素直なこと

「無邪気」というのは、「素直で悪気がないこと。偽りや作為がないこと。またそのさま。」と定義されています。

それで、子どもたちの無邪気な姿を想像してみると、純粋さとは不純で素直なことであることがイメージできるのではないでしょうか。

あどけなく、かわいいこと

「無邪気」という言葉はさらに、「あどけなくかわいらしいこと。」という意味も持っているようです。

確かに素直な子どもたちの笑顔って、あどけなくてとてもキラキラしているのではないでしょうか?

表に出している裏にいろいろな邪念が渦巻いている大人とは違い、作為のない笑顔なのでそう見えるのかもしれませんね。

純粋さがあると何がいいのか

では、純粋さを持つとどんなメリットがあるのでしょうか?

大人って、ともすると社会のいろいろな面を見て現実に直面すると、純粋さというよりも小賢しさのほうを持つようになるかもしれませんが、

純粋であるからこそ、生きていくのがもっと楽しくなる理由をチェックしてみましょう。

厄介ごとから逃れることができる

「純粋」の対義語は「不純」です。

心にけがれのないことを指すのと逆に、「不純」とは「心にけがれをふくむさま」を指します。

よく「不純な動機」と言ったりしますが、わたしたちはいつだってけがれのない心ですべてのことに対応しているわけではありませんよね。

時には、人には言えないような動機を心に隠し持っていることもあるかもしれません。

でも心が不純であると、そこについてまわる厄介ごとというものがあるのが現実です。

例えば、ある人と親しくなろうとするときの動機はいろいろとあるかもしれません。

純粋にその人自身に関心があったり、その人と親しくなりたいという気持ちなら、その人に対して誠実な態度をとることでしょう。

そして、その人自身を最初から大切な一人の人として見ています。

でも、極端な話、その人を単なる金づると見ているとして、でも表面上はそのことを隠して親しくなるかもしれません。

そのような場合は不純な動機を持っていることになるでしょう。

そして、もしその人が自分にとってメリットとはならない存在になった途端に、すぐに切り捨てるようなことをするかもしれません。

そのようなことをした場合、人間関係はかなりこじれます。

もちろん、相手を傷つけることになりますし、自分についての悪い評判も周りに広まるかもしれません。

結果、だれからも信頼されない人になり、さらに自分自身が周りの人にいつも裏の顔を持ちながら接しているので、

誰と親しくなってもみんな裏の顔があるのではないか、と疑うようにもなり、誰も信頼できなくなったりします。

人間関係がシンプルになる

逆に、人間関係に関しても純粋に駆け引きなどせず、まっすぐに相手と向き合い、本音で語り合えるような関係を持つなら、きっと長く続く絆を築くことができます。

やはり、人は何か気に入らないことや不安なことがあると、どうしてもお互いに相手を疑ってしまうことがあります。

そうなったときに、いろいろと邪念や裏を持つ人は、本当は何を考えているのかがわからないし、本当のその人が見えないので、すぐに信頼関係が崩れてしまうかもしれません。

でも、純粋な表裏がなく人と向き合っている人は、そのようなトラブルが起きたときにも、

ちゃんとストレートな会話や本音で向き合うことができるので、相手もその人のことを信頼して安心した関係を持つことができます。

損得だけで計算して人と付き合っているわけではないので、気持ちの良い絆を築くことができますし、友情などは一生ものになることも多いのです。

さらに、表裏のない人の人間関係はオープンでシンプルなので、自分も相手も心が楽ちんだし後ろめたいこともなくなります。

実生活もシンプルになる

自分に素直な人は、やりたいことや好きなことがはっきりしています。

さらに、周りの納得できない常識とかしがらみから解放されているので、自分の道を進むことができます。

だから、実生活がシンプルで楽しくなります。

でも、それが現実をしらない世間知らずになってしまうと、逆に家族や周りにとって迷惑な人になってしまう危険性もありますので、

ただただ自分の好きなことだけをする、というわがままな子どもみたいになってしまわないように、

素直な気持ちを大事にすることと、周りの人への配慮や自分の果たすべき責任とのバランスをとりましょう。

人生設計もシンプルになる

自分はこの先どこに向かっていくのか・・・。

そんなことをふと考えることがあるかもしれませんが、生き方がシンプルになると、将来の人生設計もシンプルになります。

自分の生き方の軸となるものがはっきりとしていればいるほど、将来設計もしやすくなり、どうすることが自分と家族にとっての幸せなのかがわかりやすくなるでしょう。

好きなことや大切なことに集中できる

裏表がなく、いつも正直で素直に生きていける人は、自分の好きなことや大切なことを大事にして生活することができます。

純粋な人は真剣に一つのことに打ち込んだり、謙虚に物事に打ち込めたりする子どものような傾向をもっているようです。

好きなことや大切なことのために、真剣になれたり、誠実に努力できることって幸せなことですよね。

それは、自分の人生を楽しむためにはとてもいいことで、生活の中で満足感や充実感を持つ助けになります。

人生は一度きりで、自分で道を決めることができます。

ただ、人生は一人で生きているのではないことを忘れないようにしましょう。

自分のしたいことだけをしていれば幸せというわけでもありません。

周りの人や大事な人を幸せにしたり、その人たちのために生きることも自分の幸せになります。

だから、純粋さが世間知らずとか自分勝手とならないように気を付けましょう。

一度しかない人生だからこそ、純粋に生きる

わたしたちが暮らしている社会は、複雑です。

みんな問題やストレスは山ほどあるし、毎日の生活が自分の思い通りになることなんてほとんどありません。

でも、純粋さをもって生きることができないわけでもありません。

裏表のない人は人から好かれるし、自分らしくいることもでき、人間関係もシンプルで信頼できる絆を持つこともできます。

周りは変えられないけど、自分は変えることができます。

子どものころのアノまっすぐな自分を思い出しみましょう。

ただ、最後に一つ。

純粋な人という評価は、自分でするものではなく、人が評価することです。

だから、間違っても「自分って純粋だから~」とか言わないようにしましょうね。